戦争に駆り出されてまともに高等教育を受けられなかった祖父は、
女は高校まで出せば十分だと考えていた。
一方、
女に教育はいらないという時代に女学校を出た祖母は、
娘であってもせめて短大へ行かせてやってくれと譲らなかったそうだ。
こんな祖母の後押しがあって、
勉強が苦手な母だったが、高校を卒業後都内の短大に進学した。
そして、短大卒業後は地元の私立大学に就職した。
就職といっても、
女は結婚が決まったら仕事をやめる、といういわゆる寿退職が当たり前の時代だった。
母から伝え聞いた話で一番恐ろしかったのは、
大学事務の職場でのセクハラが当たり前だったことだ。
「〇〇ちゃん、おはよう」
と言いながら、毎日の様に女性職員の臀部を触る男性上司がいた。
上司から女子職員へのボディタッチは日常茶飯事だったという。
それに対して、
「もう、部長ったら〜」
と笑いながらいなすのが女性職員のあるべき姿だった。
言葉のセクハラなどは、微塵も問題視されなかった。
ある時、
母は職場でふいに後ろに立った上司から、むんずと胸を鷲掴みにされた。
お尻を軽く触られる程度なら大人しく我慢していた母だったが、
その瞬間、顔を真っ赤にして、思わずその上司の頬を平手打ちにしたという。
すると上司は「減るもんじゃあるまいに」と捨て台詞を吐いてばつが悪そうにその場を去った。
その後、その上司は母を目の敵にし、無視するようになったという。
相変わらず、他の女性職員にはわいせつ行為を繰り返しながら。
体を触るといった明らかなわいせつ行為に対しても、
当時は「スケベおやじ」と形容するのが関の山だったという。
1970年代後半、「セクハラ」という言葉自体がまだ存在していなかった。