こんばんは・・(^◇^)
ますます訪ねたくなる東大寺と言うサイトを見つけましたので、それに加筆しながら、シリーズでアップしますね・・(^◇^)
ー今回は修二会と古都奈良の文化財の東大寺の二月堂ー
修二会は、現在は11名の練行衆が人々に代わって、本尊の十一面観音菩薩に祈りを捧げ、懺悔の行を勤める。
配役の関係は分かりませんが、11名と違う人数の時もあったようですね。
春迎えの法会として旧暦二月に勤修されることから「修二会」と呼ばれ、それが行われる堂宇なので「二月堂」と呼ばれるようになったんですね。
修二会が連綿と続けられたことで、十一面観音菩薩への信仰心も高まり、参詣者も次第に増加する中で13世紀前半にかけてお堂の三面や礼堂に庇がつけられるなど、二月堂は拡大したようですね。
その後、1180年の「治承の兵火」、1567年の「永禄の兵火」があり、東大寺の多くの堂宇は罹災するが、二月堂はこれら二度の兵火も免れたのに、1667年の修二会中に内陣から出火し、二月堂は本尊を残して焼したんですね。
江戸幕府からの援助により、現在の姿に再建されたんですね。
二月堂の手前の左右(南北)には堂へと通じる2つの階段がある。
北は、廻廊がついて、おたいまつが上がってきて、舞台で、揺すられるたいまつに熱狂しますよね・・(^◇^)
案外南の階段には、下の三段と上の三段に石に模様が入っているのに気付く人は少ないですよ。
東大寺の実忠僧侶が、天上界の行法を人間界でもやりたいという思いで、階段に思いを託したのかも?
一度じっくりと見てくださいね。
二月堂は国宝だが、吹き放ちの舞台などの外観を24時間いつでも拝観できることもあって、朝夕散歩で立ち寄る地元の方の姿も多く、暮らしと歴史が溶け合うその光景には、奈良が持つ懐の広さ、大らかさが現れていますよね。
さらに、先ほどの天上界の行法を修二会においてさまざまな作法を行うために特化されており、一般的な仏堂建築とはかなり異なり、堂内の構成は複雑なんでしょうね。
正面は吹き放ちの舞台で見晴らしよく、大仏殿はもちろんのこと、奈良の町並みや大阪府との境をなす生駒山系の山々までが一望できる。
特に夕暮れ時に夕日が沈む夕景は、ため息が出るほど美し句、そのためだけに写真を撮りに来る人が多いですね。
明日も良い日でありますように・・(^◇^)