太秦高塚古墳公園に行って来ました。
きれいに整備されていました。
古墳の周りは、
大阪市水道局 豊野浄水場です。
子どもの頃には、ここに古墳があるとは聞いていました。
住宅開発や、浄水場ができるまでは、丘陵・竹林とか田畑だったと思います。
太秦高塚古墳は、秦・太秦の丘陵上に所在する太秦古墳群で、唯一現存する古墳です。
2001年(平成13年)の発掘調査によって、古墳の形状や保存状況がわかりました。
古墳は、全長39m、円丘部の直径37m、高さ7mで、2段にきずかれていることがわかりました。
1段目の平坦部(テラス)には、円筒埴輪列が巡っていることが確認されました。
また、古墳の周りには、幅約7.5m、深さ2mの濠が残っていました。
北側には、「造り出し」と呼ばれるまつりを行ったと考えられる区画が墳丘に付いていることがわかり、ここから人物・水鳥・鶏・家・衣蓋・盾などの形をした埴輪や土器が集中して見つかりました。
古墳の頂上は盛土が大きく流出して大きく変化していましたが、東側で主体部の一部が残っており、南側より短甲(よろい)・鉄鏃(やじり)・鉄斧(おの)・鐙(あぶみ:馬具で足をかける道具)などの副葬品の鉄器がまとまって出土しました。
墳頂部の大きさから西側にも主体部があったと思われます。
出土した埴輪や土器などから、太秦高塚古墳は5世紀の後半に築かれたと考えられます。
2001年度(平成13年度)に市制施行50周年記念事業として復元整備を行い、2002年(平成14年)4月1日「太秦高塚古墳公園」として開園しました。
寝屋川市







左のブルーですが・・・
太秦高塚古墳公園階段横で、
陽だまりでおじさんがお昼寝をされてました。



きれいに整備されていました。
古墳の周りは、
大阪市水道局 豊野浄水場です。
子どもの頃には、ここに古墳があるとは聞いていました。
住宅開発や、浄水場ができるまでは、丘陵・竹林とか田畑だったと思います。
太秦高塚古墳は、秦・太秦の丘陵上に所在する太秦古墳群で、唯一現存する古墳です。
2001年(平成13年)の発掘調査によって、古墳の形状や保存状況がわかりました。
古墳は、全長39m、円丘部の直径37m、高さ7mで、2段にきずかれていることがわかりました。
1段目の平坦部(テラス)には、円筒埴輪列が巡っていることが確認されました。
また、古墳の周りには、幅約7.5m、深さ2mの濠が残っていました。
北側には、「造り出し」と呼ばれるまつりを行ったと考えられる区画が墳丘に付いていることがわかり、ここから人物・水鳥・鶏・家・衣蓋・盾などの形をした埴輪や土器が集中して見つかりました。
古墳の頂上は盛土が大きく流出して大きく変化していましたが、東側で主体部の一部が残っており、南側より短甲(よろい)・鉄鏃(やじり)・鉄斧(おの)・鐙(あぶみ:馬具で足をかける道具)などの副葬品の鉄器がまとまって出土しました。
墳頂部の大きさから西側にも主体部があったと思われます。
出土した埴輪や土器などから、太秦高塚古墳は5世紀の後半に築かれたと考えられます。
2001年度(平成13年度)に市制施行50周年記念事業として復元整備を行い、2002年(平成14年)4月1日「太秦高塚古墳公園」として開園しました。
寝屋川市







左のブルーですが・・・
太秦高塚古墳公園階段横で、




