2013/9/21 僕は縦走も嫌いではありません。沢登りのように常にいちばん引っ込んだ場所を歩くのとは違い、大きな空が広がり、遠くの山並みも遥かに見渡せるのですから。ただ、ピークハンターではありませんし、どの山頂に立ったということよりも風景の移ろいや風や霧が肌をさする感触の方が大切なことだと感じます。登山道脇の小さな花、広大な笹原が陽光を受ける角度で様々な色合いに見えるさま、大きな岩に寝転がった時にひんやりと火照った肉体を冷ましてくれる快適さ、そんなちょっとした記憶の集積が宝ものなのです。
それに縦走のいちばんの嬉しいことは、安心感でしょうか。沢登りや岩登りと違って、普通に歩いていさえすれば、ほぼ予定通りの時間で目的地に到着する。だから、心おきなく景色を楽しんだり、休憩したり出来るのです。
▲テントの中から東の空を眺めました。ほぼ中央が朝日岳1945.3mです。5:18ころ。
▲朝食は左ふたつがフリーズドライ、右はレトルトです。左から「山芋と百合根の黒米粥」、「白きくらげと鶏肉の緑豆粥」、「ハンバーグ」でした。時短朝食です。半分以上食べてしまってからの撮影です。6:03ころ。
▲二人の単独行者はすでに出立していました。僕たちは相変わらず遅い出発です。6:35ころ。
▲やっと出発。でも僕たちにしては早めの出発なんですよ。済みません。7:25ころ。
▲少し登って振り返ると、蓬ヒュッテが見えていました。その向こう、写真中央の山が七ッ小屋山1674.7m、左のとんがった山は大源太山で、その後方は巻機山でしょうね。7:34ころ。
▲これから歩く武能岳、茂倉岳、一ノ倉岳が見えています。7:34ころ。
▲西に目をやると、残雪期に歩いた山々が並んでいます。タカマタギ1529.2mから日白山1631mは歩きましたが、日白山から平標山1983.7mをいつか歩いて見たいと思っています。ちなみに苗場山2145.3mは残雪期に歩いたことはありません。7:36ころ。
▲谷川連峰の主稜(谷川岳から西に延びる稜線)方面を眺めました。左から万太郎山1954.1m、エビス大黒ノ頭1888m、仙ノ倉山2026.2m。右端に少し写っている笠の形をした山は平標山です。8:07ころ。
▲写真中央にほぼ同じ高さで並んでいる山が右から茂倉岳1977.9m、一ノ倉岳1974.2mです。ふたつのピークの距離は徒歩で20分ほどしかないのですが、茂倉岳までは2時間以上あるのです。8:39ころ。
▲後ろを振り返ると、蓬ヒュッテもシシゴヤノ頭も大源太山も七ッ小屋山も巻機山も、目に飛び込んで来ました。8:44ころ。
▲枯れた花の残骸かもしれませんが、線香花火のようで美しくもありますよね。セリ科の植物だと思います。9:03ころ。
▲前を行くS子。S子の右に見える岩稜は一ノ倉尾根や堅炭尾根だと思いますが、確信は持てません。9:04ころ。
▲登山道脇にあった大岩にはこのような模様が。これも地球の営みで生み出されたのでしょうね。9:58ころ。
▲一ノ倉岳北西面に広がる笹原が不思議な色合いを見せていました。灰色がかった渋い金属光沢のような輝きです。10:14ころ。
▲遠くにうっすらと尾瀬の山々が見えていました。左から景鶴山2004m、燧ヶ岳2356m、至仏山2228.1m、笠ヶ岳2057.5mです。10:33ころ。
▲武能岳がだいぶん遠くなりました。茂倉岳山頂ももうすぐです。S子ももうひと踏ん張り! 10:55ころ。
▲茂倉岳山頂に到着しました。11:00ころ。ここで大休止です。
▲この山頂から360°の眺望を右回りで撮影しました。この6枚の写真はすべて11:25ころ。
一ノ倉岳の遠方に霞む山は上州武尊山2158.0mでしょう。
▲続いて右(西)方向へ転じます。手前の谷は万太郎谷の源頭です。S子ともかなり昔二人で遡行しましたし、2004年9月にはH原君、Y根君、S崎君と4人で遡行したことがあります。素晴らしい沢でした。オジカ沢ノ頭の右後方に連なる稜線は俎嵓(まないたぐら)山稜です。H原君とY根君が赤谷越から冬季縦走しています。
▲この稜線の向こう側には谷川本谷や赤谷川本谷があり、その支流も含めて遡行価値のある沢がたくさんあります。とりわけ、赤谷川本谷には行ってみたいと思っています。
▲今回、苗場山を眺め続けましたから、久し振りに苗場山へ登ってみたくなりました。
▲白毛門の後ろには尾瀬の山々が見えます。朝日岳のすぐ後方の平らな山は平ヶ岳ではないでしょうか? さらにその左側には奥利根や越後の深山が広がっています。
▲谷川岳の双耳峰。左のオキノ耳に突き上げている岩稜は東尾根でしょうか? それとも、滝沢リッジとかなんでしょうか? 無雪期の東尾根には数回訪れたことがあります。11:36ころ。
▲昨日は蓬峠以外では草刈りのおじさん一人にしか会いませんでした。今日の縦走路はそんなことはありませんが、茂倉岳からはたくさんの登山者と行き交います。向こうから十人以上の登山者が・・・・ 11:43ころ。
▲名前までは特定不能ですが、モグラの仲間だと思います。なぜ死んでしまったのでしょう? 11:51ころ。
▲一ノ倉岳山頂です。大きなドラム缶のような避難小屋があります。以前見た時よりも少し大きく、内部もすごく綺麗になっていました。昭和38年10月に群馬県警が地元や谷川岳と関わりの深い山岳会の協力を得て建設したようです。11:54ころ。
