【マレー作戦】
太平洋戦争の開戦時、真珠湾攻撃と同時に行われたのが「マレー作戦」です。マレー作戦は、日本陸軍とイギリス陸軍の、真珠湾攻撃は、日本海軍とアメリカ海軍との戦いでした。日本の陸軍と海軍は、別組織なので、意見が対立することもあったとされています。
当時の日本は「ABCD包囲網」によって、石油などの物資が入らなくなっていました。ABCDとは「アメリカ」「イギリス」「中国」「オランダ」の頭文字です。日本は、資源不足を解消するため、資源が豊富な東南アジアを占領しようとしました。「占領する」とは、自分たちがそこを使えるようにすることです。そのため、ただ攻撃して破壊するわけではありません。マレー作戦の最終目標は、イギリスの植民地だったシンガポール島を占領することでした。シンガポールは、マレー半島の先端にある島なので、地理的に、海峡監視や補給基地に最適だったとされています。
【シンガポール攻略】
日本軍は、難攻不落の要塞とされるシンガポールを直接攻撃するのは困難だと考え、マレーシア側から進行することにしました。しかし、マレーシアがあるマレー半島も、250本の河川と鬱蒼たるジャングルに囲まれた天然の要塞とされています。道路も、半島を横断する一本道しかなかったので、そこを進軍するのはきわめて困難でした。当時、イギリスは、マレーシア方面の兵力を増強しており、その数は日本軍の約2倍だったとされています。しかし、そのほとんどが、世界各地のイギリスの植民地から集められた兵でした。彼らは、異なる民族から構成されており、忠誠心がなく、統制もとれていなかったとされています。そうした兵士しか回せなかったのは、イギリスが、ドイツ軍に対して劣勢だったからです。
日本軍は、イギリス軍の予想を上回るスピードで進撃し、あっという間にシンガポールを占領しました。作戦を指揮していたのは、陸軍中将「山下奉文」という人物です。山下奉文は、勇猛だったので「マレーのトラ」と呼ばれました。マレー作戦の進軍に使われたのが日本製の自転車です。その自転車部隊を「銀輪部隊」と言います。マレーシアの道は、凸凹で、よくパンクしましたが、近くにゴムの原料が豊富にあったので、すぐに補修が出来ました。
【マレー沖開戦】
イギリス艦隊は、日本軍のマレー半島上陸を阻止しようとしましたが,日本の航空機と戦闘になりました。それをマレー沖海戦と言います。イギリスは、日本の航空機に対する研究が不十分でした。当時は、まだアジアの国の物だと見くびっていたからです。日本軍の「96式陸上攻撃機」と「1式陸上攻撃機」は、ベトナムの「サイゴン基地」と「ツドウム基地」から飛び立ち、イギリス軍の最新式の戦艦「プリンスオブウェールズ」を水平爆撃と魚雷によって沈めました。この出来事は、航行中の戦艦を航空機だけで撃沈したという世界初の事例とされています。このことよって、航空機の優越性が証明されました。当時のイギリス首相「チャーチル」も、戦争中で最も衝撃的な出来事だったとしています。なぜなら、戦艦のような「重武装」「重装甲」の船が沈むはずがないと思われていたからです。日本は、マレー沖海戦の勝利によって、インド洋・太平洋の制海権を獲得しました。制海権とは、安全に物資を運べる権利のことです。