県庁あたりからは近いので迫力満点
奈良の冬の風物詩、若草山焼きが今年2018年は1月27日に行われます。打ち上げ花火と真っ赤に燃える山が、夜空のキャンバスにとても美しく映えます。どこから見るかでその表情が大きく変わるため、年ごとに場所を変えて楽しむ人も少なくありません。近年は移り映えの見事さから全国からカメラファンも集まってきます。そんな冬の奈良の一大イベントの魅力を探ってみたいと思います。
若草山の山頂付近
若草山は、東大寺の奥にそびえる標高342mの山で、芝生に覆われていることがよく知られています。春秋の季節の良い頃には、ピクニック気分で弁当を広げる人たちも大勢います。鹿が芝生を食べるため、常に一定の高さに刈り揃えられていて美しいのです。
山焼きはこの芝生に点火して、若草山全体を焼きます。幕末にはすでに行われていたようですが、起源については諸説あります。山頂にある鶯塚古墳の霊魂を鎮める祭礼、若草山を焼かなければよくないことが起こるという迷信に対し放火が相次いだことへの対応、春の芽生えをよくするための原始的な野焼き、等々です。
若草山の麓から打ち上げられる花火
山焼き点火前の打ち上げ花火も大きなお楽しみです。点火前の露払いといった趣を感じさせ、花火の音が点火に向けたカウントダウンのように聞こえます。
真っ赤に燃えた山と打ち上げられた花火が同時に写っている写真を見たことがある人も多いと思いますが、実際は同時には見えません。花火は点火後に打ち上げられることはないためです。
撮影テクニックとして、数十分間シャッターを開けたままにしておくことで、長時間の映像を一枚の写真に集約することができます。しかし場所取り、どの花火を狙うか、カメラぶれ対策など、高度なテクニックが必要で、きれいな写真を撮るのはとても難しいそうです。
【奈良県観光公式サイトの画像】 山焼と打ち上げ花火の写真
山焼きは総勢300人の消防団員が参加して行われます。最初の点火から完全に消化するまでは、その時の天候や芝の状態に左右されますが、おおむね30分以上かかります。しかし最も美しく見える山全体が燃えている状態は、ほんの数分しかありません。風向きによっては立ち込めた煙で炎が見えにくい場合もあります。美しく見える状態が続くかは本当に運次第です。
リスクは大きいですが、山全体が赤く染まる姿は本当に迫力があって、かつ幻想的です。またその状態が数分間しか続かないことから、はかなくもあります。山へ点火することでは同じ京都の五山送り火とは対照的に、炎のモチーフがとても大きいことが、大きな空を借景にできる奈良の魅力を活かしていると言えます。
鑑賞スポットとして近いところでは、障害物のない奈良県庁の屋上がベストです。しかし250名限定のプラチナ・チケットです。興福寺や県庁前の登大路からが一般的ですが、距離が近いため数メートルの違いで信号が邪魔になって見えにくいといったことも起こりえます。しかし地響きするほどの花火の音や、延焼を心配するほどの炎の迫力が味わえます。
少し離れたところでは、平城宮跡と西ノ京駅西側の大池付近が著名です。距離があるので炎や煙が漠然としか見えず、赤く染まった山全体が綺麗に見えます。山火事を心配してハラハラするようなことはありません。また朱雀門や薬師寺の塔の奥に山焼きが見えることも、奈良らしさを一層感じさせます。初めての場合は失敗することがないこともあり、少し離れた方がおすすめです。
【奈良県庁】 若草山焼き当日の県庁舎屋上開放について
山焼きと同じ日に、春日大社の境内で「大とんど」が行われます。正月のしめ縄や古いお守り・お札を焼くことで一年の無病息災を祈ります。奈良の街にとって、この日はとても大切な祈りの日なのです。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
奈良公園の鹿を保護・管理する愛護会が鹿のエピソードを存分に披露
若草山(奈良県サイト)
http://www.pref.nara.jp/6553.htm
有料エリア営業期間:3月第3土曜日~12月第2日曜日
若草山焼き(奈良県観光公式サイト)
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/02nature/01mountain/01north_area/wakakusayama/event/qmtofgu2qk/
会期:2018年1月27日(毎年1月第4土曜日開催)
※雨天・強風など点火不可能な場合は1週間後に順延
興福寺一条院から移築された南門が寺の風格を感じさせる
大安寺は、奈良市の中心街から離れたJR奈良駅の南方に静かにたたずむお寺です。飛鳥時代に日本初の官寺(国営寺院)として創建され、奈良時代は東大寺と並ぶ巨大寺院でした。長らく荒廃していましたが、戦後から少しずつ復興が進み、現在では奈良時代の美仏と数々の行事で親しまれています。
