【ガダルカナル島の戦い】
それまで連戦連勝だった日本陸軍が、初めて敗北したのがガダルカナル島の戦いでした。ガダルカナル島は、ソロモン諸島にあります。ソロモン諸島では、日本とアメリカとの間で、何度も海戦は行われていましたが、ガダルカナル島の戦いで、初めて本格的な地上戦を行うことになりました。ガダルカナル島は、地理的にアメリカとオーストラリアを結ぶ位置にあったので、軍事的に重要だったとされています。オーストラリアは、アメリカの同盟国だったので、日本は、その連携を断とうとしていました。ガダルカナル島は、何もない島です。しかし、日本とアメリカは、ガダルカナル島の所有権を巡って、何度も死闘を繰り広げました。ガダルカナル島が、東南アジア支配のための拠点として、最適な位置にあったからです。日本は、そこを占領し、飛行場を建設しようと考えました。
【地上戦】
日本の軍隊で、島などの陸地で戦うのは陸軍です。それまで、日本の陸軍は、米軍の正規兵と戦ったことがありませんでした。主に中国軍や、植民地にいた二級の欧米軍としか戦ったことがなかったからです。その欧米兵たちは、訓練も未熟で、装備も本国のおさがりのようなものでした。一級の兵士たちは、主にヨーロッパで戦っていたからです。そのため、日本軍は、欧米軍を弱いと思い込んでいました。当時、アメリカが、軍事力を割いていたのは、主にヨーロッパ方面です。その割合は、ヨーロッパが7で、東南アジアが3だったとされています。日本軍は、今のうちなら、まだ攻めて来ないので、簡単にガダルカナルを占領出来ると考えていました。しかし、その目論見は、外れてしまいます。アメリカが、ガダルカナル島に送り込んで来たのが、上陸専門の厳しい訓練を受けた「海兵隊」という精鋭たちだったからです。
【餓島】
アメリカは、一万人もの兵士で、ガダルカナル島を占領しました。それに対する日本軍は、900人だったとされています。日本は、新たに6000人の部隊を派遣し、ガダルカナル島を奪還しようとしました。数の上では、劣勢でしたが、それでも善戦したとされています。日本陸軍の戦法は、銃剣突撃という日露戦争時代のものでした。その戦法は、植民地軍には、有効だったかもしれません。日本軍の銃剣突撃は通用せず、アメリカの機関銃の「十字砲火」の格好の餌食となりました。十字砲火とは、2方面から機関銃を浴びせることです。日本軍は「制海権」「制空権」を取られ、輸送船が攻撃され放題だったので、思うように物資が届けられませんでした。なぜなら、補給というものは、安全が確保されていないと出来ないからです。日本は、仕方なく、夜の闇にまぎれて少しずつ物資を運ぶことにしました。それを「ねずみ輸送」と言います。
孤立した日本軍は、多くの餓死者を出したので、ガダルカナル島は「餓島」とも呼ばれました。また、マラリアや赤痢などの感染症で、数多くの日本兵が病死したとされています。そうした病気が流行るのは、ガダルカナル島が熱帯地域だったからです。
日本軍は、精神力では、欧米人を上回っていると自負していました。当初、アメリカの方も、日本兵を恐れていたとされています。そこで、相手を知るため、日本兵の日記を翻訳してみました。そこには、弱音がつづられていたので、日本人も同じ人間だと気づいたとされています。