セットバックを念頭に、あらためて自宅付近を歩いてみると、けっこう多くのセットバックが見られる。
場所によって様々だが、概して公道として有効に使われている所は少ないようだ。
中には電柱が取り残されたまま残っている所もある。
古くからの住宅街であっても、一斉に建て替えがなされるわけではないので、道をまっすぐ進んでも右側がセットバックされていたり左側にセットバックがあったりと一様ではない。
たまに一定の地域が全て更地化されて新しい道路ができることがあるが、これはセットバックではなく再開発である。
しかし、この場合は道路の位置も以前とは大きく変化してしまう。
ところが、これに似た現象が私の家の前で発生したのだ。
以前の道が残ったまま大きく拡幅されたのである。
あの2mあまりの擁壁に囲まれていた小高い丘がブルトーザーで切り崩され、緑が消えて新しく住宅地となったのだ。
南北100m程の区間の道が何と大幅に拡幅されたのである。
このセットバックが通常のものとは考えられなかったので、色々と調べてみた(役所へ問い合わせればすぐ分かることではある)が、どうやらこの地域は建築基準法の施行以前の「市街地建築物法(2919年施行)」に基づいた道路だったのではないかと思う。
つまり、この法に基づいて告示された「告示建築線」が指定されていたのではないか…。
建築基準法の施行で廃止された法だが、「その間の距離が4m以上のものは.....道路の位置の指定があったものとみなす」と定められた。
その結果、幅4m以上の建築線は現在の建築基準法では「位置指定道路」として扱われるようになったとのことだ。
セットバックが大幅だったのは、おそらく告示建築線が18尺(5.545m)だったと考えられる。
つまり、一般的にセットバックする4mではなく5.545mもあり、しかも、道路反対側は既にセットバックが完了しているため相当なセットバックをしたわけだ。
こうして道幅が広くなり実際に活用されるようになったので、セットバックが有効に機能した例として考えてもよい。
しかし、一様ではないセットバックが圧倒的に多いのである。
仮にセットバックがまっすぐ延びていなくても、その場所が既存道路と一体化して平らになっていれば良いのだが、ほとんどの場合、元の形状を保ったままの状態だ。
縁石がそのまま残されている所も多く見られる。
(セットバックにより拡幅され活用されている例①)
(セットバックにより拡幅され活用されている例②)
その道が一方通行ならまだしも、住宅地内は往々にして交互通行になっているため、クルマのすれ違いの際に縁石に乗り上げざるを得ないこともある。
上手く乗り上げられれば良いのだが、私は相手方に配慮して一旦バックした際に左側のタイヤの側面を強く擦ってしまい、タイヤ一本を交換したことがある。
全く忌々しく思った縁石である……。
(縁石が残されたセットバック①)
(縁石が残されたセットバック②)
また、ある所では数軒が続いてセットバックした場所があるが、これが見事に縁石を残したままの姿である。
この場合などは、全て縁石を撤去して既存道路と一体化すべきではないだろうか。
(連続してセットバックされているが、道路化していない。)
こうしたセットバックは、セットバックしたのがすぐ分かるが、中にはセットバックした場所をミニ花壇化したり植木鉢を置いたりしている所もあり、一見しただけでは分からない場所もある。
これを地域美化と考えるのか、セットバックの私物化と考えるのか意見は分かれるだろう。
結論として、私は、セットバックを実効性あるものにしない限りは、その法律の存在意義はないと考える。
確かに全ての道路を4m以上にさせるには時間が必要だろうが、「名ばかりセットバック」はやめていただきたい。
せめて既存道路と一体化させる措置を義務付けるべきだと思うが、はたしてどうだろうか。
最後に、このセットバックをきっちり既存道路と一体化させれば大いに改善される場所を紹介する。
(この左側セットバック部分を有効に使えば、車がこの先を容易に右折できる。)
(狭い上に交互通行になっており、通学時は特に混雑、左側を道路化して先の電柱も移転すべきである。)
道路というのは、人々が日常において徒歩や車両で安全・快適に移動するために使用したいものである。
さらに、消防車や救急車等の緊急車両が必要な際に容易に通行できるために設けられていなければならない。
狭いニッポン国だからこそ、もっともっと道路行政を真剣に考えて進めるべきだと思う。