1月23日には多くの人出で賑わう「がん封じ笹酒祭り」が行われます。竹筒でお酒をいただける奈良の冬の風物詩としてすっかり定着しています。
大安寺は、現在の桜井市に「百済大寺」として創建されました。その後飛鳥に移転して「大官大寺」となり、平城京遷都で再び移転し「大安寺」と改めました。
都の中心を貫く朱雀大路をはさんで、薬師寺と東西でほぼ対になるあたりに位置します。薬師寺も大安寺も奈良時代から所在地は変わっていません。伽藍は巨大で、発掘調査で確認された礎石跡から、高さ70mを超える巨大な七重の塔が東西ツインで建っていたと考えられています。ちなみに薬師寺の東塔は三重塔で高さ34mですので、その巨大さには圧倒されます。
平安時代半ばの大火で伽藍のほとんどを焼失しています。以降、復興の機運は長らく高まらず、明治まで待たねばなりませんでした。1940(昭和15)年に河野清晃(こうのせいこう)が住職になると、堂宇の再建と行事の復活が進んで、参拝者が増えるようになりました。
ちょうど薬師寺でも高田好胤(たかだこういん)が法話と写経で金堂や西塔の復興を果たしており、天平時代の巨大寺院が同じように昭和になって復興を進めたことはとても興味深いものがあります。
「がん封じ笹酒祭り」も河野清晃が復活させたものです。正式には「光仁会(こうにんえ)」と呼ばれます。桓武天皇が父・光仁天皇の一周忌法要を、平安京から大安寺に出向いて行ったことに因んだ行事です。
光仁天皇は当時としては超高齢の73歳で天寿を全うしました。長く続いた即位前の不遇の時代に、大安寺で採った竹に注いで酒を楽しみ、無病息災を保ったといいます。この故事にあやかって、竹筒に入れた酒を参拝者にふるまい、がんのような悪病にならないよう祈ります。竹は漢方薬にもよく使われており、健康に良いようです。
境内に入るとまず拝観・接待料500円を支払い、竹のお猪口を受け取ります。着物姿が美しい「笹娘」がずらりと並び、酒の入った青竹から竹のお猪口に酒を注いでくれます。酒は竹に入れて焚火で温められており、酒と青竹の香りが調和してとても風情があります。車を運転する場合など、お酒を飲めない人には「笹水」がふるまわれます。縁日屋台もたくさん出ています。
【公式サイトの画像】 光仁会(がん封じ笹酒祭り)
広い境内は手入れが行き届いており、見事な竹林もあります。まわりに高い建物がないことから、奈良らしいゆとりのある大きな空間が楽しめます。常時公開の収蔵庫では、「楊柳観音」が見応えがあります。観音様としては珍しい怒りの表情をしています。しかし流れるようなボディラインはまさしく天平仏で、東大寺の日光・月光像のような優雅さを醸し出しています。
【公式サイトの画像】 楊柳観音
寺では現在も復興に努力しています。笹酒祭りに訪れ、復興を応援しましょう。ちなみに笹酒祭りは6月23日にも行われます。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
平城京の巨大寺院を発掘調査から徹底解剖
大安寺
http://www.daianji.or.jp/index.html
原則休館日:なし
※仏像や建物は、公開期間が限られている場合があります。
大安寺「光仁会」(がん封じささ酒まつり)(奈良県観光公式サイト)
https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/01north_area/daianji/event/3i3yd0pp4w/
会期:2018年1月23日(火)(毎年固定日開催)
大とんどは雄雌のペア
吉祥草寺(きっしょうそうじ)は、奈良盆地の東南、飛鳥のちょうど西側にある修験道ゆかりのお寺です。修験道の開祖で大峰山や吉野・金峯山寺を開いたと言われる役行者(えんのぎょうじゃ)の生誕地に建立されたと伝わるパワースポットとして、また真冬の圧巻の風物詩である「大とんど」が行われることで知られています。
役行者は役小角(えんのおづの)とも呼ばれ、飛鳥時代の呪術師です。呪術師として当時かなり名をはせた実在の人物ですが、修験道の開祖としての認定や、“伊豆大島から海の上を歩いて毎日富士山に登った”といった様々な逸話は後世に成立したものと考えられています。
宗派の象徴として主観的にあがめられる存在と考えるとわかりやすいでしょう。真言宗の開祖・空海も“墨を付けて投げた筆が川の対岸の額に字を書いた(神護寺の硯石伝説)”といった、科学的には説明がつかない逸話がたくさんあるのと同じです。
境内にある役行者の産湯の井戸
