日常のあれやこれや

日記ブログでございます。内容は多岐にわたります。

お祭りの おあとの一杯 メガジョッキ🍺

2023-10-31 06:04:00 | 鎌倉

一昨日あたりから
六時間以内のアクセス関係が
反映されなくなっています。
バージョンアップしたり、
再起動をかけたりしてもダメ。
無料でgooブログを使っているから
文句は言えませんけどね。

一昨日の円覚寺洪鐘祭の後
北鎌倉駅は大混雑するので、
大船まで歩きました。
20分くらいかな。

ちょうどお昼時
人々がお店に並んでいます。
海鮮旨いもの屋
海福本店さん
右隣は洋食屋さんでこちらも並んでいる。

でも意外とすぐ入れました。
夫と私はメガジョッキ行くよ〜w

るんるん🎶
一番搾り〜💛

私は海鮮フライとマグロぶつ切り定食


夫はマグロ丼にアジフライを追加



娘はお寿司15巻盛り❗️
アジフライ付きです。
すごっ😂

娘は私のフライやお米もつまんでいたし
さすがにこれは食べきれず、
夫が残ったぶんを食べました。
よく食う家族だよぉ😅

でもおデザも必ず食べる。


ほうじ茶ソフト、美味しい!

腹ごなしのために
常楽寺まで歩きました。

常楽寺の上の公園から入りました。

いい歳こいて
人がいないと遊具で遊ぶ
江戸の秋😂

木曽義仲の嫡男
義高のお墓
お供えがきちんとしてありました。

千羽鶴が近くの木に下げてありました。


粟船山(ぞくせんざん)常楽寺



開基の3代執権
北条泰時のお墓があります。


古いお墓です。

仏殿の天井画
狩野雪信(女性)が書いた
雲龍図です。

この雲龍が毎日夜になると
水を飲みに出かけるため、
お堂がミシミシと鳴って困っていた。
そこで出歩かないように
その両目を塗り潰したところ、
音がしなくなったという
逸話が残されています。
改めて眺めてみると、
なるほど
目には瞳が書かれていません。
毎晩ミシミシは嫌だけど
雲龍かわいちょう😢

ー洪鐘祭りに関連してー
こちらの梵鐘は国の重要文化財で、
建長寺の梵鐘(国宝)
円覚寺の洪鐘(国宝)
とともに
鎌倉三名鐘といわれています。
この常楽寺の梵鐘が
鎌倉市最古の鐘ですって。

鎌倉は楽しいな〜🎶


昼間たーんと食べたのに
夜またこってり。
アヒージョを夫が作ったよ〜ん😓

この小さなスキレット
一杯強を三人で食べて
もう食べられん
満腹だよ‼️
でも美味しかったです♪




ではまた明日〜バイバイ👋














国宝の 円覚寺の鐘 お祭り🔔

2023-10-30 05:51:00 | 鎌倉

60年に一度と言われる
北鎌倉は円覚寺の
洪鐘祭に行ってきました。


たまに撮り鉄シリーズ


北鎌倉の駅周辺はすごい人たち。

円覚寺に入るのに、
今日は2千円ですって‼️

入らなかった〜。

まずは建長寺を出発して
小袋谷交差点までパレード



円覚寺の管長
横田南嶺さん




あれ?これだけ?
あっさりしています。

そして少し休憩して
小袋谷交差点からまた引き返してきます。

今度は華やか










また横田南嶺さん


一番見たかった面掛行列







おかめのお腹に触ると
安産になるって。
↓娘も将来のために触りました。


お面が少しこわい。









最後は武将の方々がゴミを拾いながら歩いてきました。



日陰で、少し遠くてわかりづらい写真
失礼しました〜。

60年に一度。
もう次回は見られないお祭りを見られて
良かったです。


また明日〜バイバイ👋






花壇には 夏のお花が 頑張れり🌼

2023-10-29 04:55:00 | ガーデニング

↑情熱の赤いバラがまた開き始めました。
今回は少し黒みがかかったような深い赤。

なかなか咲かなかったジニアも開いてきました。

たくさん蕾があります。
どんどん咲いて欲しいな。

パンジービオラを少し買ってみました。
パンジーとある割には花が小さい。
でも可愛い❤️
マーマレードにレモネードだって。
きれいにまとまるですって
嬉しいねぇ😃
真ん中は名も無いビオラ。

早く植え替えてあげなきゃね。
花壇に植えたいけど、
まだ夏の花が頑張っていて
抜くのがかわいそうだしな〜。
どないしよ?


