昨夜に腹冷えしたのか、今日は下痢が止まりません?・・(;一_一)
外出しなくて良かったと思います。
今日は一寸サイトで、快慶の仏像を一度追ってみようと思います。
生没年や出自は明らかでない快慶は、鎌倉時代に活動した奈良仏師で運慶とともに鎌倉時代を代表する奈良仏師の一人だったんですね。
この流派の仏師は多くの人が名前に慶の字を用いるところから慶派と呼ばれ、快慶は安阿弥陀仏とも称していたんですね。
繊細な作風は、その理知的、絵画的で「安阿弥様」(あんなみよう)と呼ばれて三尺前後の阿弥陀如来像の作例が多く、在銘の現存作も40体程確認されて多いんですね。
快慶の史料上の初見は1183年の「運慶願経」の巻八の末尾の奥書に結縁者の一人として「快慶」の名が見うけられるんですね。
「運慶願経」とは、運慶工房の奈良仏師・運慶が願主となって制作された法華経で、全8巻のうち巻一は亡失、巻二から巻七が京都・真正極楽寺蔵、巻八が個人蔵(ともに国宝)となっている。
快慶の作品で、現存する作品のうちもっとも古いものはボストン美術館蔵の弥勒菩薩立像で1189年の作で、この作品には、理知的な表情、細身の体型、絵画的に処理された衣文など、快慶の特徴的な作風がすでに現れているんですね。
現存する2番目の作品である醍醐寺三宝院弥勒菩薩坐像の1192年の作品からは「巧匠アン阿弥陀仏」(「アン」は梵字)と銘記するようになったために多くの仏像が確認されたんですね。
快慶風の様式の仏像を「安阿弥様」というのはこれにより、この銘記は快慶が法橋(僧官では、律師の相当)の僧位に任じられる1203年まで続くことになるんですね。
快慶は日本の中世以前の仏師の中では例外的に多くの作品に銘記を残しながら自ら「巧匠」と名乗っていることから、快慶は「作者」としての意識の強い仏師であったことがうかがわれ、また「アン阿弥陀仏」と称し、阿弥陀如来像を多数残していることから、熱心な阿弥陀信仰者であったことが窺えるんですね・・(^◇^)
明日からは、それと関連する仏像と寺を探しながらアップしますね・・(^◇^)
3時からは、ABCラジオの武田和歌子さんかなあ?
元気な声を聞きつつサンタ猫とゆっくりしますね。
今日も良い日でありますように・・(^◇^)