こんにちは・・(^◇^)
朝は、生温い感じでしたが、11時ごろから、強い日差しになり暖かくなってきたので、部屋の空気を入れ換えることにしました・・(^◇^)
今はサンタが脱走中なので、サンタが入ってはいけない部屋に気を使わなくていいからです・・(^◇^)
ーますます訪ねたくなる奈良の寺の「東大寺 大仏殿の裏側 2-
大仏殿を見守る、江戸復興の功労者・公慶を祭る公慶堂の前半をアップしますね・・(^◇^)
大仏池まで来ると一気に視界が開けて、ここからの眺めは、大仏殿が池に映り東方に若草山も望めます・・(^◇^)
南大門から大仏殿に至る定番ルートとは、また一味違いますよね。
大仏殿の西側の階段を下がると指図堂を越えた所に勧進所があり、その中に公慶堂が建つ。
江戸時代に古都奈良の文化財の東大寺復興に生涯をささげ公慶を祭っているんですね。
1567年に松永久秀の永禄の兵火の後、大仏の頭部や胴体は修理、大仏殿には仮堂が建てられましたが、1610年の大風で、仮堂も倒壊。
公慶が、13歳で、東大寺に入寺した時は、露座のまま雨に打てれている大仏を目にして、大仏殿の再興を決意し、1684年から復興のため勧進を始めるが、江戸幕府から許可は下りるも、当初は協力も支援もなかったんですね。
かって、鎌倉時代の重源が勧進の時に使っていた勧進杓や鉦鼓を手に、諸国を守り、志ある者に、「一紙半銭」協力をして欲しいと喜捨を訴えたんですね。
そんな思いが民衆の心を動かし、1691年に大仏の修復は完了し、翌年に、大仏開眼供養会が行われ、公慶は7年ぶりに横になって眠ったんですね。
それまでは、座りながら?眠ったんですね。
しかし、休む間もなく、公慶は、つぎは、大仏殿の再建だと江戸に向かったんですね・・(^◇^)
続きはまた明日に・・(^◇^)
時々サンタ猫が、私の動きに合わせて、玄関の網戸越しや、居間の踏み石の上で、か細い声で鳴きながら、うろちょろし始めましたね・・(^◇^)
布団を干して、洗濯でもしますね・・(^◇^)
今日も良い日でありますように・・(^◇^)
転害門から、公慶堂までは、約580m