シレネピンクパンサーの
ごぼれ種がわんさか芽を出しました。

ギャッ‼️
ナメクジがいたのに気づかず
触っちまった
キモッ🥶
他の場所にもたくさんあります。
シレネ長者じゃぁ〜
ウハハハハ😆

シレネピンクパンサーって
植えているお宅は種がたくさん飛んで、
道路の隙間から花が咲いたりしているのを
よく見かけます。
うちもシレネで溢れかえったらいいな🎶

つるレーゲンスベルグ
春みたいにたくさんは咲かないけど。
花弁の裏が白いのがまた可愛くて💕


こんな薄い色もあります。

我が家で秋に咲くバラは
情熱の赤いバラとこれだけです。

新しい肥料を買ってみました。
YouTubeの
趣味の園芸やっちゃんねる
でおすすめされている
微粉ハイポネックスです。
効き目のほどは如何に?


さーやろうと思ったら
雷⚡️
でも雨は降っていないし
薄日もさしているから
続行。

はー全部やらないうちに
雨がぽつりぽつりん☔️
続きはまた次回にしましょう。


昨日の平家物語
敦盛と熊谷にちなんで
ガバオさんがコメントで
アツモリソウとクマガイソウがある事を
教えてくださいました。

クマガイソウは、ラン科アツモリソウ属に分類される多年草の1種。大きな花をつけ、扇型の特徴的な葉をつける。 和名の由来は、アツモリソウともに、膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った母衣に見立て、源平合戦の熊谷直実と、一ノ谷の戦いで彼に討たれた平敦盛にあてたものである。
Wikipediaからお借りしました。



百合が原公園のホームページより 





また明日〜バイバイ👋









敦盛を 心ならずも 討ちにけり 直実悔ゆる  息子想いて😭

2023-10-28 05:28:00 | 読書


吉川英治さんの新・平家物語
敦盛
の続きです。

源平合戦、一ノ谷の戦いが始まります。
有名な鵯越の坂落としの場面ですね。

後白河法皇は、
源氏と和議せよ。
二月八日までは源氏に攻撃するなと
伝えてある。
八日に和議の院宣を出す
と平家に嘘を言ってきます。

平家は、八日までは戦は無し
と油断していますが、
後白河院は、
七日の朝に総攻撃をかけよ
と源氏に言ってあるのです。
ひどいわ〜
日の本一の大天狗!

はたして、源氏の攻撃に
慌ててたじたじになってしまった平家。
次々と平家の公達は討たれてしまいます。
敦盛を温かく迎えてくれた
兄の経正も、敵に囲まれて
自害してしまいました。

安徳天皇を乗せた御座船は
屋島へと退却していきます。
敦盛は、叔父の忠度に
御座船を追って船に乗り、
安徳帝をお守りしなさい
と言われて、海岸へ出ました。

味方の船がもう出発していますが、
馬に乗り泳げば間に合いそうに思って
海原を泳ぎ始めます。
でも、近くに見える船にぜんぜん追いつけません。
そうしている間に
源氏側の武将、熊谷直実に見つかります。
直実に
おーい!返せ 返させ給え
と呼ばれ、
敦盛は諦め陸に上がってきます。
熊谷直実は木曾義仲退治からこちら
武勲を挙げていない事に焦っており、
これは良い敵とばかりに
名のりをあげます。
そして敦盛に名のれとせまりますが、
敦盛は名のりを返しません。

そして一騎打ちが始まりますが、
直実に勝てず、
敦盛は首を掻き切られそうになります。
でも、敦盛の顔を見たとたん、
直実は切る事ができなくなりました。
敦盛の余りな可憐さ、美しさ。
「あわれ、まだうら若さよ」
と、同じ年ごろのわが子を
思い出してしまったのです。

直実は
助けて参らせよう。おん名を名のらせい。
と、敦盛に言うが、
敦盛は
「あなたは源九郎義経殿の家来か?」
と聞きます。
そうだと答えると、
敦盛は
「ならば、我が名はお主の九郎殿に問い給え」
と。
「えっ、九郎殿と、お知り合いか」
「いや、知らぬ、敵の大将、親しいはずはない。けれど、義経どのの侍に討たるるは、いささか本望。なんじにとっても、このわれは、よい敵ぞや、首を取って、義経どのの前に供えよ」

そうこうしている間に
源氏の味方がやってきてしまい、
直実は敦盛を斬らざるを得ず
敦盛の首級をあげました。

熊谷直実は敦盛の着ていたひたたれの袖と
大事そうに持っていた一管の笛も取って、
武勲をあげたにもかかわらず
全く闘い疲れた容子で
得意な風などどこにもなく
引き上げました。

九郎義経は、
この首は敦盛殿であろうと思ったが、
捕虜になっている
敦盛のいとこ、平重盛に確認しました。
やはり敦盛でありました。

後に熊谷直実は義経に願い出て、敦盛の袖と笛を請い受けました。
そして、敦盛の父の経盛に
手紙と共に送りました。

「私も人の子の親であるのに、
親ある人の子を討ってしまった。
敵とは言え、あなたも子をなくして辛いでしょう。
息子殿の形見を受け取ってほしい。
そしてあなたの手でお弔いをしてもらえれば乙子の君も喜びましょう。
南無阿弥陀」

