卒業式を直前に控えた6年生と最後の社会科の授業をした。
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学習課題は「18才で選挙権を得ることに賛成、それとも反対?」とした。
歴史につづいて公民でも意欲的に学習してきた彼らにとって不足のないテーマだと考えたからだ。
国会でも公職選挙法改正案として今国会に再提出することになったが、このあたりは「憲法改正」のための「国民投票」と密接に絡んでいるため、今回は現実の政治の経過については敢えて説明はしなかった。
しかし、初めて20才以上の全国民に選挙権が与えられたということを学習した「戦後の諸改革」のことを思い出させた。
その時、何と女性は初めて選挙権を得たことも確認させた。
今回の授業は単なるディベートではなく、まず3人組のグループを作って討論させることから始めた。
10分前後の間、どのグループもザワザワと話し合っていたが、どうも話を聞いていると3人が合意した所と意見が分かれた所がある様子だった。
意見の一致したグループは誰か代表で発言し、分かれたグループはそれぞれが発言するように指示をした。
尚、発言の際はその理由も述べることにした。
以下に代表的な意見を紹介
◇賛成
・18才以上にした方が若い人の自覚を高めることになる。
・人口が減っているので年令を下げて投票者を増やした方がいい。
・前に学習した時、投票率が下がってきているので少しでも多くの人に投票してもらいたいから…。
・18才に下げると、政治に関心を持つ若い人が増えるから。
・もう18才は政治について学んでる年だから…。
・若い人たちの意見が政治に反映させることができるから。
◇反対
・高校卒業した位でまだ政治がよく分からないから。
・法律上(民法?)まだ子どもだから。
・まだ学生だし、ちゃんとした大人になってないから。
・18才ではまだ高校生だから遊び半分になる。
・深く考えないで投票して、悪い方向に行ってしまったら困るから。
・部活や大学進学で忙しいと思うから。
討論の結果は、グループ(個人も含む)毎の数が6対6の半々になった。
担任も頷きながら子どもたちの話を聞いていた。
因みに担任が授業後にこんな感想を寄せてくれた。
「子どもたちがこんな風に考えるんだ! 思ったより考えられていて驚きました。そして、きちんと学習したことや身近なことを基にして考えられていたことも嬉しかったです。実際のニュースに関わってくる6年の学習、とても面白く、この1年大変勉強になりました。パッと指されて答えられる子どもたちの姿も頼もしかったです。」
私も子どもたちが発言している時に同様なことを感じていた。
今年の6年生は最後まで気持ちが途切れることがなかった。
だから、今までの学習の上に立った学習や自分を含めた身の周りの現実をふまえた学習ができたのだ。
後の補足意見で「(僕たちも政治の学習をしたので)高校生までなれば(かなり政治について分かってくると思うので)政治に参加してもよい」というような考えがいくつか出されたのはクラスの実態を象徴していた。
尚、その他の主な意見は、「まだ選挙権を得て70年なので、100年までは今のまま続けて欲しい。」
「スポーツや受験に集中している時期なので18才は早すぎる。」
「今のままだと高齢者中心の政治になるので若い人の考えを出したほうがいい。」
等々が出たが、いずれも言葉を変えつつ同様な考えを述べたものが多かった。
「ぼくたちには選挙権がありません。たのむぞ大人!」ということに触れて書かれたかつての当ブログのように、彼らは12才の人間なりに政治について学び自分の考えを持つに至っているのだ。
安倍首相が国民投票年令を18才に引き下げることに関して「主権者教育をどう進めるかという教育が大切」という答弁をしていたが、まさにその通りだ。
彼は余程の自信があるのか正論を述べてはいるが、私が目の前にする子どもたちは既に為政者の思惑を超えて自分の考えが持てるようになっている。
それは、日本国憲法の三原則(基本的人権の尊重・国民主権・平和主義)をしっかりとらえて幾多の文章を書けていることからも分かる。
しかし、私は危惧する。
教科書に基づいた私たちの主権者教育が、子どもの主体的な学びでどんどん進められるとどうなるか?
