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疫病との戦い

2020-04-23 20:57:17 | 記録
 1483年〜1487年に画家バルトロメオ・モンターニアが描いたと伝わっている「聖ロクスと聖セバステイアヌスのいる聖母子」は、イタリアのペルガモにあるアカデミア・カラーラ美術館が所蔵している。この絵を「疫病との戦い」に疲弊するの庶民への祈りの造形として紹介したのが、「紡ぐ」プロジェクトの特集記事である。「紡ぐ」プロジェクトは、傷みやすい日本美術の名品や地域の宝である文化財を修理し、後世に守り伝えて行くことを目指している企画である。修理助成事業と共に修理が終わった文化財の一般公開も行なっているのだが、残念なことに新型コロナウィルスによる肺炎罹患が全地球を覆う現在は、実施計画が中断している。

「ペストと聖人画」という題で、2020年4月5日(日)の読売新聞12版17面に
紡 <日本美を守り伝える> TSUMUGU 紡ぐプルジェクトの特集ページの左下に囲み記事として宮下規久朗神戸大教授(美術史)への聞き書きを掲載したものである。
 中世ヨーロッパを危機に陥れた感染症ペスト。救いの祈りが込められた西洋の絵画表現についての記事は、「ペストは、中世で度々流行した。特に、1347〜48年の歴史上類を見ない大流行は「黒死病」と呼ばれ、ヨーロッパ全域に広がった。
 キリスト教徒の間ではペストからの守護者として、聖人画が盛んに描かれた。
 特に患者救済に尽くした仏モンペリエの聖ロクス、3世紀のローマの士官だった聖セバステイアヌス、悪魔退治の伝説を持つ大天使ミカエルが有名だ。
 聖ロクスは、腿に自らの感染跡が描かれる。信仰を貫いた聖セバステイアヌスは、矢で射抜かれて処刑されても生きた不死身の姿から、守護聖人として表現される。大天使ミカエルは、6世紀にローマでペストが大流行した際、城の頂上に現れ、剣で悪疫を祓った姿を教皇グレゴリウスⅠ世が見て、流行が終息したとの伝説がある。
 この3者は組み合わせて祭壇画などに描かれ、病魔からの救済を願うお守りとされた。(談)」

 2020年の年頭から大流行の兆しをみせた新型コロナウィルスは、予防するワクチンの開発が進んでいない。それは、新型コロナウィルスの正体が分かっていないことがある。また、感染が分かって陽性判定を受けて対処療法を試みた後、陰性の判定を受けて通常の生活に戻っても陽性ー陰性ー陽性を繰り返す事例があることや発熱などの症状が出て、あっという間に死に至る事例もあり、年齢や既往症だけでは予後が判断出来ない難しさにある。これまでの風邪、インフルエンザ、肺炎などの呼吸器疾患とは違った経過を辿ることや症状の進行が予測出来ないことで治療方法の難しさとウイルスの性質がなかなか分からず感染経路が辿れないことも感染を広げている原因であるという。
 冬期に繰り返されている呼吸器疾患には、様々な治療法があり治癒する確率が高いのだが、新型コロナウィルスは、今のところ感染を防ぐための対処法が感染地を避けることである。感染後は、隔離して呼吸器疾患の対処療法を続けることであるから、感染しないことがまず第一の療法ということになり「三密」を奨励することになる。人と人との接触を避けることが必須条件で、「聖人画」を礼拝することもなな侭ならず、手で触れることが感染の原因になることから触って病気平癒を願うこともできないので、これまでとは全く違った対処をしなければならない。精神的にすがる対象が無い状態で疫病に耐えなくてはならないし、生業を投げうたなければならない状況の脱却を図ることが重要な課題だ。

オーロラと母衣打ち

2020-04-23 15:13:51 | 日記
 昨日のYahooトピックスに雉の母衣打ちがあったので、検索してみたらYuoTubeに動画が2件Upされていた。母衣打ちは、雄雉が縄張り侵入する雄雉を追い払うドラミングで、縄張り争いをする2羽は体を膨らませて大きく見せ、激しく羽を打ち鳴らして互いに譲らず時計回りに移動しながら相手を威嚇する。そして、時には、尾羽を扇状に開いて更に体を大きく見せる。
 秋田県秋田市寺内の古代官衙跡.秋田城内外には数番いの雉が生息していて、毎年親子が散策したり、砂浴びしたりしているところを目撃することができる。雄雉は、母子を見守りつつ縄張り内を移動している。
 秋田城跡では、雄の縄張りが冒されることが少ないのか、母衣打ちを見たことはなかったので、眼を見張った。
 さて、2020年3月19日の日本経済新聞には、「聖徳太子オーロラを見た?飛鳥時代、夜空に赤い扇型」という記亊が掲載された。キジが尾羽を広げたような扇型の赤いオーロラを聖徳太子が見たかもしれないと国立極地研究所国文学研究資料館などのチームが16日までに『日本書紀』推古天皇28(620)年の記述を分析して発表した。「天に赤気あり」「形雉尾に似れり」の記述に着目し、過去に観察されたオーロラは赤く扇型だったこと、世界各地のオーロラ観測から類推し、磁気嵐のあった時の日本でも天候に恵まれればオーロラが観測できたはずだと考えた。記事では、飛鳥時代の人々には身近だった雉が求愛の時に、雄は尾羽を扇型に広げて、雌にアピールする習性があることを知っていたので、赤いオーロラを雄雉の広げられた尾羽に例えたのだろうと述べている。極地研の天文学と国文研の国文学の共同研究の成果と考えられる。『日本書紀』の筆者は、1418年を経て自分の書いたことが、このような天文学上の説を証明する資料になることは考えても見なかっただろう。
 1287年前に創建された秋田城跡は、ニホンカモシカの親子や季節の花々、珍しいキノコなどが季節に彩りを添えている。しかし、今だ雉の求愛の姿を目撃したことはない。日本野鳥の会の観察ポイントになっている寺内の高清水公園には、まだまだ数々の謎が隠されていそうだ。