寺は平安時代に醍醐寺の開祖・理源大師聖宝によって中興されましたが、南北朝時代の兵火で全焼しています。現本堂は室町時代に再建されたものです。境内には「役行者の産湯の井戸」や、開山堂内に江戸初期の役行者像が伝わっており、長い時の流れを感じることができます。
寺のある地名を付けた正月明け恒例の「茅原(ちはら)大とんど」は、高さ5mの大松明を燃やしてその年の五穀豊穣を願う左義長(さぎちょう)行事です。数多く行われる奈良県内のとんどの中でも最大規模で、闇夜の勇壮な炎のセレモニーが本当に見事です。
伝説によると、無実の罪で伊豆に流されていた役行者の帰国を村人が大松明で祝ったのが始まりとされています。境内の発掘調査によると、少なくとも江戸時代初期には大とんどが行われていた形跡があるようです。いずれにしろ、とても長い間地元の人たちに愛され続けてきた行事であることは間違いありません。
参道に並んだ縁日屋台を通って続々と見物客がやってきます
夜になると、広い境内には少しずつ人が集まってきます。1月14日の真冬の夜に外で待つことになりますので、甘酒など体を温めるものが縁日屋台でよく売れています。広い境内の中心には、早い時間から雄雌ペアで松明がセットされています。松明の周囲では地元消防団が待機し、万が一の事態に備えています。
本堂の前には山伏が並び、特別な場である雰囲気が伝わってきます。消防団の法被姿も場の空気をピンと引き締めています。点火を前に20時頃から僧侶や山伏の読経が始まり、境内は一層荘厳な雰囲気に包まれます。20時半頃には点火されます。
点火の瞬間
雨で松明が湿っていない限り、炎はあっという間に燃え広がります。風が強い場合は風下を避けないと、おそらく火の粉で服に小穴が開くでしょう。このような巨大な炎を間近で見ることはめったにないこともあって、何とも言えず見事です。寒空の中、待った甲斐があったと感じられます。
カメラのストロボもたかれるため、漆黒の闇夜をキャンバスに複雑に絡み合った光のショーが幻想的です。30分ほど燃え続けると松明が自然と倒れます。倒れる瞬間の迫力もあっと驚かせるものがあります。
お祭りやカメラファンの方には特におすすめのド迫力行事です。間近で見られるライブ感がやはり素晴らしいです。最寄り駅からは徒歩5分ほどですが、本数が少ないため事前のダイヤ確認をおすすめします。クルマには無料駐車場が150台分用意されています。天候も確認しなければなりませんが、それだけの価値はあるでしょう。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
全国8つの聖地による日本の山岳信仰理解に最適の一冊
吉祥草寺
http://www.en-chan.com/index.htm
茅原大とんど(奈良県観光公式サイト)
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/02west_area/kisshosoji/event/0000000001/
会期:毎年1月14日
祭の前に行われる荘厳な読経
法界寺(ほうかいじ)は、京都の山科盆地の東南にある醍醐寺の近くにある古刹です。国宝の阿弥陀堂と平安貴族が一心不乱に祈った阿弥陀如来が美しく、伽藍にも平安時代の浄土信仰の名残を色濃く残していることが魅力です。
正月明けには奇祭の「裸踊り」が行われ、夜のとばりの中、境内は荘厳さに包まれます。見ごたえのある寺社が多い京都の“端っこ”の中でも、中世の趣と奇祭を充分に体験できる数少ないスポットです。
法界寺のあたりは日野(ひの)という地名で、特に室町時代に有力な貴族であった日野家の領地でした。日野家からは浄土真宗の開祖・親鸞聖人や室町幕府8代将軍・足利義政正室の日野富子が出ています。法界寺のすぐそばには親鸞聖人の生誕地とされる地に「日野誕生院」が西本願寺によって建立されています。
800年間立ち続けている国宝・阿弥陀堂
法界寺の創建時期は複数の説があるようですが、末法思想がピークだった平安時代後期の1051年には日野家によって薬師堂が設けられ寺として成立していたようです。宇治の平等院鳳凰堂の完成(1053年)とほぼ同時期です。
現存する阿弥陀如来は創建当初の造立と考えられています。平等院鳳凰堂の阿弥陀様とよく似ており、美しい定朝様式です。極楽に行けるように祈る貴族たちを温かく包み込むようなぽっちゃりした柔和で優美なお顔です。平安時代後期の阿弥陀様としては、宇治・平等院鳳凰堂と加茂・浄瑠璃寺と並んでまさに最高傑作です。
現在の阿弥陀堂や薬師堂は創建当初のものではありません。鎌倉時代初期に後鳥羽上皇が鎌倉幕府追討に兵をあげて敗れた承久の乱の際に伽藍は全焼しています。現在の阿弥陀堂は焼失後まもなく再建されたもので、ピラミッド型の屋根が美しい曲線を描く阿弥陀堂建築の典型例です。堂内にはわずかに創建当初の壁画が残っており、堂内空間をより神秘的に見せてくれます。