おそらく彼は慌てふためいて言うであろう。
「偏向した教育はまかりならん!」と。
彼(ら)は常に自分たちの思惑通りに進まないとみると、現場に対してありとあらゆる攻撃を仕掛けてくるのだ。
今回の授業はほんの1時間限定の授業であったが、それだけでもこれだけの考えが出たのだ。
そこには教育内容の押し付けや知識注入はなかった。
私たちは、子どもたちの持っているしなやかな感受性や思考力・判断力に信頼を寄せ、これからも子ども中心の授業を進めたいと切に思う。
将来、本当にしっかりとした主権者になるために・・・。
<やったるで>
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学習課題は「18才で選挙権を得ることに賛成、それとも反対?」とした。
歴史につづいて公民でも意欲的に学習してきた彼らにとって不足のないテーマだと考えたからだ。
国会でも公職選挙法改正案として今国会に再提出することになったが、このあたりは「憲法改正」のための「国民投票」と密接に絡んでいるため、今回は現実の政治の経過については敢えて説明はしなかった。
しかし、初めて20才以上の全国民に選挙権が与えられたということを学習した「戦後の諸改革」のことを思い出させた。
その時、何と女性は初めて選挙権を得たことも確認させた。
今回の授業は単なるディベートではなく、まず3人組のグループを作って討論させることから始めた。
10分前後の間、どのグループもザワザワと話し合っていたが、どうも話を聞いていると3人が合意した所と意見が分かれた所がある様子だった。
意見の一致したグループは誰か代表で発言し、分かれたグループはそれぞれが発言するように指示をした。
尚、発言の際はその理由も述べることにした。
以下に代表的な意見を紹介
◇賛成
・18才以上にした方が若い人の自覚を高めることになる。
・人口が減っているので年令を下げて投票者を増やした方がいい。
・前に学習した時、投票率が下がってきているので少しでも多くの人に投票してもらいたいから…。
・18才に下げると、政治に関心を持つ若い人が増えるから。
・もう18才は政治について学んでる年だから…。
・若い人たちの意見が政治に反映させることができるから。
◇反対
・高校卒業した位でまだ政治がよく分からないから。
・法律上(民法?)まだ子どもだから。
・まだ学生だし、ちゃんとした大人になってないから。
・18才ではまだ高校生だから遊び半分になる。
・深く考えないで投票して、悪い方向に行ってしまったら困るから。
・部活や大学進学で忙しいと思うから。
討論の結果は、グループ(個人も含む)毎の数が6対6の半々になった。
担任も頷きながら子どもたちの話を聞いていた。
因みに担任が授業後にこんな感想を寄せてくれた。
「子どもたちがこんな風に考えるんだ! 思ったより考えられていて驚きました。そして、きちんと学習したことや身近なことを基にして考えられていたことも嬉しかったです。実際のニュースに関わってくる6年の学習、とても面白く、この1年大変勉強になりました。パッと指されて答えられる子どもたちの姿も頼もしかったです。」
私も子どもたちが発言している時に同様なことを感じていた。
今年の6年生は最後まで気持ちが途切れることがなかった。
だから、今までの学習の上に立った学習や自分を含めた身の周りの現実をふまえた学習ができたのだ。
後の補足意見で「(僕たちも政治の学習をしたので)高校生までなれば(かなり政治について分かってくると思うので)政治に参加してもよい」というような考えがいくつか出されたのはクラスの実態を象徴していた。
尚、その他の主な意見は、「まだ選挙権を得て70年なので、100年までは今のまま続けて欲しい。」
「スポーツや受験に集中している時期なので18才は早すぎる。」
「今のままだと高齢者中心の政治になるので若い人の考えを出したほうがいい。」
等々が出たが、いずれも言葉を変えつつ同様な考えを述べたものが多かった。
「ぼくたちには選挙権がありません。たのむぞ大人!」ということに触れて書かれたかつての当ブログのように、彼らは12才の人間なりに政治について学び自分の考えを持つに至っているのだ。
安倍首相が国民投票年令を18才に引き下げることに関して「主権者教育をどう進めるかという教育が大切」という答弁をしていたが、まさにその通りだ。
彼は余程の自信があるのか正論を述べてはいるが、私が目の前にする子どもたちは既に為政者の思惑を超えて自分の考えが持てるようになっている。
それは、日本国憲法の三原則(基本的人権の尊重・国民主権・平和主義)をしっかりとらえて幾多の文章を書けていることからも分かる。
しかし、私は危惧する。
教科書に基づいた私たちの主権者教育が、子どもの主体的な学びでどんどん進められるとどうなるか?
おそらく彼は慌てふためいて言うであろう。
「偏向した教育はまかりならん!」と。
彼(ら)は常に自分たちの思惑通りに進まないとみると、現場に対してありとあらゆる攻撃を仕掛けてくるのだ。
今回の授業はほんの1時間限定の授業であったが、それだけでもこれだけの考えが出たのだ。
そこには教育内容の押し付けや知識注入はなかった。
私たちは、子どもたちの持っているしなやかな感受性や思考力・判断力に信頼を寄せ、これからも子ども中心の授業を進めたいと切に思う。
将来、本当にしっかりとした主権者になるために・・・。
<やったるで>