事件の背景は教員個々の資質の問題もある。
また主要な要因は文科省の教育政策と教員をタダ働き同然に晒している労働環境にもある。
事件を起こしている原因の多くはストレス発散となっている。
ストレスがたまり発散の為の事件を起こさない教員は、神経を患いうつ病や病気になり休職や退職を余儀なくされる。
私も現役時代はうつ的になって神経科に通院し自律神経失調症と云われ、十二指腸潰瘍にもなって胃カメラの検診を何度もしていた。
ストレスは誰にも多かれ少なかれあるものだ。
それを何とか克服してきた。
ところで最近の若い世代の教員は、精神的に悩む人は少ないのだろうか。
発散の仕方が犯罪行為になるような他人への攻撃に向けていく傾向にあるようにも思える。
またコロナ禍で人との関わりが希薄になり、面と向かって話す機会が極端に少なくなっていることも要因だ。
発散の仕方には経験ある教員や同僚とのコミュニケーションが必要であり、コロナ前は職員室での会話や勤務終了後の食事や飲みながらの世代を超えた付き合いがあった。
そこから学び激論など交わしながら老いも若きも成長し合ったものだった。
しかし、そんな会話の場も議論の場もない。
かつては当たり前だった15分程度の教職員の朝の打ち合わせは16時半からの夕会になった。
職員会議は全くなく行事の実施案等は、全て校長を頂点にした管理職や主幹教諭で決めてしまう。
幹部教員以外は意見表明の場もなくただ従うだけだ。
これだとやりがいのある職業とは思えない。
教員集団の様々な考え方や時には管理職と対立する意見も聞きながら、切磋琢磨して自己を高めていく機会も失われている。
今の若い世代の教員は、管理職に物申す年配教員の姿を目にしたことがない。
管理職も教員から批判されたことがないから、批判されることを嫌がるしそんな教員は直ぐに異動させる。
職員会議を無くすことに一番熱心なのは管理職であり、誰からも意見をされずに一人で決めて「悦に入ってる」裸の王様気取りもいる。
こんな学校に魅力は感じないし、気骨のある教員で無くても普通の感覚で考えてもおかしな学校と思う。
これが全国どこでも同じ状況だと、まっとうな教員が育つ環境とは云えない。
このように管理職が好き勝手出来てしまう状況を作ったのが石原都政の時代だ。
文科省に先駆けて業績評価を導入し、卒業式・入学式には日の丸を掲げ君が代を斉唱させ、内心の自由で歌わない教員を大量処分したのは当時の石原知事だった。
また人事異動要綱の内容も次々に変えて校長に人事権も与えた。
それにより、地域や学校に根差して頑張る教員が居なくなり、教育の低下や質の劣化を生み出す大きな要因になった。
一人の人間がなんでも思い通りに組織を動かそうとすると、結局目先だけのことになってうまくいかないことが多くなる。
(続く)
<デラシネ>
また主要な要因は文科省の教育政策と教員をタダ働き同然に晒している労働環境にもある。
事件を起こしている原因の多くはストレス発散となっている。
ストレスがたまり発散の為の事件を起こさない教員は、神経を患いうつ病や病気になり休職や退職を余儀なくされる。
私も現役時代はうつ的になって神経科に通院し自律神経失調症と云われ、十二指腸潰瘍にもなって胃カメラの検診を何度もしていた。
ストレスは誰にも多かれ少なかれあるものだ。
それを何とか克服してきた。
ところで最近の若い世代の教員は、精神的に悩む人は少ないのだろうか。
発散の仕方が犯罪行為になるような他人への攻撃に向けていく傾向にあるようにも思える。
またコロナ禍で人との関わりが希薄になり、面と向かって話す機会が極端に少なくなっていることも要因だ。
発散の仕方には経験ある教員や同僚とのコミュニケーションが必要であり、コロナ前は職員室での会話や勤務終了後の食事や飲みながらの世代を超えた付き合いがあった。
そこから学び激論など交わしながら老いも若きも成長し合ったものだった。
しかし、そんな会話の場も議論の場もない。
かつては当たり前だった15分程度の教職員の朝の打ち合わせは16時半からの夕会になった。
職員会議は全くなく行事の実施案等は、全て校長を頂点にした管理職や主幹教諭で決めてしまう。
幹部教員以外は意見表明の場もなくただ従うだけだ。
これだとやりがいのある職業とは思えない。
教員集団の様々な考え方や時には管理職と対立する意見も聞きながら、切磋琢磨して自己を高めていく機会も失われている。
今の若い世代の教員は、管理職に物申す年配教員の姿を目にしたことがない。
管理職も教員から批判されたことがないから、批判されることを嫌がるしそんな教員は直ぐに異動させる。
職員会議を無くすことに一番熱心なのは管理職であり、誰からも意見をされずに一人で決めて「悦に入ってる」裸の王様気取りもいる。
こんな学校に魅力は感じないし、気骨のある教員で無くても普通の感覚で考えてもおかしな学校と思う。
これが全国どこでも同じ状況だと、まっとうな教員が育つ環境とは云えない。
このように管理職が好き勝手出来てしまう状況を作ったのが石原都政の時代だ。
文科省に先駆けて業績評価を導入し、卒業式・入学式には日の丸を掲げ君が代を斉唱させ、内心の自由で歌わない教員を大量処分したのは当時の石原知事だった。
また人事異動要綱の内容も次々に変えて校長に人事権も与えた。
それにより、地域や学校に根差して頑張る教員が居なくなり、教育の低下や質の劣化を生み出す大きな要因になった。
一人の人間がなんでも思い通りに組織を動かそうとすると、結局目先だけのことになってうまくいかないことが多くなる。
(続く)
<デラシネ>