境内には小さい池があり、浄土庭園のような趣を感じさせます。伽藍は創建当初からあまり変わっていないと考えられており、浄瑠璃寺と並んで京都では数少ない中世の面影を色濃く残すお寺です。
裸の男たちが体をぶつけあうと湯気が上がる
裸踊りは、阿弥陀堂の正面の縁側で行われます。踊りの前には、阿弥陀堂に隣接する薬師堂で本尊・薬師如来に荘厳な読経が行われます。闇夜に響く僧の声はとても幻想的です。言葉の意味は分かりませんが、とても心が落ち着きます。
裸踊りはまず、子供だけで行われます。「頂礼(ちょうらい)、頂礼」と唱えながら頭の上で合掌し、裸の体をぶつけあいます。「頂礼」とは仏様にひれ伏して敬礼することです。新年の五穀豊穣を祈った「修正会(しゅうしょうえ)」の儀式の最終日に裸踊りは行われることから、仏様に感謝する意味があるのだと考えられます。
子供の部が終わると、大人の部になります。体の大きさが違うこともあって、とても迫力があります。体がぶつかると湯気が立ち込め、一心不乱に「頂礼」と叫びながら頭の上で合掌する姿がとても神秘的です。境内では地元の方による粕汁の接待があります。志納した上でぜひご賞味を。寒空の中でどんな味がするかはご想像の通りです。
裸踊りへの人出は正直多くありません、縁日屋台も出ていません。しかしその分踊りの様子を間近で見ることができます。写真を撮るのに苦労するようなこともありません。京都らしい祭と中世の面影をストレスなく感じられるこの寺をぜひおすすめします。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
定番・古寺巡礼シリーズで法界寺の魅力を再確認
法界寺(京都市観光協会サイト)
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000206
法界寺「裸踊り」(京都市観光協会サイト)
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=2&ManageCode=1000124
会期:毎年1月14日 19:00頃~21:00頃
※仏像や建物は、公開期間が限られている場合があります。
山伏が揃い、神事を前に祈っています
京都にある新熊野神社は、“しん”ではなく“いまくまの”と呼びます。東山の三十三間堂の近くにひっそりと鎮座しています。
平安時代末の源平争乱時に武家たちを翻弄し、熊野詣をこよなく愛した後白河上皇が特に思い入れを込めて創建しました。京都らしい難読固有名詞にふさわしい由緒を持っている神社です。毎年正月明けに、京都でも有数の火祭り神事である「左義長(さぎちょう)」が行われます。
正月明けに、竹や木を組んでしめ飾りなどを焼く火祭りを「左義長」と呼ぶのは、一見耳慣れないと思います。しかし地方で異なりますが「とんど」「どんと」「どんど」と言った通称には聞き覚えがある方が多いでしょう。全国的には「左義長」と呼ぶ方が少数派かもしれません。
後白河上皇は生涯の間に熊野詣を34回行ったとされています。回数の真偽はさることながら、片道一か月ほどかかったと言われる旅程を、朝廷と武家が入り乱れて権力争いを行った平安末期にこれほど多く行ったことはまさに驚嘆です。どれほどの影響力と経済力を持っていたかは想像を絶するばかりです。
新熊野神社は、後白河上皇が院政を行った邸宅である「法住寺殿」の鎮守社として上皇が勧請し、創建されました。日本の歴史を象徴する文化遺産として世界中の観光客を惹きつける「三十三間堂」も、「法住寺殿」の神宮寺として上皇が平清盛にプレゼントさせたものです。
平清盛や源頼朝が時の権力者として知られていますが、その陰では清盛も頼朝も思うようにはコントロールできなかった後白河上皇が、今に伝わる数多くのかけがえのない文化財を造らせていたのです。
境内全てを覆いつくすようなクスが見事
東大路を進んで新熊野神社に近づくと、クスの巨木が自然と目に入ります。後白河上皇の手植えとされています。この木の樹齢に関する科学的な真偽は聞き及びませんが、クスは数千年を超える寿命もありうることから、とても神秘性を秘めた見事な巨木です。まさに聖なるパワースポットであることを知らしめる生きたオブジェです。
コンパクトな境内の中心で左義長が行われます。焚火への点火前には祭囃子に合わせて獅子舞が行われ、正月らしさを演出します。火がつけられると瞬く間に炎が燃え上がります。炎が高いほど「吉」とされています。
寒空の下で焼餅の香ばしさが食欲をそそります
境内では焼餅やぜんざいがふるまわれます。左義長の火で焼いた餅を食べると無病息災になるとする言い伝えに因んだ風習です。
