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駅から散歩・会津若松駅「鶴ヶ城」

2021年11月13日 | 日記

戊辰戦争を耐え抜いた、会津人が誇る不落の名城

鶴ヶ城へやって参りました。

鶴ヶ城と戊辰戦争 慶応4年の鳥羽伏見の戦いから始まり、会津の名を全国に知らしめる大きな要因となった戊辰戦争、新政府軍は、旧幕府軍であった会津藩主、松平容保率いる城下に進軍、籠城戦に突入した、山本(新島)八重をはじめ女性や子供も戦ったが、1か月に及ぶ籠城の末、会津藩は降伏し会津戦争が終結した。

北出丸から本丸へ通じる大手門

鶴ヶ城のマップ

鶴ヶ城の歴代領主の家紋

「保科氏と松平の家紋」保科政之は徳川家光の弟、最上にいた保科が徳川直径として入場そして松平容保が継ぎ、大変なことに、NHK大河ドラマ「八重の桜」戊辰戦争に!

「武者走り」石垣に造られたV字型の石段。左から上り右から下る決まりがあったため、大勢の人がぶつからないように効率よく上り下りできた。

Zoom up ハートの石見つけた!

「鉄門」本丸へ通じる表門。柱や扉の木の部分が鉄で覆われていることからこの名前がついた。頑丈で重厚な造り。

「月見櫓」城の南方の見張りをする場所、また武器が収められていた櫓。本丸の東南にあり、櫓にかかる月影が美しかったことから風流な名前がつけられた。

「荒城の月碑」は明治後期に詩人·土井晩翠 が荒れた鶴ヶ城址などをモデルに作詞。その後、滝廉太郎が曲をつけた。

茶壺櫓

茶壺櫓からの鶴ヶ城

「廊下橋」本丸から二の丸を結ぶ、長さ約13m、掘からの高さ23mの朱塗りの橋。

二の丸跡

「萓野国老殉節碑」戊辰戦争降伏後に戦争の責任を負い、藩主▪松平容保に代わって切腹した会津藩家老▪萓野 権兵衛の供養塔。  

どこから見るお城が美しいかな?

「天守」鶴ヶ城は日本100名城の一つ、そして鶴ヶ城公園は日本さくら名所100選の一つです。

赤瓦が美しい天守閣

展望層

全体に銀箔が張られて、目にはダイヤモンド制という豪華絢欄な装飾が施されている、、しゃちほこ。

五層の天守展望台から見た会津若松市の風景

北東の方角には自刀して果てた白虎隊十九士が眠る飯盛山が淋しく見える。

「南走長屋」表門から続く長屋で、帯郭から本丸へ敵が侵入するのを防ぐために造られた、表門を守る要だつたと考えられいる。

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