原題:Les Heritiers(受け継ぐ者たち)という2014年のフランス映画で、日本では2016年に公開された。
簡単に紹介すると、パリ郊外の貧困層が暮らす地域の高校での話で、脚本は実際に当時の高校生であった一人の若者が監督と共に書き上げたという言わば実話である。
パンフレットを引用して紹介した方が早いので、以下に 任意に文言を借用する。
・学校から見放された問題児クラスと、ベテラン教師アンヌの情熱。
・パリ郊外の高校で本当に起こった奇跡のストーリー。
・一人の教師のアウシュビッツに関する「ある授業」が、落ちこぼれたちの人生を変えるー。
・実話から生まれた魂を揺さぶる感動作
邦題では「奇跡の教室」、副題が「受け継ぐ者たちへ」となっている。
監督はマリー・カスティーユ・マンシオン・シャールという女性で、監督として長編映画の第三作目となるのが本作だ。
彼女は、フランス映画界に関わる女性の関係者(プロデューサー・配給会社・監督・女優・ジャーナリスト等)たちからなる女性サークルを設立し活動している人間でもある。
この映画を作るきっかけは、当時18歳だった少年アハメッド・ドゥラメから監督へ、自分の高校時代の経験を映画にできないかと「コンクール」に関わる脚本の様なものを送ってきたことに始まる。
この「コンクール」 こそ、アウシュビッツについて生徒たちが共同で調べて発表するものだった。
彼は、監督と共同脚本も担当するが、映画の中でも主要な生徒役で出演している。
この映画は実話を基にしているということもあってか、生徒たちの演技も凄く自然に感じたが、実は監督がキャスティングを決めるのにオーディション等を経ながら6ヶ月を要したという。
生徒役を決めるに際し、プロ・アマ関係なく人格重視で臨み、オーディションや演技映像、面接を経ながらどんな人生を歩んで来たかを考慮したそうだ。
同じ様に学校を題材にした2008年の映画「パリ20区、僕たちのクラス」とは、違った意味で出演者のリアル感が際立った映画だと感じた。
担任の歴史教師アンヌ・ゲゲン役を務めるのは、「マルセイユの恋」でセザール賞主演女優賞を受賞し「キリマンジャロの雪」等にも出演したアリアンヌ・アスカリッドだ。
彼女の演じるゲゲン先生は、厳格な女教師であるが、思春期真っ只中にある少年少女らに真正面から向き合う。
「教員歴20年。教えることが大好きで、退屈させる授業はしないつもり」と、落ちこぼれ生徒たちとの最初の出会いから積極的に立ち向かう姿は、まさに自信に満ちた攻撃的な姿勢だった。
なまじ優しい素ぶりを見せたりしないところが良い。
帽子を被ったり音楽を聴いたりスマフォをいじっている生徒には厳しく注意する。
歴史の授業では資料を提示し、板書をしながら情熱的に語りかける。
学校は学ぶべき人間が集まり、徹底して学ぶことを第一義に据えなければいけない。
まして高校は、それを自覚した人間が通うところだ。
しかし、一朝一夕に理想通りには進まないのは、ここフランスの高校も日本も同じ。
劣等生たちの集団は学校や社会に対する得体の知れない怒りや苛立ちを感じている。
さらに、生徒の間にも民族や宗教的な対立も常に存在している。
こんな中で学びを構築するのは容易ではないはずだ。
同じ一学年の中でも最も授業の成立し難いクラスという烙印も押されるが、彼女は怯まない。
ある種の賭けに出たのだ。
それが、高校生による全国歴史コンクールに参加しようというという呼びかけだった。
任意の集団でテーマについて学習・研究して共同発表するものだ。
テーマは「アウシュビッツ」
「無理、無理! 俺たちにできるわけないよ!」
当然ながら尻込みする彼らだったが、放課後に活動することを呼びかけると次第に生徒たちは集まってくる。
何を調べたら良いのか、どう調べたら良いのか、調べた結果はどうしたら良いのか…? 生徒たちは苦悩する。
ゲゲン先生は、一つ一つ生徒の疑問点に応え助言する。
しかし、協同で当たらなくてはならないにも関わらずグループどうしで揚げ足をとったり喧嘩をする。
そんな状況を大きく変えたのは、ホロコーストの生き残りレイン・ズィゲルの証言だ。
彼を教室に招いて、家族とともに強制収容所に連行される過程を具体的に話していただいたのだ。
母や兄妹は貨車に乗せられたまま収容所へ運ばれ、年令を一歳上に偽った自分と父は途中で降ろされた。
しかし、病気の父は診療所に行くと言われそのまま行方知れずに・・・。
このレイン・ズィゲルこそ実際にホロコーストの恐怖を体験した貴重な証言者だった。
因みに彼は、撮影後に亡くなられている。
生徒たちは本気度が増したようだ。
それまでの受け身の学習から、自分たち自身の創意で研究しようと大きく飛躍する。
ゲゲン先生は驚くが、これこそ彼女が思い描いていた姿だ。
監督のマリーは言う。
「戦争悲惨さよりも生徒たちの学んでいく姿を描きたかった。」
生徒とたちが発見していくプロセスや調べていくうちに出合うことを語りたかったと言うのだ。
たしかに、原題にある「受け継ぐ者たち」が悲惨なアウシュビッツの事実をしっかり継承していくことが重要だ。
しかし、その受け継ぐべき中身が請負的なものであっては本当に継承はされない。
「受け継ぐべき者たち」が主体的に学んでこそ生きた継承となるのだ。
監督のねらいがその辺りあったのではないかと思う。
映画は、生徒たちの努力によって見事にコンクールで優勝を勝ち得たことを描いていた。
突っ張ったり投げやりな態度だった生徒たちが、まるで人が変わった様な良い表情を見せる。
映画を観ている自分も、スッと肩の力が抜けていくのを覚えた。
しかし、この映画も暗示する様にフランス社会は安定してはいない。
「自由・平等・博愛」の理想とは違った側面が存在している。
差別や対立や暴力が市民の日常生活を脅かす。
いつ戦争に発展するかも知れない。
だからこそ、人間生活を潤す文化が重要なのだ。
この映画も、その一つに違いない。
マリー監督は次作を構想している。
今、世界中を巻き込んで大きな課題になっているISの問題だ。
そのISに惹きつけられるフランス若者たちの精神構造に迫る作品だと聞く。
観らずにはいられない作品になるだろう…。
<すばる>