江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「特別支援教育」で良いのか?

2022-10-07 | 随想
日本政府は国連の勧告を平気で踏みにじる「無法者国家」そのものである。

10月5日、内閣府の有識者委員会に示した「障害者基本計画」素案は、国連障害者権利委員会から勧告された「分離教育の中止」には踏み込まない内容だったことが判明した。
それどころか、失敗した「2020東京オリンピック」を覆い隠すかのようにパラリンピックを利用した「バリアフリー機運を継承」というのも強調している。
さらに、最悪なのは、新規採用教員を10年以内に全て特別支援学校などでの指導を複数年経験させるとした内容である。

まやかしの「インクルーシブ教育」が「特別支援教育」として当然な顔をしてまかり通るのは由々しき問題だ。
1979年養護学校義務化以降、この国の「障害」者教育は分離教育を当然視する風潮を作り出し、差別に鈍感な社会形成に一役買ったとも言える。

「特別支援教育」に消費する経費を普通学級に割り振れば、共に学ぶ条件整備が一気に進むことは容易に想像できる。
そしてさらに、普通学級の在り方も同時に見直され、一人ひとりの子どもがその個性と人格を大事にされた教育が創造できるに違いない。
すなわち、この国の学校教育そのものが大きく変わっていくことにつながるかもしれない。

そう考えると、政府が容易に国連勧告に従えないわけが見えてくる。
「子どもの権利条約」も同じように日本政府にとっては目の上のタンコブなのだろう。

「核兵器禁止条約」に参加しないのも、どこに向かって政治を動かしているのかが透けて見えてくるのだ。
国連第一主義とか国際平和などという文言は、もう政府の口から言っても何も響くことはない。
まさに「聞く力」も聞く心もない岸田首相をトップとする現政権を象徴する動きである。

翻って考えるに、歴代自民党政権が培ってきた世の中づくりは、日本国憲法に示された人権を大切にする崇高な精神を蔑ろにするものだった。
とりわけ長期にわたって続いた安倍政権が築いた政治は、この国の人々から理知と道義の精神を奪い取り分断に導いた。

もうこれ以上「無法者国家」日本の位置を確実なものにさせてはならない。

小さな記事でがあるが、実はこの国の矛盾が孕んだ大きな問題なのだ。






<日本はどこへ>

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