1.面接から臨時保護者会まで
学校の内実を書くのはあまり好きではなく、理科支援員のことはこれまでに多少紹介したが、今回は無理してでも書いてみようと思った。
というのは三年前にも産休代替を一か月半やり、それが教員としての最後の担任と思っていたが再び働くことになったからだ。
知人を通して「10月から産休代替を探している学校がある」と、声がかかったのは12月半ば過ぎ。「困っているならまあいいかな」という気持ちで、翌日その学校に電話し21日に面接。
その日に採用約束が成立した。
採用期間は1月25日から3月31日迄で二年生担任の産休代替教員である。
退職した同僚や知人には「よくやれるね」と言われたが、「体も動くし期間限定」だから何とかなるだろうと。
それにまだ行ったことのないK区だし、後先考えずに「行ってみたい」という好奇心のほうも強かった。
それからの約一か月は、気持ちがめげないように知人や友人に話して心にタガをはめ、本屋に通って教育関係の本を買ったり、気持ちを盛り上げてきた。
一月始業式翌日に関係書類をそろえて学校に行った。
まだ採用決定もされていないのに、管理職は始業式に私の名前まで教職員に公表したと云う。
産休代替はどの区も人がいなくて困っているらしい。
かつては厳しい年齢制限もあったが、背に腹は代えられず、今は働く気かあれば誰でもいいようだ。
だから三月で古希を迎える私でも大歓迎ということなのだろう。
ともあれ私の心は一週間前からはほぼ興奮状態・・・。
ワクワクドキドキ感が止まらない。
こんなにときめくことは「30年以上も無かった!」と自己満足と妄想の世界に。
23日は16時から臨時保護者会だ。
校長室へ行き暫くして職員室へ案内される。
引き継ぐ担任と同学年の教員と初顔合わせ。
教室へいくと10数名の保護者が待っていた。
校長から挨拶と私の紹介があり、自己紹介を始める。
緊張が走るが落ち着いた振りして保護者を安心させねばならない。
何せ年が年なので見た目は、誰がどう見ても老けた老人、決して若くは見えない。
体力と気力のある処をアピールせねばならない。
65歳から理科支援員をしており、教員という仕事を途切れなく続けてきたこと。
週に二回、卓球を三時間練習して体力に自信があることをアピールしたが・・・。
程なく会も終わり、不登校と側弯手術で体育に気を付ける二人の保護者からの相談。
まだ顔も見ていないし教室に入ったのも今日が初めて。
聞くだけではわからず、答えようもないが側弯手術の子は母親が連れてきて一緒に話し合い安心した。
その後、担任と児童一人一人の実態について話を聞く。
家庭や本人や様々な問題行動のある話を一時間近くも聞かされ、期待感も一気にしぼんでしまった。
誰ひとりの顔も見ていないので、つい良くないことに意識が向いてしまう。
まあ、「考えてもしょうがない」と言い聞かせるが、学校を出た外は風が強く物凄く寒かった。
(続く)
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