江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

日々雑感 13 「田植えの季節に思い出す農繁休暇のあれこれ �」

2013-05-04 | 随想
先日、近くの田んぼで田植えを見た。
田植えをしていたのは、田植え機である。
田植え機には育苗箱が幾つかのっていて、農家の人は、田植え機を進めるだけで田植えが完了していく。
とても早い凄い。
一枚の田んぼがあっという間に終わってしまう。

実家が農家だった昭和20年代~40年代には、田植え機というものは無かった。
田植えは全て人がやっていた。

北海道の田植えは6月初旬からである。
どの農家も一斉に行うので、人手が圧倒的に足りない。
そこで、農家は田植えをしてくれる人を雇って田植えを済ませる。
どの農家も平均3ha以上の水田を所有しているので、家族だけで田植えを済ませることは不可能だからだ。

田植えだけの一時的な出稼ぎ労働者の殆どは女性で、主に近隣の炭鉱労働者のおカミさん達であった。
とても元気な方たちばかりで、よく働きよくしゃべり、よく笑う楽しい集団であった。
田植えが済むと、来年も来てくれるよう農家はまた契約をする。
農家の私の家もそうしていた。
田植えのシーズンは、「猫の手も借りたい」というくらい大忙しだった。

そこで農家の親たちは、猫よりも頼りになる子どもたちに学校を休ませた。
子供でも貴重な労働力であり、特に中学生は大人並みの働きをしていた。
親からすると学校など行かせている場合ではないということなのだ。
だから、田植えの頃は休む中学生達がとても多かった。

バラバラと休まれても仕方がないのか、田植えの頃と稲刈りの頃、それぞれ一週間くらい農繁休暇というのがあった。

自分が小学生だった時に、農繁休暇があったかどうかは全く記憶にない。
しかし、中学生の時は鮮明に覚えていた。
それは、農繁休暇はあったが、自分の家で働くのではなく、学校が田植えの人手を必要とする農家に希望をとり、そこの家の田植えをしたという記憶があったからだ。

中1~中3まで50人位の生徒数だったが、農家が希望する人数に分かれて、朝の9時から夕方4時半まで田植え労働に従事した。
一日の労働が終わると、腰が痛くてホントに大変だった。

我が家も希望したので、私も友達と一緒に我が家の田植えに従事した。
労働賃金は450円。
これは全て学校の教育予算になり、図書や野球のバットやグローブ・バスケットボール等に替えられた。
ただしこの用具や図書の貸し出しは、生徒の自主管理になっていた。

中1・中2と二年間やったが、生徒の労働賃金が学校の教育予算になっていたのは、それ以前からあったように思う。

翌年も農繁休暇はあったが、学校が農家へ生徒を斡旋する事は廃止された。
なぜか、複雑な気持ちだったことを覚えている。
農繁休暇を利用して学校が生徒を働かせて、その賃金を教育予算に充てることに先生達の中から異論が出たと思っている。

ともあれ、馬など家畜と人の力が有力な生産手段であった当時の農業において、中学生は地域社会の有力な労働力の担い手だったといえよう。




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