京都では新熊野神社の他にも熊野信仰のスポットがあります。聖護院近くのの熊野神社、永観堂近くの熊野若王子神社です。三社を合わせて「京都三熊野(みくまの)」として現在でも親しまれています。いずれも修験道との関連があり、神秘的な空間を醸し出しています。パワースポットや後白河上皇のファンの方には、京都では欠かせないスポットです。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんあります。
中世の日本の二代巡礼路から中世社会を再発見
新熊野神社
http://imakumanojinja.or.jp/
原則休館日:なし
仕事を終えた夜の方が賑わう「えべっさん」
正月が明け今年も関西には「えべっさん」がやってきます。大阪・難波近くの今宮戎神社でも、初詣では味わえない圧倒的なオーラを発する空間となります。特別に選ばれた福娘から授与される福笹を求め、商売繁盛を祈る人たちがひっきりなしに訪れます。26年ぶりの日経平均株価の高値で幕を開けた2018年、人々は手に持った福笹にどんな思いを込めるのでしょうか。
関西で正月明けに商売繁盛を祈る「えべっさん」は、京都・祇園の京都ゑびす神社や大阪・天満の堀川戎神社が知れられていますが、西宮神社と今宮戎神社のものが双璧です。両神社とも例年3日間で100万人を超える参拝客が訪れ、関西ではこれを迎えないと年が明けた気分にはなれません。
今宮戎神社は四天王寺の西の海岸沿いに開かれた物々交換をする市の守護神として平安時代ごろから親しまれていたようです。江戸時代になって大坂が日本の物流の中心都市として繁栄するようになると、十日えびすの祭事が定着し、大阪では初詣以上に熱気を帯びる祭事として定着しています。
大阪・道頓堀のグリコの看板で有名な「戎橋」も、今宮戎神社への参拝道として名付けられたものです。歌舞伎・文楽・落語・漫才の著名芸人やNHKの朝の連ドラのヒロインが、籠に乗って道頓堀周辺を1月10日に練り歩くイベントも毎年恒例です。十日えびすは、大阪の繁華街を支える人たちが率先して商売繁盛と街の発展を祈る、江戸時代から続く大切な祭事なのです。
1月9日の「宵えびす」には最寄りの南海電車・難波駅からの参道が歩行者天国となり、縁日屋台で埋め尽くされます。仕事帰りに参拝する人が多く、特に平日は夕方以降がごったがえします。私は昼間より夜の絵別山の方が好きです。境内を埋め尽くす提灯が映え、ライトアップされた縁起物を売る屋台が華やかだからです。
神社境内に入ると多くの人は福笹を求めに行きます。福笹を授与する巫女さんは「福娘」と呼ばれ、応募すれば大抵採用される普通のアルバイトではありません。今年は2,800人以上あった応募の中から面接などを通じて選ばれた定員50人の特別な若い女性たちです。
倍率では50倍以上となり、どのような女性たちが揃うかはご想像の通りとなります。近年は留学生枠も設けられ、街が外国人観光客であふれる時代にとてもよくあった選考枠と言えます。大阪では女性たちにとって「福娘」に選ばれることは、ステイタスであることに他なりません。
【公式サイトの画像】 今年の福娘
福笹は「福娘」から受け取りますが、今宮戎神社では笹だけは無料でもらえることが他の神社とは異なりユニークです。神社の周りには福笹に付ける縁起物を売る屋台が密集しています。数十万円するものも珍しくありません。
2018年は日経平均株価の上昇に伴い、景気上昇への期待ムードが例年になく高まっています。また大阪は日本でも有数の外国人観光客の恩恵を受けている街でもあります。新たな商売の発展の方向を祈って、縁起物の売上も大いに活況を呈するでしょう。
「福娘」は今宮戎神社のえべっさんの主役となりますが、西宮神社のような「福男」を選ぶイベントはありません。また西宮神社には「福娘」を選ぶイベントもありません。関西のえべっさんの双璧の両神社で、主役を男女で分担しているようでとても興味深く感じます。3日間開催されていますので、両方を訪れるとよりたくさんの福をもらえることは間違いありません。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんあります。
今宮戎神社
http://www.imamiya-ebisu.jp/
会期:毎年1月9日~1月11日
一年の福を祈った後は、あま酒が温めてくれます
「えべっさん」とは、関西での「えびす」神の通称です。お正月直後に商売繁盛を祈る風物詩としてとても愛されています。全国のえびす神社の総本社として知られている西宮(にしのみや)神社でも、一年で最も華やかな時を迎えます。
早朝6時に参拝一番乗りを競う「福男(ふくおとこ)」レースは、今やすっかり全国のテレビで生中継される新春の恒例行事となりました。日経平均株価の上昇が注目される2018年、「えべっさん」はどのようにほほ笑むのでしょうか?
