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黒ぼく土の作用

2020-09-14 21:55:36 | 記録
 黒ぼく土のもたらす恩恵を認識したのは、律令国家が定めた「牧」(軍馬や駅馬などを飼育する国営牧場)について知ったことによる。
 長良信夫氏の研究は、広範囲にわたっているが「明石人」や「明石ゾウ(アケボノゾウ)」の発見が特筆される事蹟であり、馬に関する研究も先見性が感じられる。それらは、『日本および東アジア発見の馬歯・馬骨』昭和46(1971)年、中央競馬会・『古代遺跡発掘の脊椎動物遺体』昭和47(1972)年、校倉書店によって東アジアで発掘された脊椎動物が家畜化されていたり丁重に葬られていたことを知ることができる。
 汗血馬は、1日に 千里を走り,疾駆すると血のような汗を出すといわれた中央アジアの名馬で、中国,前漢の太初1 (前 104) 年,将軍李広利が大宛 (フェルガナ地方) に遠征してもたらしたという西域(中央アジア)地方に産した名馬の一種で、前漢の武帝の時,張騫(ちようけん)の遠征によって西域に名馬のいることが中国に知られるようになった。中国では古来名馬を天馬と称しているが,《史記》の大宛列伝によると〈はじめ烏孫の馬を天馬と名づけたが,大宛の汗血馬を得てみるといっそうたくましく,そこで大宛の馬を天馬と称し,烏孫の馬を西極(せいきよく)と改めた〉と記されている。
 また、騎乗し胡服で戦って趙を軍事大国に押し上げた第6代の武霊王に慣い胡服騎射は、戦闘時の常識となっていく。
 移動のみならず戦闘や地域の消長に大きな影響を与えた馬は、火山灰地のもたらすミネラル分の多い土壌が育む草地の植物を食むことによって個体の維持をしてきたことが分かってきた。
 律令国家が定めた牧は、土地利用や人家の密集によって他の地域に移って行き、現在まで牧場としての機能を保っているのは「黒ぼく土」が広がっている北海道と東北北部である。
 平安時代に和歌に詠まれ貴族の垂涎の的となっていた陸奥(青森県六ケ所村)の「尾駁の牧」やこの2000年間で最大の十和田火山の大噴火(延暦寺「扶桑略記」延喜15(915)年8月)は、毛馬内火砕流につづく火山泥流が大館・鷹巣盆地を覆い尽くし「胡桃館」遺跡の牧と考えられる遺跡発掘のように「黒ぼく土」の牧が馬産地を担う機能を担っていたことを物語っている。
 幕末まで「黒ぼく土」の広い牧の経営を行ってきた北東北の南部・仙台藩の馬喰が索きのぼった馬が買い付けられ徳川幕府の「御馬」となるなど主要な馬産地の役割を長く担ってきた。
 火山噴火などによってもたらされる「黒ぼく土」は、半自然草原として様々な生き物との関わりが深く、また、自然発火や人による失火など人為的な要素も含め半自然草原は、生物の生存環境に深く関与してきたと考えられる。
 ミネラルの循環に関して「黒ぼく土」が担ってきた役割を再検討することが必要になってきてきたと考えている。