地震の年表(日本)によれば、日本の地震が初めて文字資料として記録されたのは、416年8月22日(8月23日)允恭5年7月14日の遠飛鳥宮(大和国/現奈良県明日香村)での地震で、『日本書紀』に記述されている。4-5世紀に仙台付近で巨大地震があったとされている。
2011年3月11日の東日本大震災の時、末の松山のある地域は津波による浸水を免れた。清少納言の父、清原元輔の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」に詠みこまれた末の松山の碑は、宮城県多賀城市付近に建立されている。歌の本意は人の心の果敢なさを詠んだものだが、末の松山を波は越さないと信じられ、津波が来たらここまで逃げれば大丈夫と言われてきた。
森下年晃は、『星地名』に縄文人たちの知恵・星地名について「発想の出発点の一つは新渡戸稲造の妙見信仰(星信仰の一つ)であった」とし、星地名の条件は、「縄文人が道しるべとなるランドマークを利用して、森や原野を自由に行き来する知恵を身につけていた。山と山を結ぶ直線がおよそ一点に集まるように設定すると、その生活圏のなかではどこにいても中心点に到達することができる巧妙な仕掛けを行なっていた」これが、星地名のモデルである。具体的には、星から派生したと考えられる言葉のついた、星、細、程、保土、保津、伏、臥、発地、最、堀、鳩、八斗、畑、旗、八、蜂、橋、端、箸、越智、落、乙、音、押、遅、市、石、五十、伊勢、磯、内、打、牛、臼、薄、碓、宇曽、堀、張、治、晴、二、渕、淵、吹、甲地、勝、甲子、郡、桑折、是、伊、折、町、待、餅、虫、越、櫛、串、楠、樟、糞、久慈、葛、足、明日、朝、浅、阿蘇などの文字を含む地名が星地名である。
文中では、地図上に星地名と神社などを記し、今後の地震災害予防に役立てて欲しいと述べている。
田牧久穂『元慶の乱・私記』は、東北からの大和政権への抗議だが、保立道久『歴史のなかの大地動乱』は大和政権からの災害対策への対応としての東北進出の事情説明である。8-10世紀の奈良盆地などは、相次ぐ地震と自然災害による旱魃で収穫物は払底し、豊かな産物のある土地と報告された北の地域へ兵を繰り出して、支配を強化したのである。
神奈川大学の「名所江戸百景と江戸地震データベース」は、安政の5年間に9回の巨大地震に見舞われた江戸幕府の災害復興の顛末を118枚の版画に託していることを種々の資料を分析し明らかにした研究である。
これら先人の残した警告を誰にでも分かる方法で、次代に引き継いでいくことが、私たちに託された使命である。
{参考文献}
森下年晃『星地名 縄文の知恵と東北大震災』無明舎出版
田牧久穂『元慶の乱・私記 古代秋田の住民闘争』無明舎出版
保立道久『歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇』岩波新書
神奈川大学21世紀COEプログラム「名所江戸百景と江戸地震データベース」
フリー百科ウイキペデイア「地震の年表(日本)」
2011年3月11日の東日本大震災の時、末の松山のある地域は津波による浸水を免れた。清少納言の父、清原元輔の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」に詠みこまれた末の松山の碑は、宮城県多賀城市付近に建立されている。歌の本意は人の心の果敢なさを詠んだものだが、末の松山を波は越さないと信じられ、津波が来たらここまで逃げれば大丈夫と言われてきた。
森下年晃は、『星地名』に縄文人たちの知恵・星地名について「発想の出発点の一つは新渡戸稲造の妙見信仰(星信仰の一つ)であった」とし、星地名の条件は、「縄文人が道しるべとなるランドマークを利用して、森や原野を自由に行き来する知恵を身につけていた。山と山を結ぶ直線がおよそ一点に集まるように設定すると、その生活圏のなかではどこにいても中心点に到達することができる巧妙な仕掛けを行なっていた」これが、星地名のモデルである。具体的には、星から派生したと考えられる言葉のついた、星、細、程、保土、保津、伏、臥、発地、最、堀、鳩、八斗、畑、旗、八、蜂、橋、端、箸、越智、落、乙、音、押、遅、市、石、五十、伊勢、磯、内、打、牛、臼、薄、碓、宇曽、堀、張、治、晴、二、渕、淵、吹、甲地、勝、甲子、郡、桑折、是、伊、折、町、待、餅、虫、越、櫛、串、楠、樟、糞、久慈、葛、足、明日、朝、浅、阿蘇などの文字を含む地名が星地名である。
文中では、地図上に星地名と神社などを記し、今後の地震災害予防に役立てて欲しいと述べている。
田牧久穂『元慶の乱・私記』は、東北からの大和政権への抗議だが、保立道久『歴史のなかの大地動乱』は大和政権からの災害対策への対応としての東北進出の事情説明である。8-10世紀の奈良盆地などは、相次ぐ地震と自然災害による旱魃で収穫物は払底し、豊かな産物のある土地と報告された北の地域へ兵を繰り出して、支配を強化したのである。
神奈川大学の「名所江戸百景と江戸地震データベース」は、安政の5年間に9回の巨大地震に見舞われた江戸幕府の災害復興の顛末を118枚の版画に託していることを種々の資料を分析し明らかにした研究である。
これら先人の残した警告を誰にでも分かる方法で、次代に引き継いでいくことが、私たちに託された使命である。
{参考文献}
森下年晃『星地名 縄文の知恵と東北大震災』無明舎出版
田牧久穂『元慶の乱・私記 古代秋田の住民闘争』無明舎出版
保立道久『歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇』岩波新書
神奈川大学21世紀COEプログラム「名所江戸百景と江戸地震データベース」
フリー百科ウイキペデイア「地震の年表(日本)」