江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

78歳祖母が孫の首を絞めて殺そうとしたのは・・・(2)

2023-11-10 | 随想
今、日本社会は官製の「働き方改革」が偉そうな顔をして進行しています。
自ら闘うことを放棄した労働者は、もっぱらこの流れに乗せられているような状況です。
国や企業も優しそうな文言で労働者へPRしています。

長時間労働に一定の歯止めをかけるような「働き方改革関連法」が施行されていますが、逆に無制限な労働時間になったり実質労働内容が強化されたりする実態が表れ始めています。
また、教育労働に顕著なように、根本的な課題が解決されずに放置されたまま「改革」を推し進めようとして矛盾が発生している現場も少なくありません。

さらに具体的な場面に目を向けてみると、例えば「女性が働きやすい職場」という文言があります。
これは単に職場の労働の在り方のみならず、家庭へ帰っても家事育児が余裕を持ってできるようにと労働時間の配慮を示唆しています。

ところが、「男性が働きやすい職場」というような文言はあまり見聞しません。
いや、もしかしたら、「男性の育児休業が容易に取得できる職場…」なんていうのがそれに該当するのかもしれません。
しかし、仮に男性が育児休業を取っても一定の期間内だけであり、復帰すると再び厳しい労働が待っています。
つまり、男性の労働環境は全く変わることなく温存されていくのです。

これでは、「男女共同参画」は形式のみに終わり、誰もが安心して子育てできるどころか男女平等の労働現場や家庭生活は実現できません。
そして、最終的には子育てが基本的に女性中心になりざるを得ない状況は抜本的に変わることはありません。
これは、女性にとっても男性にとっても不幸と言えます。

少し話が横道に逸れたようですが、新聞記事の伝える父親が子育ての中心であったならば、事態は少し変わっていたかもしれません。
「たられば」的な話に持ち込んでも仕方ないのですが、この父親も世の大部分の男性のように仕事に縛られ仕事第一の生活を余儀なくされていたに違いありません。

シングルマザーなる言葉は一般化していますが、シングルファザーは実際には多く存在するにもかかわらず前者ほど市民権は得てないのを感じます。
この事件の当事者サイドにあっては、親の代わりに子育てする祖母がいるためシングルファザーとしてクローズアップされなかったですが、実はシングルファザーが抱える重要な事案だったわけです。

この事件はある意味で今、この国が抱えている社会システムが引き起こした悲しい事件と極論付けることもできます。
自公政権の子育て政策が、「こども家庭庁」創設に見られるように、あくまでも子育てを家庭内に押し留めておく発想なのです。
子どもは社会の中で育てられるという視点に欠け、親や家庭に過重な責任を持たせているのです。

思えば旧民主党政権が子育ては社会が責任を持つべきと「子ども手当」支給を開始しましたが、自公はこれに反対して所得制限付きの「児童手当」を提案し、民主党政権崩壊後に実施して今に至っています。

この時自民党は、「民主党は『子どもを社会全体で育てる』ことを第一義とし、家庭における子育てを軽視している」と述べています。
更に「自ら努力する人を、国が応援することが基本であり、『子育ても、一義的には家庭でなされるべき』ものです」と家庭を強調しているのです。

この発想や思想が現在の「こども家庭庁」の底流にあるのです。

新聞記事の悲劇が何故起こってしまったのかは一概に結論付けることはできませんが、「子育ては誰が・どこが当たるべきなのか?」「男なのか女なのか?」「社会なのか家庭なのか?」を考えてみました。

すると、この問題は労働問題を抜きにしては語れないものだと確信しました。
もちろん、「障害」や貧困・差別という人権課題もついて回ることはいうまでもありません。

私たちが求めるべき社会はどんなものなのか、そのためにはどんな行動や闘いが必要なのか、おぼろげながら見えてきたように思います。



<すばる>



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