国連の障害者権利委員会があれほど強く勧告したにも関わらず、日本国内ではさほどの盛り上がりがなかったのは日本独自の教育体制にも原因があると考えます。
一般社会が文科省教育体制に慣らされてしまった現実です。
勧告された直後の記者会見で、永岡文科大臣は「障害のある子どもとない子どもが可能な限り、ともに過ごせる条件整備と、一人一人の教育的ニーズに応じた学びの場の整備を両輪として取り組んできた」と言いつつも、結論としては「特別支援教育の中止は考えていない」と答えていました。
それもそのはず、国立大学における教員養成の段階から特別支援教育は普通教育とは別の枠が用意されているのです。
例えば千葉大学の場合、教育学部の中に各種コース(課程)があり、小学校コースや中学校コース等と並んで特別支援教育コースが設置されています。
つまり、入学した時点で普通学級教員とは異なる課程で学ぶことが定められているのです。
学校や学級が分離しているだけでなく、そこに勤めるべく教員も分離された中で教員養成されるわけです。
特別支援教育コースの中でどんな教育がなされているかは分かりませんが、特別支援の考え方と共に技術的なノウハウも学んでいることでしょう。
そのこと自体は決して間違いとは言えなくても、小学校や中学校コースの学生たちは学ぶ必要はないのでしょうか…。
これでは、障害のある子どもの教育を「専門家」に任せてしまう体質がいやが応にもできあがってしまいます。
障害のある子どもの親たちが、より手厚いケアーが提供される場を求めるのはある意味で当たり前です。
本来なら普通学級で行われるべきですが、政府や自治体はそこには条件整備を行わず別の場所に設けています。
政府は自分たちのやり方こそが「インクルーシブ教育」であると思い込み、普通学級とは比較にならないような金を設備や人に費やして「ニーズに応えている」と胸を張っているのです。
現にここ10年程の間に特別支援学級や学校へ通う子どもの人数が増えていて、約45万人にも達するようです。
とりわけ特別支援学級はまさにうなぎ上りの状態です。
少子化が進む中でもこの学級・学校に通う人数が増えているのです。
親たちの本音が現状をベストとしないながらも、何故、特別支援学級・学校へ向いてしまうかといえば、条件整備に大きな問題があるのは明らかです。
こうした事態が進めば進むほど、普通教育と特別支援教育は全く別のものとして社会的にも認識が広まります。
実はこれが最も危険な認識であり、障害を持った子どもが将来、地域社会で生きていく上での障害になりかねません。
差別という認識が無意識のうちに形成されていくのです。
こうして考えていくと、日本国政府の教育政策というのは実に残酷な差別政策であるとも言えるのではないでしょうか。
(つづく)
<すばる>
一般社会が文科省教育体制に慣らされてしまった現実です。
勧告された直後の記者会見で、永岡文科大臣は「障害のある子どもとない子どもが可能な限り、ともに過ごせる条件整備と、一人一人の教育的ニーズに応じた学びの場の整備を両輪として取り組んできた」と言いつつも、結論としては「特別支援教育の中止は考えていない」と答えていました。
それもそのはず、国立大学における教員養成の段階から特別支援教育は普通教育とは別の枠が用意されているのです。
例えば千葉大学の場合、教育学部の中に各種コース(課程)があり、小学校コースや中学校コース等と並んで特別支援教育コースが設置されています。
つまり、入学した時点で普通学級教員とは異なる課程で学ぶことが定められているのです。
学校や学級が分離しているだけでなく、そこに勤めるべく教員も分離された中で教員養成されるわけです。
特別支援教育コースの中でどんな教育がなされているかは分かりませんが、特別支援の考え方と共に技術的なノウハウも学んでいることでしょう。
そのこと自体は決して間違いとは言えなくても、小学校や中学校コースの学生たちは学ぶ必要はないのでしょうか…。
これでは、障害のある子どもの教育を「専門家」に任せてしまう体質がいやが応にもできあがってしまいます。
障害のある子どもの親たちが、より手厚いケアーが提供される場を求めるのはある意味で当たり前です。
本来なら普通学級で行われるべきですが、政府や自治体はそこには条件整備を行わず別の場所に設けています。
政府は自分たちのやり方こそが「インクルーシブ教育」であると思い込み、普通学級とは比較にならないような金を設備や人に費やして「ニーズに応えている」と胸を張っているのです。
現にここ10年程の間に特別支援学級や学校へ通う子どもの人数が増えていて、約45万人にも達するようです。
とりわけ特別支援学級はまさにうなぎ上りの状態です。
少子化が進む中でもこの学級・学校に通う人数が増えているのです。
親たちの本音が現状をベストとしないながらも、何故、特別支援学級・学校へ向いてしまうかといえば、条件整備に大きな問題があるのは明らかです。
こうした事態が進めば進むほど、普通教育と特別支援教育は全く別のものとして社会的にも認識が広まります。
実はこれが最も危険な認識であり、障害を持った子どもが将来、地域社会で生きていく上での障害になりかねません。
差別という認識が無意識のうちに形成されていくのです。
こうして考えていくと、日本国政府の教育政策というのは実に残酷な差別政策であるとも言えるのではないでしょうか。
(つづく)
<すばる>