【日米自動車紛争】
戦後の日本は、順調に経済が復興し、1980年代前半には、輸出産業が伸び、大幅な貿易黒字となりました。そこで、引き起こされたのが、アメリカとの貿易摩擦です。日本が、高い技術力で小型の低燃費自動車を生産したので、アメリカは、貿易赤字となりました。アメリカの自動車は、大型の大量排気型モデルだったので「排ガス規制」や「オイルショック」の影響もあり、日本車にシェアを奪われたとされています。米国の消費者が、燃費の良い日本の小型車を求めたので、日本からの輸入が急増しました。日本の自動車の生産量が、アメリカを抜いて世界一となったのもその頃です。一方、アメリカの大手自動車会社は、業績が悪化し、従業員が、リストラに追い込まれました。それに反発して行われたのが、日本車をたたき潰す「ジャパン・バッシング」です。そこでアメリカ政府は、日本車の輸入を制限しましたが、それはアメリカの消費者の利益には反することでした。
【プラザ合意】
アメリカの貿易赤字の大半は、対日本との貿易によるものです。アメリカ国内では、自国製品の売上が低迷し、景気は悪化しました。その景気を改善するために行われたのが「プラザ合意」です。プラザ合意の狙いは、アメリカの輸出競争力を高め、貿易赤字を削減することでした。日本がこれに合意したのは、アメリカとの関係を良好に保つためです。プラザ合意によって、日本では、円高の影響で輸出が減少し、いったん国内の景気が低迷しました。それに対して、日本銀行が行なったのが低金利政策です。日本の企業は、この低金利を利用し、銀行からお金を借りて土地を買い、その土地を担保にさらにお金を借りて、土地を増やしました。
【バブル景気】
80年代、土地神話は、まだ疑われていませんでした。そのため、過剰な不動産への投資が、バブル景気の始まりだったとされています。工場を作るために必要なのが「土地」です。当時は、工場を作りたい企業が多くあったので、地価がどんどん上がりました。地価の高騰を受けて、盛んになったのが、転売を目的とした土地の売買です。80年代、土地への投資を行う企業や個人が続出しました。なぜなら、土地に投資するだけで利益が得られたからです。彼らは、お金を借りてまで、新しい土地を次々と購入しました。こうした手法でお金儲けることを「財テク」と言います。当時、転売用の土地を確保するための悪質な地上げが横行し、住宅の打ち壊しや、放火などの事件が相次いだことが社会問題となりました。
【リクルート事件】
リクルート事件は、昭和と平成の間の1988年に起きた戦後最大の企業犯罪と呼ばれる贈収賄事件です。この事件で、賄賂として譲渡したものが、現金ではなく、値上確実な未公開株という新しい手法だったので、注目されました。リクルート側の目的は、自社の政界や財界での地位を高めることです。その相手が、有名政治家や官僚だったので、大きな政治、企業的スキャンダルとなりました。この事件は、政治とカネの関係性の在り方を見直すきっかけになったとされています。
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