1981年生まれ、タカハシヨーコ

半生を振り返りました。名前は全て仮名です。
男尊女卑、毒親、毒母、シックマザー、不登校

女に免許はいらない

2022-01-06 08:45:00 | 日記

 

「車の免許を持っていれば、弟君をすぐに病院に連れて行けたのに」

 

なぜすぐに病院に連れてこなかったのか

と、火傷をした弟の主治医に責められた母は、

その後何年もこう嘆いていた。

 

祖父(母の父)は、母に車の免許を取ることを許してくれなかったという。

母の兄と弟は、18歳になると当たり前のように自動車学校へ通ったが

女である母だけは、免許を取ることが許されなかった。

車必須の田舎でも、当時は珍しいことではなかった。

 

今の時代では信じられないような話だが、

1950年代生まれの母の時代は

女に免許はいらない・女は運転すべきでない、と考える人が存在したのだ。

少なくとも祖父はそうだった。

 

結婚した母は、一度は教習所に通おうと考えたこともあるらしい。

しかし今度は、同居する義父母に許してもらえず、

子供が生まれるとそれどころではなくなってしまった。

 

「幼にしては父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫死しては子に従う」

どんなに理不尽なことであっても、

父・夫・義父母の言うことを素直に聞かなければ、女が責められた時代だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


女の子みたいな弟と、可愛くない姉 〜ルッキズム〜

2022-01-04 09:28:00 | 日記

母似の弟は、私とは違って、小さい頃から周りから可愛いねと褒められた。

「パッチリした目だね」「女の子みたい」

一方、父に似た私はお世辞にも可愛いとは言えない容姿の子供だった。

 

3歳だった弟は、母の不注意で沸騰したてのお湯をまともにかぶってしまった。

入院は数ヶ月に及び、

退院後も通院や手術を繰り返した。

 

顔にお湯がかからなかったのは不幸中の幸いだったが、

弟の手足には、大きなケロイドが残った。

 

看病疲れと、幼い子にやけどを負わせてしまった罪悪感で、母は精神的に追い詰められていた。

 

「お母さん、弟くんが入院してる時

病院の窓から飛び降りちゃおうかと何度も思ったの」

と、幼い私に母は語った。

 

また繰り返し母が言っていたことがある。

 

「やけどをしたのがヨーコちゃんじゃなくて良かった。

男の子ならケロイドもズボンで隠せるけど、

女の子だったらスカートも履けなかったし。

お嫁にいけないかもしれないもん」

 

子供だった私はそれを聞いて、悪い気持ちにはならなかった。

少なくとも、大やけどを負ったのが自分でなくて良かったと母が言ってくれているのだから、

弟に申し訳ない気持ちになりながら、

微かに、背徳的な嬉しさを感じていた。

 

母の発言の本質に気付くのは、その何十年も後のことだった。

 

 


大やけど

2022-01-02 08:58:00 | 日記

私が小学校に入学する前、事件は起こった。

 

3歳になる弟が大やけどを負ったのだ。

 

ある日

母は、沸かしたヤカンのお湯を、テーブルの上に置いてあるポットに注ごうとしていた。

その際に母の手元が狂って、

テーブルの椅子に座っていた弟の身体に熱湯をかけてしまった。


弟は泣き叫び、母はパニックに陥った。

 

平日の昼間で、父は仕事で不在だった。

近所に病院はなく、母は車の免許も持っていなかった

身体を冷水で冷やしながら、すぐに救急車を呼ぶべきレベルの大火傷だったが

母は救急車を呼ぶことを躊躇ってしまった。

 

母の脳裏にまず浮かんだのは、

(敷地内同居している)舅と姑に何て言えばいいんだろう!

救急車を呼べば、近所の人に自分が子供に火傷を負わせたことを知られてしまう!

ということだった。

 

母はお風呂場で弟の身体にシャワーをあてながらも、パニックになりしばらく何もできなかった。

 

弟の火傷は重症で、病院へ行くと即日入院となった。

医師からは、

なぜ直ぐに救急車を呼ばなかったのか、

もっと流水で冷やさなかったのか、

と責められたという。

そうすればここまで重症にならなかったかもしれないと。

 

幼い弟は一年近くに及ぶ入院をし、

形成手術を繰り返すことになる。

 

母は罪悪感から自分を責めるようになり、少しずつおかしくなっていった。


小さな恋

2022-01-01 19:03:00 | 日記

幼稚園の頃、大好きな人がいた。


私より背が高い。

私より力が強くて、腕も太い。

私より色々なことを知っている。

何かに集中すると鼻息が荒くなる。

手の込んだ、ファンタジックな嘘をつく。

誰に対しても優しくて、正義感が強い。

くしゃっと笑う笑顔がかわいい。

そんなミユキちゃんが大好きだった。


幼馴染のミユキちゃんと一緒にいると、時間を忘れるほど楽しかった。

二人の世界を分つ、夕方5時の鐘が恨めしかった。


幼稚園の年長になり、

彼女と、もう一人の友達ヒロコちゃんが、

なにやらコソコソと話す事が多くなっていた。

私には教えたくない二人の秘密があるようだった。


後からわかったのは、

二人は幼稚園のある男の子にラブレターを書いていたのだ。


衝撃だった。

その頃の私は、男の子にいじめられていたこともあり、

異性を好きになるという感覚が全く理解できなかった。

ミユキちゃんがヒロコちゃんと仲良くしてるだけでも、嫉妬心で勝手に傷ついていたのに、

男の子が好きだなんて。

ショックで目の前が真っ白になった。


楽しそうにラブレターにセロテープで匂い玉を貼り付けている、

ミユキちゃんとヒロコちゃんがとても大人に見えた。


その横で、手持ち無沙汰な私は匂い玉の香りを嗅いでいた。


なんともいえない臭いがして、胸がキリキリと痛んだ。




幼稚園でのいじめ

2022-01-01 08:17:00 | 日記

幼稚園に行くのが嫌だった。

どうしても送迎バスに乗りたくなくて、冬の朝はこたつに潜って篭城した。

コタツの足をしっかり掴んだ私を、母は引っ張り出すことができず、

最終的に祖父に力任せに引きずり出された。


執拗に一人の男の子から虐められていたのだ。

私が内向的で自己主張のできない子供だから狙われたのだろう。

タツノリ君という男の子から、揶揄われたり暴言を吐かれたり殴られたりしていた。


母に、幼稚園でタツノリ君にいじめられていると主張することができたものの、


怪我をして血を流したり、あざができたりしたわけではなく、頬の引っ掻き傷程度だったので、

よくあることと園の先生も助けてくれなかった


ある時、母は言った。

タツノリ君はね、ヨーコちゃんのことが好きなんだよきっと。


…それを聞いて、心に湧きあがったのは気持ち悪さだけだった。


自分の辛さを理解してもらえないだけでも辛かったのに、

世界で一番大嫌いな奴が、自分を好いているだなんて、

子供の頭では全く想像できなかった。


そのうち、大人に訴えても意味がないのだということを学習した。

そして、いつのまにか虐められている自分が悪いのだと思うようになっていた。