薬屋さんでトランシーノ効かなかったな〜とまた見ていたら、店員さんが寄ってきて
シミならこれ
とオススメしてくださいました。
聞いたら、やはり一ヶ月じゃ効果はでませんよーって。
半年飲んでシミが薄くなったという報告があります。
継続が大事ですよー。
だって。
一生飲み続けないといかんのかいな。
シミはレーザーで取っちゃうのが手っ取り早いかな。
やった事がありません。
先日YouTubeで興味深いお話しがありました。
都市伝説ですけどね。
鎌倉時代の終わりは、後醍醐天皇が倒幕計画を立て、それに呼応した足利尊氏と新田義貞がそれぞれ六波羅探題と鎌倉幕府を倒しました。
その結果後醍醐天皇が政治を行う事になりましたが、武士たちにはうけいれられませんでした。
そこで、足利尊氏が周りに担ぎ出されて後醍醐天皇側を倒し、武士が政権を取り戻しました。
ただ、武士が担ぐ朝廷が必要で、足利尊氏は持明院統(北朝)の天皇をたてます。
後醍醐天皇(大覚寺統)は政権をあきらめずに、奈良で南朝をたてます。
これが南北朝時代ですね。
皇族は鎌倉時代に持明院統と大覚寺統に分かれてしまいました。
鎌倉時代は交代で天皇をたてていたのですね。
結局後醍醐天皇(南朝)が崩御されて、それ以来北朝の天皇がたたれているらしい。
でもですよ。
ここからがユーチューバーの方の考えです。
明治天皇がたたれる時に、南朝に切り替わったんじゃないの?ってね。
西郷隆盛たち幕末の志士は南朝の皇族を保護していたかも。
ずっと北朝の天皇陛下だったけど、明治維新のどさくさに紛れて南朝の方をたてたんじゃないかって。
そのユーチューバーさんはいろいろな根拠を示しながら考えを語っていらっしゃいます。
後醍醐天皇(南朝)に忠誠をたてて仕えていた楠木正成。
楠木正成は武士たちにものすごい人気があったそう。
西郷隆盛たちも楠木正成を尊敬していて、南朝に心を寄せて、南朝の皇族を匿っていたと。
そして明治天皇をたて、南朝を復活させたんじゃないかってね。
それを示しているのが、皇居にある楠木正成像。
(七里ヶ浜のおちゃパイセンが以前ブログに楠木正成像をアップされていました)
南朝を盛り立ててくれてありがとうと楠木正成像をたてたんじゃない?
というYouTubeでした。
そこでわたくし、
気ぃづいちゃった 気ぃづいちゃった
わーいわい🙌
鎌倉にあります
鎌倉宮
これは明治天皇が建てた神社であります。
祭神は後醍醐天皇の御子息
護良親王!
護良親王は、足利尊氏の弟、足利直義に鎌倉で殺されたのです。
明治天皇が、後醍醐天皇(南朝)の皇子、護良親王を悼んで鎌倉宮を建てたのは、ご自分も南朝の血をひいていらっしゃるからじゃないのー?
ってね。
今回は歴史の裏側を紐解いてみました。
あくまでも都市伝説ですけどね。
あーあ
学生の時に今くらいの鎌倉の知識があれば、歴史でもっといい成績が取れたかも⁈
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