江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

政権批判と地域の日常ー3(村落共同体を否定して・・・)

2020-01-20 | 随想
政権批判をしていて陥りがちなのは、自分が生活している足下をスルーしてしまうことだ。
これは、まさに私自身の過去がそうだったからである。

あまりに昔に遡って恐縮だが、私は田舎生まれの農家の長男だった。
農家といっても専業では食っていけず、親父の代からは勤めに出るようになった。
言わば典型的な戦後の農村地域で成人するまで生活してきた。

何とか大学に入り社会を見る目が育ってくると、杓子定規で測ったような農村批判の感情が高まっていったものだ。
村落共同体に潜む封建遺制とも言うべき古くからの因習が、人々の日常生活を覆っているのを感じたからだ。

そして、ついに自分自身がそこから抜け出すことで批判を態度で示した(ように思っていた。)。
「自分は、こんな所に住んでいられない!」
こうして一定の充足感をもって都市生活者となっていった。
批判した田舎をそのまま放置して・・・。

時はまさに若者たちの反乱の季節。
「とめてくれるなおっかさん・・・」を地でいった時代である。

時の政府を根底的に批判というより否定して突き進んだ。
「連帯を求めて 孤立を恐れず・・・」
もはや、自分が否定すべくは封建遺制だけでなく現実社会もその対象と化したのだった。

しかし、田舎からは抜け出せても、今いる都市という場所からは抜け出ることはできなかった。
真にラジカルに突き詰めた者たちは日常から去って行ったが、勇気も知恵もなかった私はただそこに留まるしかなかったのだ。

そこに住む人々を縛り付ける村落共同体に比べて、横のつながりや拘束するものは敢えて求めなければ自由に過ごせる都市は気が楽ではあったが、決してそこは前者を乗り越える良さを持つものでもなく、ましてそこを拠点に何かを始める気持ちは起こらなかった。

ただ、村落共同体を否定したつもりで現世に漂っていただけが、かつての自分だった。


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