<すばる>
場所によって様々だが、概して公道として有効に使われている所は少ないようだ。
中には電柱が取り残されたまま残っている所もある。
古くからの住宅街であっても、一斉に建て替えがなされるわけではないので、道をまっすぐ進んでも右側がセットバックされていたり左側にセットバックがあったりと一様ではない。
たまに一定の地域が全て更地化されて新しい道路ができることがあるが、これはセットバックではなく再開発である。
しかし、この場合は道路の位置も以前とは大きく変化してしまう。
ところが、これに似た現象が私の家の前で発生したのだ。
以前の道が残ったまま大きく拡幅されたのである。
あの2mあまりの擁壁に囲まれていた小高い丘がブルトーザーで切り崩され、緑が消えて新しく住宅地となったのだ。
南北100m程の区間の道が何と大幅に拡幅されたのである。
このセットバックが通常のものとは考えられなかったので、色々と調べてみた(役所へ問い合わせればすぐ分かることではある)が、どうやらこの地域は建築基準法の施行以前の「市街地建築物法(2919年施行)」に基づいた道路だったのではないかと思う。
つまり、この法に基づいて告示された「告示建築線」が指定されていたのではないか…。
建築基準法の施行で廃止された法だが、「その間の距離が4m以上のものは.....道路の位置の指定があったものとみなす」と定められた。
その結果、幅4m以上の建築線は現在の建築基準法では「位置指定道路」として扱われるようになったとのことだ。
セットバックが大幅だったのは、おそらく告示建築線が18尺(5.545m)だったと考えられる。
つまり、一般的にセットバックする4mではなく5.545mもあり、しかも、道路反対側は既にセットバックが完了しているため相当なセットバックをしたわけだ。
こうして道幅が広くなり実際に活用されるようになったので、セットバックが有効に機能した例として考えてもよい。
しかし、一様ではないセットバックが圧倒的に多いのである。
仮にセットバックがまっすぐ延びていなくても、その場所が既存道路と一体化して平らになっていれば良いのだが、ほとんどの場合、元の形状を保ったままの状態だ。
縁石がそのまま残されている所も多く見られる。
(セットバックにより拡幅され活用されている例①)
(セットバックにより拡幅され活用されている例②)
その道が一方通行ならまだしも、住宅地内は往々にして交互通行になっているため、クルマのすれ違いの際に縁石に乗り上げざるを得ないこともある。
上手く乗り上げられれば良いのだが、私は相手方に配慮して一旦バックした際に左側のタイヤの側面を強く擦ってしまい、タイヤ一本を交換したことがある。
全く忌々しく思った縁石である……。
(縁石が残されたセットバック①)
(縁石が残されたセットバック②)
また、ある所では数軒が続いてセットバックした場所があるが、これが見事に縁石を残したままの姿である。
この場合などは、全て縁石を撤去して既存道路と一体化すべきではないだろうか。
(連続してセットバックされているが、道路化していない。)
こうしたセットバックは、セットバックしたのがすぐ分かるが、中にはセットバックした場所をミニ花壇化したり植木鉢を置いたりしている所もあり、一見しただけでは分からない場所もある。
これを地域美化と考えるのか、セットバックの私物化と考えるのか意見は分かれるだろう。
結論として、私は、セットバックを実効性あるものにしない限りは、その法律の存在意義はないと考える。
確かに全ての道路を4m以上にさせるには時間が必要だろうが、「名ばかりセットバック」はやめていただきたい。
せめて既存道路と一体化させる措置を義務付けるべきだと思うが、はたしてどうだろうか。
最後に、このセットバックをきっちり既存道路と一体化させれば大いに改善される場所を紹介する。
(この左側セットバック部分を有効に使えば、車がこの先を容易に右折できる。)
(狭い上に交互通行になっており、通学時は特に混雑、左側を道路化して先の電柱も移転すべきである。)
道路というのは、人々が日常において徒歩や車両で安全・快適に移動するために使用したいものである。
さらに、消防車や救急車等の緊急車両が必要な際に容易に通行できるために設けられていなければならない。
狭いニッポン国だからこそ、もっともっと道路行政を真剣に考えて進めるべきだと思う。
<すばる>