七福神の一つの「えびす」神の漢字表記は、関西の神社に多い「戎」、大阪の駅名の「恵比須」、東京の駅名の「恵美寿」、タレントとしてもよく知られる「蛭子」ととても多様ですが、地方や由緒ごとに諸説が多く、おそらくどれが正式かを決めることはできないでしょう。
「西宮」という地名の語源は、京都から西の方にある神社を指すという説が有力で、西宮市の山手にあって西宮神社の本社である「廣田神社」を指すと考えられています。
京都と大坂から山陽路に通ずる街道の合流点となった西宮は古くから交通の要所として栄え、江戸時代には酒造りで江戸をはじめ全国で著名になりました。20世紀以降は財界人が邸宅を構える関西で有数の高級住宅街として知られるようになり、甲子園球場も高級住宅街の一つ「甲子園」に造られたものです。
海岸沿いにあることがわかる境内の美しい松林
西宮神社の杜は、海岸沿い特有の勇壮な松林です。現在は埋め立てが進んで海岸線から遠く離れていますが、元は海岸が近かったことをしのばせます。えびす神は、福の神であるとともに漁業の神でもあります。魚を抱えている姿でもよく知られています。海の近くがやはり居心地がよいでしょう。
「えべっさん」は毎年、1月9日の「宵えびす」から3日間行われます。「宵(よい)」とはお祭りなど特定の日の前日を示す意味で、京都の祇園祭の山鉾巡行の前日が「宵山(よいやま)」と呼ばれることも著名です。3日間は最寄りの阪神電車・西宮駅からの参道が歩行者天国となって縁日屋台が立ち並び、初詣のような活気となります。
「十日えびす」と呼ばれるように、1月10日の早朝にメインの神事が行われます。神事の終了後、最も福があるとされる参拝一番乗りを氏子たちが競ったことをルーツとする「福男選び」が行われます。午前6時に開門と同時に、230m先の本殿を目指して「我こそは」と猛烈ダッシュが始まります。
【公式サイトの画像】 福男選びのスタートダッシュ
現在は例年5,000人以上が福男を目指して列をなします。そのため前日にスタート時の並び順を決める抽選が行われ、抽選で最も有利な最前列を引き当てることも「福」がある証になります。運と実力を兼ね備えた「福男」の栄誉を称え、神社の公式サイトに1921(大正10)年以降歴代の福男の名前が掲載されています。ここに名前を残した人は生涯、福の神として1月の飲み会の話題の中心になることは間違いないでしょう。
【公式サイト】 歴代の福男
本殿近くでは、福笹とそれにつける小判や鯛などの縁起物の子宝を買い求める人でごったがえします。帰り道では、ほとんどの人がこの福笹を持っています。名物の甘酒で体を温め、これから始まる一年に「やる気」を奮い立たせます。
商売繁盛を祈る催事としては、正月直後の「十日えびす」は東日本では一般的ではありません。11月の「酉(とり)の市」の方が著名です。福笹ではなく熊手に縁起物の子宝を付けることも異なっています。
日本は東西で習慣や文化が異なることがとてもたくさんあります。西の人は熊手、東の人は福笹を買い求めてみてください。きっと今までとは違った気分になれること間違いなしです。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんあります。
西宮神社「十日えびす」
http://nishinomiya-ebisu.com/ebisu2018/
会期:毎年1月9日~1月11日
参道は神々が住む地へ向かうことを感じさせる
石清水(いわしみず)八幡宮は、京都の南、淀川をはさんで天王山と向かい合う小高い男山(おとこやま)の山上にある。平安京の鬼門を北の比叡山・延暦寺とともに守り続けており、京都市中の神社とは異なる神秘的な雰囲気を感じることができる。社殿の朱色が緑に映える姿が美しい。境内からは、山の麓で合流して淀川になる三本の大河や、北に広がる京都盆地の雄大な眺めが楽しめる。初詣では、伏見稲荷や八坂神社のような混雑は避けられる。いつもと違う開運祈願におすすめしたい。
