江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

若い教員を育てられない教育委員会と学校現場(12)

2019-08-10 | 随想
行政も行政なら学校も学校だ。

「働き方改革」のタテマエを少しでも実質化させるには、現場の管理職をはじめ中堅どころの教員の力が必要だ。
本来なら若手自らが声を上げるべきだが、そこまで育っていない実情を踏まえるなら先輩教員がリードするのが当然だ。

管理職主導型もやむを得ない事例を既に述べてきたが、出来ることなら平場の中からアクションを起こしてほしい。
そして、欲を言うなら、管理職と対峙するような形で改革案を出して若手に同調を求めるような立ち振る舞いができたら良い。

全てが管理職によって指導されるのでなく、自分たちで自分たちの求める方向へ持っていくことが可能なのだ…ということを具体的に示すことは大切だ。


ところが…だ!
目の前の現場で行われているのは、こうした願いとは真逆なことだった。


以前も学級通信の検閲まがいな事実を知ったが、今度は学期末の成績評価(通信簿)の書き方を巡ってのことだ。
「評価」については、学年である程度の共通理解をしておくべきだが、学級担任制の小学校においては担任こそ最も子どもを識っていることから担任の目が最優先されるべきだ。
まして所見という文章表現は担任の主体性・独自性がなければならない。

今では通信簿作成がパソコンでなされるので、比較的容易に修正ができるのを良いことに管理職もたくさんの赤(修正・訂正を求める)を入れがちだ。
校長にとっては、自分の意に反する文章が書かれていては都合が悪いのだろう。

かつても管理職に提出して印をもらうという形はあったが、彼らが見るのは誤字脱字程度だった。
良く言えば、最終仕上げをしてくれる存在だった。

ところが、私が目にしたのは文章の言い回しから語彙の訂正まで多くの赤が入った所見だった。
正直、私は驚いた。
見せてくれたのは、年齢は30代半ばの男性教員で、それまでの国家公務員を辞めて今年正式採用された担任だった。

教員歴こそ少ないが、社会人としてのキャリアは他の同世代と同様かそれ以上のものを持っているように感じた。
しかし、新採教員だということもあって、彼と同世代の女性の学年主任が指導教官役になって常日頃から何かと「指導」をしている。

管理職は、総合の所見をほぼ全面的に彼女風の書き方に直すように指導したようで、彼は、「はい、はい・・・」と言いながら主任の言葉を聞いてパソコンで修正していた。

彼は、この所見は「まあ、これは適当に合わせて書いてもいいか・・・」と割り切っていたようだったが、最も彼が本気で不満を露わにしたのは、学習や生活全般にわたる所見に入れられた赤だった。

「これ、見てください! こんなにあります。これって、完全にパワハラですよね。」
普段は温厚な彼が、顔を紅潮させて言った。

私は一部を読んで言った。
「うん、あなたの表現は良くわかるよ。っていうか、この方がニュアンスを良く伝えているよ。」
一瞬、彼の表情が緩んだ・・・。

現役の立場だったら即、管理職に抗議して撤回させただろうが、今の私の立場からすると直接行動は未だ早い。
その代わりに、彼より大きな声で、「〇〇さん、あなたのこの言い方、すごくいい感じだね。私もこんな言い回しをよくしたなあ、昔。」

多分、近くにいた管理職の耳に入っていたに違いない。
更に私は続けた。
「いいよいいよ、このままで。こっちの方が良いんだから。」

もう、彼は平常心を取り戻した様子だった。

<すばる>

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