こんにちは・・(^◇^)
ますます訪ねたくなる東大寺と言うサイトを見つけましたので、それに加筆しながら、シリーズでアップしますね・・(^◇^)
東大寺に塔があったことを知る人は少ない。
しかし奈良時代、時の天皇によって創建された大寺だの大伽藍に、塔が建てられなかったはずがない。
東大寺にはかつて、東塔と西塔という七重塔が並び建っていたし、その高さたるや、実に100m近くあったとも言われています。
この一部の宗麟が、大仏殿を拝観して、東側の出口を出ると小高い東北に20m程の所に塔の上にある相輪があります・・(^◇^)
これは大阪万博に展示されたものをここに奉納されたものなんですね・・(^◇^)
これを見ても、大きな塔だったことが分かると思います。
そんな党の形と配置を見たい人は、大仏殿の大仏さんの後ろの西北のところに創建当初の配置模型がありますよ・・(^◇^)
現在の大仏殿の高さは46.1mだから、そのほぼ2倍の塔が、驚いたことに2基建っていたのである。
東塔は753年〜764年ごろに完成したとみられる。しかし1180年、治承の兵火により焼失する。その後、1127年?に再建されるも、1362年の落雷で再び焼け落ちてしまった。
この記事は年代的に変ですね?・・(^◇^)
東塔跡には現在、土壇のみが残理、礎石は持ち去られてしまっている模様ですね・・(^◇^)。
東大寺は2010年、東塔再建に向けた発掘調査を数年内に開始すると発表した。将来、もし再建されることになったら、東塔はきっと、奈良の新たなシンボルになることだろうと・・
今年の七月から東大寺、奈文研、橿原考古学研究所が、東塔跡を中心に10年かけて、発掘調査を始めていますね・・(^◇^)
だから、今年は、東塔跡は紅葉の綺麗なところですが、発掘調査をで、綺麗なポプラ?の黄色い絨毯は見れなくなるんでしょうね・・(^◇^)
調査後、再建というと、100年後の楽しみなのかなあ?
ある別当の講演会でそんな話を聞いたように思います・・(^◇^)
書いている私は勿論これを読まれた皆様も、見ることはできないでしょうね・・(^◇^)
昼食を終えて、サンタ猫の母親に餌をやりましたが、サンタは兵糧攻めです・・(^◇^)
お腹が空いてきたのか、一時間ごとぐらいに居間のガラス戸の前で、鳴いています・・(^◇^)
では、またね・・(^◇^)
ますます訪ねたくなる東大寺と言うサイトを見つけましたので、それに加筆しながら、シリーズでアップしますね・・(^◇^)
東大寺に塔があったことを知る人は少ない。
しかし奈良時代、時の天皇によって創建された大寺だの大伽藍に、塔が建てられなかったはずがない。
東大寺にはかつて、東塔と西塔という七重塔が並び建っていたし、その高さたるや、実に100m近くあったとも言われています。
この一部の宗麟が、大仏殿を拝観して、東側の出口を出ると小高い東北に20m程の所に塔の上にある相輪があります・・(^◇^)
これは大阪万博に展示されたものをここに奉納されたものなんですね・・(^◇^)
これを見ても、大きな塔だったことが分かると思います。
そんな党の形と配置を見たい人は、大仏殿の大仏さんの後ろの西北のところに創建当初の配置模型がありますよ・・(^◇^)
現在の大仏殿の高さは46.1mだから、そのほぼ2倍の塔が、驚いたことに2基建っていたのである。
東塔は753年〜764年ごろに完成したとみられる。しかし1180年、治承の兵火により焼失する。その後、1127年?に再建されるも、1362年の落雷で再び焼け落ちてしまった。
この記事は年代的に変ですね?・・(^◇^)
東塔跡には現在、土壇のみが残理、礎石は持ち去られてしまっている模様ですね・・(^◇^)。
東大寺は2010年、東塔再建に向けた発掘調査を数年内に開始すると発表した。将来、もし再建されることになったら、東塔はきっと、奈良の新たなシンボルになることだろうと・・
今年の七月から東大寺、奈文研、橿原考古学研究所が、東塔跡を中心に10年かけて、発掘調査を始めていますね・・(^◇^)
だから、今年は、東塔跡は紅葉の綺麗なところですが、発掘調査をで、綺麗なポプラ?の黄色い絨毯は見れなくなるんでしょうね・・(^◇^)
調査後、再建というと、100年後の楽しみなのかなあ?
ある別当の講演会でそんな話を聞いたように思います・・(^◇^)
書いている私は勿論これを読まれた皆様も、見ることはできないでしょうね・・(^◇^)
昼食を終えて、サンタ猫の母親に餌をやりましたが、サンタは兵糧攻めです・・(^◇^)
お腹が空いてきたのか、一時間ごとぐらいに居間のガラス戸の前で、鳴いています・・(^◇^)
では、またね・・(^◇^)