平安時代前期の860(貞観2)年に、大分県にある八幡宮の総本社・宇佐神宮から勧請(かんじょう、祭神を分けて祀ること)され、清和天皇によって創建された。以来、皇室や源氏を中心とする武家から厚い崇敬を受け続けており、宇佐神宮とともに三大八幡宮の一つと呼ばれる。鶴岡八幡宮など、石清水八幡宮から勧請されてできた八幡宮も数多い。遠方の宇佐神宮に比べて都に近い石清水八幡宮の方が便利であり、実質的な総本社のようにみられていたのかもしれない。
参道からは京都盆地や木津川・宇治川が美しい
参拝するには、京阪電車・八幡市駅から男山ケーブルで上るのが便利だ。ケーブルカーの山上駅からは徒歩5分ほどで上り坂はほとんどない。一方参道を徒歩で登っても20分ほどで、上り坂もさほどきつくない。わずか3分のケーブルカーと比べてじっくり雄大な景色が楽しめる。上り下りどちらかに歩くことをおすすめする。
国宝になって間もない「本殿・桜門」
この神社は、社殿の漆塗りの朱色が美しい。関西でも奈良の春日大社と双璧で、周囲の木々の緑に朱色がよく映える。賽銭箱が置かれている楼門から回廊で囲まれたエリアが本殿で、現在の社殿は1634(寛永11)年に徳川三代将軍・家光が修造したものだ。2016年には国宝指定されている。楼門の欄間の彫刻は、極彩色で龍と虎の表現が荘厳だ。江戸時代初期の徳川家による神社建築が京都に残る数少ない例であり、京都にいながら日光東照宮を見ているような錯覚を起こす。
山上には興味深いエピソードが残されている。アメリカの発明王エジソンは、土産にもらった扇子の竹製の骨を偶然、白熱電球の点灯部分であるフィラメントの素材として使ったところ、とても長持ちした。1880(明治13)年頃、世界中の竹の中から男山の竹が最も長持ちすることを突き止めて実用化し、以来十数年アメリカの街を照らし続けた、という話だ。山上には記念碑があり、毎年エジソンの命日には電気業界関係者が集まって慰霊祭を行っている。
徒歩で行く参道の途中には「松花堂(しょうかどう)」跡地がある。本阿弥光悦らとともに「寛永の三筆」に数えられる江戸時代初期の一流の文化人で、石清水八幡宮の神宮寺の僧侶だった松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)の庵の跡地である。昭乗が箱の中を十字に区切って煙草盆や絵具を入れて茶会を楽しんでいたことに因んで、昭和になって料亭「吉兆」が提供して評判になったのが「松花堂弁当」である。
今では八幡の方が有名になった「走井餅」
山の麓にある「頓宮」の門前には、「走井餅(はしりいもち)」がある。江戸時代半ばに大津で創業し、東海道五十三次にも描かれた名店だが、鉄道開通で東海道の通行者が減ったためか、1910(明治43)年に当地に移転してきた。京都らしい上品な甘みが、参道を歩いた体をとても元気づけてくれる。
神秘的な境内には、多くのエピソードが残されている。長い歴史とともに時代に応じた人々とのつながりを保ち続けているということだ。奥深い神社である。
こんなところがあったのか。
日本の世界の、唯一無二の「美」に会いに行こう。
町の発展と共に歩んできた京都の神社の祭礼を分析
石清水八幡宮
原則休館日:なし
大仏殿の扉が開放され、大仏様がよく見える
東大寺の元旦は、除夜の鐘つき以外にも、ライトアップされた大仏様のお顔が大仏殿の外から拝めるという、この日ならではの演出も用意されている。ピンと張りつめた冷たい空気の中、大仏殿前にはかがり火がたかれ、幻想的な雰囲気の新年を迎えることができる。高台の二月堂から見る奈良の街の夜景も絶景だ。近隣の春日大社ほど混雑しないこともあり、夜ならではの境内を楽しみながら新年を迎えたい方はぜひ東大寺に。
東大寺の除夜の鐘は、大仏開眼と同年の752(天平勝宝4)年に製作された“本物の”国宝の鐘をつくことができる。高さ3.8m・重さ26tの巨大な鐘の音は、どこまでも鳴りやまず、どこまでも荘厳だ。この鐘の音を一度聴いたら長く記憶にとどめることは間違いない。
