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大正時代の日本

2023-10-11 12:49:00 | 日本史

【大正デモクラシー】 

 大正デモクラシーとは、日露戦争後から大正末年までに展開された、自由主義・民主主義的な風潮をさします。その目標は、それまでの「幕藩政治」を否定し、政治に国民の意思を反映させることです。具体的には「政党政治」「労働運動」「社会主義」として展開されました。背景にあったのは、産業革命以降の「労働問題」や「都市問題」などです。大正デモクラシーの影響は「政治」「社会」「文化」など多方面に現れました。 

 【民本主義】 

 大正デモクラシー運動の理論的根拠となったのが吉野作造の「民本主義」です。民本主義は、民衆を第一とし「民衆の福利」を目標としていました。その具体的な目的は「普通選挙法」や「政党内閣制」を実現することです。 民本主義と似たものに、民主主義があります。民主主義は、もともと欧米から入ってきたものです。そのため、欧米風の民主主義を、日本にそのまま適用させるわけにはいきませんでした。民主主義では、主権は国民にあります。その国民の民意に基づいた政党が議会を行うものでした。それを政党政治と言います。民本主義では、民主主義を実行しつつも、あくまで主権は天皇にありました。 なぜなら、当時の日本の憲法では、主権は天皇にあったからです。

 【天皇機関説】 

 本格的な「政党内閣」が誕生したのは、原敬内閣の時です。政党政治の理論的な根拠になったのが、憲法学者「美濃部達吉」の「天皇機関説」です。天皇機関説では、天皇は、国家の上に君臨する神のような存在ではありません。あくまで国家の中の1つの機関に過ぎないとされました。いくら天皇を中心とする政治でも、国家が機能するためには、政府や議会など、他の機関の協力を必要とするからです。

 【普通選挙】 

 加藤高明内閣の時に成立したのが「普通選挙法」です。普通選挙法は、平等を原則としており「納税額」「財産」「教育」などの資格要件がありませんでした。ただし、参政権が与えられたのは、25歳以上の男子だけです。この時点では、女性には参政権がありませんでした。普通選挙に対するものを制限選挙と言います。政府が、普通選挙法とともに導入したのが「治安維持法」です。治安維持法は、共産主義など政府にとって都合の悪い思想を弾圧するものだったので、第二次世界大戦後、民主主義的ではないとしてGHQが廃止しました。 

 【第一次世界大戦】 

 大正時代、世界では、第一次世界大戦が起こりました。戦争のきっかけは、オーストリア皇太子夫妻がセルビアで暗殺されたことです。第一次世界大戦とは「三国同盟」と「三国協商」との戦争で、歴史上最初の総力戦でした。総力戦とは、一般市民の生活にも深刻な影響を与える戦争のことです。第一次世界大戦では「毒ガス」「戦車」「飛行機」などの近代兵器が使用され、4年半も続きました。その主な戦場だったのが、ヨーロッパです。日本は、日英同盟に基づき参戦し、中国の山東省の青島に進軍し占領しました。戦争の結果、日本は、工業国としての基礎が築かれます。日本が大国の仲間入りを果たすことが出来たのは、そのおかげです。戦後「大戦景気」と呼ばれる好景気に沸き、国民の生活水準は上がりました。



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