江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

日退協「福島学習の旅報告」(2)

2024-12-18 | 随想
学習会 Ⅱ 「原発事故難民として考える」
《講師 山崎健一さん(元福島県立高校社会科教諭)》

山崎さんは「平和」「人権」「環境」の3つから世の中を見ていくといろいろ見えてくると云う。
3つのテーマに沿った活動はあまりにも多く紹介しきれない程だが、
新聞投書や9条の会・日退教の学習に発信してきたものは多くの方に伝えたい貴重な証言と記録だ。

◆山崎さんが教員になった1968年6月頃福島第一原発の建設現場を高台から見学した。
標高35mの海岸段丘を25mも削り、標高10mへ原子炉建屋を建設している様子や赤茶けた山肌も記憶に残っている。
恐らく壁面から地下水が湧き出ていたと思う。それが現在の汚染水になっている。

◆ちなみに女川原発は14.8mの高さで建設され、外部電源5本中1本が通じて冷却回復した。
福島第二原発は12mの高さ、外部電源4本中1本が通じた。第一原発は外部電源7本中7本が喪失した。
原子炉4基もメルトダウンは世界に例がない。
原発が外部からの電気を頼りに動いているとは…。

◆建設されず日本を救った福島県の「棚塩原発」の話は初めて知って驚いた。
「珠洲原発」と同じように建設されなかった「浪江・小高(棚塩)原子力発電所」は、
福島第一原発から北へ10km地点の浪江町と南相馬市小高地区にまたがる棚塩地区に予定されていた。
棚塩地区は3.11の時182名の犠牲者が出た。東北電力が1967年建設を計画。反対同盟が結成され計画から46年を経た、
3.11事故後の2013年3月東北電力は建設を断念した。
反対同盟舛倉さんら3名は、土地隆を売らずに闘い建設中止に追い込んだ。

◆福島第一原発1号機の爆発をとらえた「無人カメラのスクープ」も知って驚いた。
2011年3月11日福島中央テレビは、第一原発1号機の水素爆発の映像をとらえた。
報道制作局長佐藤崇(山崎さんと中高の同級生)は、4分後県内に放送した。
キー局の日本テレビは1時間後に全国放送し、14日の3号機爆発とともに世界を駆け巡るスクープとなった。
この無人カメラは原発から17kmm離れた大鷹鳥谷山794mに設置されていた。
NHKや民放の無人カメラは原発から6km範囲に設置されており電源切れだった。

◆広島・長崎の放射性汚染を警鐘した映画監督 亀井文雄(1908生)や原発事故を予見した詩人若松丈太郎(1935生) 
憲法の間接的起案者鈴木安蔵(1904生)の3人の偉人を紹介してくれた。
安蔵の旧家の保存・修復活動にも関わっており、山崎さんは反原発・反戦平和・護憲の活動を精力的に発信している。

◆福島市に投下された模擬爆弾 福島市渡利の瑞龍寺に展示されている鉄の破片は原爆を投下するための「模擬爆弾」だった。
1945年7月20日に投下され、この地区に住む当時14歳の少年が犠牲となった。
「模擬爆弾」は全国で49発投下され、福島県内では福島市・郡山市・いわき市で5発確認されていると云う。
(翌日バス車中での話しから)


私の知らないことばかりで山崎さんの博識ぶりに敬服し学びの多かった学習だった。


(つづく)



<デラシネ>

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