江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

第5回 福島学習の旅(日退教・福島県退教共催)④

2024-01-27 | 江戸川区教組
《車窓から見えた福島の復興とは》

① 小高~浪江 
かつて黄色のセイタカアワダチソウが覆いつくしていた耕作放棄地は稲刈りの後の田んぼが広がっていた。
人が住める状態だが人は少なく、除染されても耕作する人は戻ってこないと云う。
バスは浪江に向かう。

進むにつれ、道なりに目につくのはソーラーパネルが延々と続くことだ。
6年前はフレコンパックが、山のように積み上げられていた場所だ。

実り豊かだった田畑は原発事故で緊急避難準備区域に指定され、人の立ち入ることが出来ない地域になった。
解除後の田畑はススキ・セイタカアワダチソウで覆いされた。
その後、除染土のフレコンパックが積み上げられ、今はソーラーパネルがそれに代わった。


② 室原地区 
避難解除地域で除染が始まったばかり。
耕作放棄地の田畑は除草されており、これから除染作業が始まる予定だ。

常磐道の両脇に続いていたススキ・セイタカアワダチソウも無くなっていた。
フレコンパックが大量に積み重ねられていた地域だったが、ソーラーパネルが延々と続く。
あまりにも多くの太陽光パネルなので出力抑制され、蓄電も出来ないので電力は捨てられていると云う矛盾を抱えている。


③葛尾村を通る。 
高線量だった地域で除染が始まったばかり。


④浪江町津島に入る。
役場津島支所とつしま活性化センターで下車し復興住宅を視察。

10世帯あり真新しいが、入居者は3軒だけ。
人の営みは始まっているものの復興と呼ぶには程遠い。
廃校の津島小中学校は解体されず残っていた。


⑤川俣町山木屋に向かう。
解体されていない建物がそのまま残っており、線量からみると住めるけどそれは住民の判断と云う。
除染はされていない。

高台に山木屋小中学校が見えた。
休校中で2-3年後に解体される。
住民の住んでいる家と廃墟の家、商店跡などが混在しておりやるせない気持ちになった。



《おわりに》

福島第一原発事故から12年が過ぎた。
住み慣れた故郷に戻ることの出来た住民は少ない。
12年の歳月はかつての故郷を激変させ、戻りたくても戻れない壁となっている。

放射線量が未だに高く人の住めない地域は、廃屋と伸び放題の草木のままだ。
原子炉にあるデブリは推定800t。
わずか1gしか取り出せていない。

汚染水は海洋放出され、世界中の海を汚し続けている。
廃炉処理も終わりが見えず、膨大な処理費は電気料金から強制的に徴収されている。

延々と続くソーラーパネルを見ながら「復興の意味する」課題の多さと困難さを思った。

以上



<Y.F>
 



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シルバー人材センターの賃金... | トップ | こういう時こそ「児童会」の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

江戸川区教組」カテゴリの最新記事