敦盛の父、経盛は
「ありがたい情けだ。
そのような侍に討たれたなら
せめて我が家の乙子が倖せと申すもの」
と涙ながら経盛も、
直実の好意を心から喜んだといいます。

熊谷直実は
ほとほと武門に嫌気がさして、
出家したのでした。


平家の若き美しき公達が
戦場に散るだけでも悲しいのに、
そこに父子の情愛を投影したこの場面、
能や浄瑠璃、歌舞伎で
この『敦盛』が続々と作られました。

なんとも切ない情景に胸をかきむしられた
新・平家物語の一場面でした。

まだまだ新・平家物語は続きます。
また私の心に刺さる場面が出てきたら、
みなさんにご紹介しようと思います。


また明日〜バイバイ👋





嗚呼哀し 敦盛の君 新・平家🥺

2023-10-27 07:00:00 | 読書

吉川英治さんの新・平家物語
心に刺さったシーン
第二弾です。

平家の公達
平敦盛は
平清盛の弟、経盛の乙子(末っ子)
です。
兄に経正と経俊がいます。

敦盛は四国の屋島でとどまっいる平家の陣を抜け出して
もうこれが最後の逢瀬になるだろうと、
無理をして都にいる恋人の元を訪れます。

人に見つからないよう、
女物の被をかぶって姫の屋敷を出たところで、源義経に見つかってしまいました。
敦盛はまだ十六、七の美少年。
平家の人間だとは知れましたが、
名前を名乗りません。
恋人に会いに来たと正直に答えるこの少年を哀れと思い、
九郎義経は逃してあげます。 
敦盛は恋人の手紙と女物の衣を置いていってしまい、
九郎は
平家の敦盛殿と知ります。

弁慶たちに船着場まで送られながら、
敦盛は
あの方はどなた?
と聞くと
かの殿こそ、鎌倉殿のおん弟九郎の君ぞ
との答え。

屋島では敦盛がいないと大騒ぎになっています。
父の経盛は優しい人。
他の平家一門の手前、
苦渋の選択でしたが
陣抜けした敦盛は勘当。
家に入れるなといい残し、
摂津に向けて出発してしまいます。
次男の経俊は
根っからの武将魂を持った人。
「乙子、乙子と甘やかすからこんな事になる」
と、にべもありません。

平家が屋島を出て、淡路はるかな戦陣に向かってしまったとは知らない敦盛。
帰宅したら家来どもが家に入らせません。

長男の経正は父に後陣に加えてほしいと頼み込んで、
残って敦盛の帰りを待っていました。
今なら二位ノ尼君のお船を守護していく
後陣に間に合います。
敦盛は兄に死んでお詫びを
と言いますが、
兄はそれを許さず連れていきます。
その時に詠んだ歌

ひとはみな、いくさにいでし、仮の屋に、
 梅ばかりこそ

ここまで兄の経正が詠み、
敦盛に続けさせます。

「春を知るかな」

梅ばかりこそ、春を知るかな

哀しい響きです。


二月四日は平清盛の命日。
平家一門が輪田ノ岬(今の神戸市兵庫区)
みな集まり、
法要をとり行いました。

清盛は管弦が好きだったので、
二位ノ尼(清盛の正妻)の主導で
管弦を催す事になりました。

一門の各楽器の名手が選ばれます。
建礼門院(清盛の娘で安徳帝の御母君)
お琴を
経正の君(敦盛の兄)には
琵琶を
薩摩守忠度(清盛の一番下の弟)
笙を
門脇中納言教盛(清盛の2番目の弟)
ひちりきを
三位中将重衡(清盛の五男)
鼓を

そして笛は清盛のすぐ下の弟で
経正や敦盛の父
修理大夫参議経盛殿は笛の家とも言わるる
お家柄なれば
と人々にいいはやされたが、
経盛は
私はもう年老いて息も続かぬ。
末子の敦盛の方が笛はよくいたしまする。
敦盛にお命じください
と言います。
敦盛は、はっとした容子であった。
父のことば、また人々もすすめるまま、
鎧下から一管の笛を取り出して管弦の座に連なった。

これをもって敦盛は
一門と父から許された形になりました。
あー良かった🥹

続きはまた明日にします。


娘が私の誕生日の日に
LINEギフトを頼んでくれていたものが
届きました〜🎶


よなよなの里
エールビール醸造所の
ビール詰め合わせです。
これは嬉しい😊

一本一本大事にいただきましょう♪


また明日〜バイバイ👋