▲中央の岩稜は東尾根、その手前に見える大きなスラブが滝沢スラブです。11:57ころ。
▲一ノ倉谷の底を覗いてみました。中央にテールリッジが見えています。南稜や中央稜も見えていますが、南稜に数人のクライマーが見えました。12:45ころ。
▲一ノ倉谷の真向かいに白くひと筋の沢が見えます。この白毛門に突き上げている沢の名前は銭入(ぜにいれ)沢。ここから御賽銭を放ると届きそうな錯覚を覚える沢ですから、このような名前が付いたようです。12:59ころ。
この沢も四半世紀昔に遡行したことがあります。ザイルを出しにくいスラブが連続する緊張感ある沢です。詰めでスタンスとして使っていた土の塊がラストの僕の時にとうとう崩れてしまって、僕は背中を下に墜落してしまいました。普通でしたら死ぬところですが、何とすぐ下の、枝を横に張った木の上に、ドスン! 九死に一生を得るとはこのことです。
▲富士浅間神社の奥の院が祀ってありました。中宮は谷川温泉にあり、江戸時代より以前から信仰されていたようです。谷川岳は谷川富士とも呼ばれ、山頂からは富士山も見えるそうですから、納得! 13:18ころ。
▲驚きを通り越して呆れ果ててしまいます! 一ノ倉岳を過ぎてからはどんどん登山者も増えて来ていたのですが、オキノ耳の混雑ぶりは異常ですね。山頂からは休憩場所を求めて登山者が溢れ出ていました。僕たちは人込みを避けるように、少しも休まずに通過です。前を歩くS子が他の登山者からは浮いた存在に見えてしまいますね。13:23ころ。
▲トマノ耳手前からマチガ沢東南稜を登攀している3人パーティーが見えました。写真の中央付近のテラスで登攀終了させて、草付を登山道までトラバース気味に登って来ているようです。念のためにザイルは結んだままのようですね。13:33ころ。
このルートも、以前所属していた山岳会の会山行で登攀したことがあります。これも四半世紀以上昔の話ですが・・・・
▲トマノ耳山頂です。ここも逃げるように通過しました。13:41ころ。
▲肩の小屋です。ここで20分ばかり休憩し、飲み水を補給しました。500ccのペットボトルが400円だったと思います。それを2本。この値段には納得、有り難いですね。13:41ころ。
この小屋へも数えきれないほどの登山者が到着し、また出立していました。様々な人たちが来ているようです。今日は最高の登山日和ですからいいのでしょうが、天候が崩れたりすれば危うそうな人たちがいることも、会話の端々から感じられます。谷川岳は危険な山、魔の山なんですけれどね。谷川岳は岩登り事故のイメージが強いですが、記録されている最初の遭難事故は夏の縦走での疲労凍死だったと記憶しています。
▲計画では西黒尾根を下山する予定だったのですが、最近のS子は下りでダメージを受け易くなっていますし、時間的にも遅くなってしまいそうですから、天神尾根を下降しました。写真はロープウェイ駅です。15:36ころ。
ほぼ標準タイムで降りて来たのですが、本当はもっと早く降りられたはずなのです。というのも、あまりにも登山者が多く、自然渋滞が発生。山では初めての経験でした。登山道は幅広いので、遅い人が前にいても余裕で抜き去って行くだけのスペースはあるのです。でも、同じパーティーだったり、後ろに続く人たちもとりわけ抜き去って前に行きたがるほどの人たちではないようで、自然渋滞の最後尾に追いついた僕のような登山者たちは前方で何が起きているのかまったく分からない訳です。渋滞の先頭は見えませんから、何十人(もしかしたら何百人?)の登山者の列の横を追い抜いて行くのは相当の度胸が要るのですよ。
途中、長い自然渋滞の列が小さく分裂しました。僕の十人ほど前を歩く小母さんが僕の所属する集団の先頭になりました。その小母さんが木の階段の左側をえっちらおっちら歩いている隙にその後続の小父さんが階段から抜き去って行きます。その後ろの人も今がチャンスとばかりに走るように抜き去りました。そして次の人も。僕も小母さんが階段に戻る前に抜き去ろうと急ぎます。ギリギリで抜き去ることができました。でも、S子はアウト!
僕はその前の渋滞グループに追いついたのですが、S子が来ていませんから、そのグループを抜き去って行くことは出来ないのです。そのグループの先頭はでっぷり越えた男の人と女の人。その後ろには子供も2、3人います。
しばらくすると、S子も後方の渋滞グループから脱出して僕のところまで追い付いて来ました。でも、すでにロープウェイ駅のそばです。抜こうが抜くまいが時間的にはさほど差がありません。
天神尾根前半はまだまだグループごとまばらでしたから、遅いグループは道を譲ってくれました。でも、後半になると、遅いグループ同士が結合し、長くなり、なぜ渋滞になっているのか見通せなくなるのですね。車の渋滞と同じで、時々列が止まってしまうのです。山でまでこんなストレスは感じたくありませんよね。まだまだ人間修養が出来ていないと反省する小生でした。
ロープウェイで下に降りると、ちょうどすぐ出発するバスがあり、水上へ。「みなかみ町ふれあい交流館」で温泉に入り、帰路の電車に乗りました。