除夜の鐘は通常、日付が変わる午前0時を挟んで行われるが、東大寺では午前0時からつき始める。大仏殿と山麓の二月堂のほぼ中間にある「鐘楼」で、22時半頃から鐘をつくために必要な「整理券」の配布が始まる。8人1組でつくので定員は850人ほどとなる。例年のペースでは22時までには整理券待ちの行列に並んだ方がよい。2時間以上寒空の中を待たなければならないが、鐘をついた瞬間の重厚な感触とかなでられる音を感じた瞬間、行列の苦行は忘れてしまうだろう。
1/1に日付が変わった後の0時から朝8時の間のみ、大仏殿が無料で参拝できることは心憎い。大仏殿の前の参道はかがり火がたかれている。とても幻想的で、新年を祈る気持ちを引き締めてくれる。参道からは大仏殿の内部がよく見え、大仏様のお顔も外から拝むことができる。大仏殿の正面上部の戸が開放されているためで、年に2回、元旦の深夜と8/15の万灯供養の夜にしか開けられない。
大仏様のお顔は、夜間で室内に照明がついていることもあり、日中に照明なしで見るよりも逆にきれいに見える。ろうそくの明かりのような色の電球を用いているのだろう、お顔がとても温かく柔和に見える。普段とは異なる表情の大仏様に新年を祈ることができるのはとても味わい深い。
もう一つ、二月堂も訪れてほしい。大仏殿前の鏡池から二月堂へ続く参道の石灯篭が除夜の鐘の頃から点火され、ゆるやかな上り坂が二月堂へと人々を幻想的に誘う。二月堂は高台にあり、舞台から眺める奈良の街の夜景は絶景だ。二月堂の観音様は秘仏なのでお顔は見えないが、素晴らしい夜景が新年を祈る気持ちを後押ししてくれる。
夜にライトアップされた金剛力士像も見事
新年に日付が変わった後の深夜の初詣は、毎年決まったところへ行かれる方が多いだろうが、いつもと違う初詣はいかがだろう。東大寺では夜ならではの美しい仏様や夜景とじっくり向き合うことができる。記憶に残る初詣になる。
こんなところがあったのか。
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奈良仏教美術の第一人者が東大寺を徹底解剖
東大寺
除夜の鐘
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/01zyoyanokane.html
初詣
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/01syougatsu.html
カボチャをなでると無病息災に
京都は四季を通じて風物詩が多い。矢田(やた)地蔵のかぼちゃ供養は年末の恒例行事だ。冷え込む中を少し行列しなければならないが、出汁の効いたほくほくの味で体は温まり、年末気分をとても楽しめる。しかも無料だ。境内の巨大なカボチャをなでると“無病息災”というご利益もついてくる。大根やカボチャなどお寺で野菜の煮物がふるまわれる行事は京都に多いが、その中でも特に記憶に残る行事としておすすめしたい。
矢田地蔵は正式には矢田寺(やたでら)と言い、奈良・郡山の矢田寺の別院として開かれたと寺伝が伝えている。東海道の起終点・三条大橋近くで江戸時代から続く繁華街である寺町三条にあり、寺町通と三条通のアーケードが途切れてちょうどぽっかり穴が開いたところに位置する。間口・奥行きともにとてもコンパクトな境内だが、多くの参拝者で賑わいが絶えない。
温かみのある境内
矢田地蔵は、年に2度のビッグイベントが京都人にはよく知られている。1つは年末のかぼちゃ供養、もう一つはお盆の「送り鐘(おくりがね)」だ。「送り鐘」とは毎年8月16日に行われ、当日は大勢の参拝客が鐘をつく行列に並ぶ。お盆に迎えた先祖の霊をあの世に“送る”ためにつく、という意味がある。著名な「五山送り火(京都以外で一般的な別称:大文字焼)」も、同じ意味を持つ宗教行事だ。
「送り鐘」は矢田地蔵だけで行われるわけではないが、京都では矢田地蔵のものが何といってもよく知られている。なお先祖を“迎える”際の鐘は「迎え鐘」と呼ばれ、清水寺近くの六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)が最もよく知られている。
かぼちゃ供養は、冬至にカボチャを食べると中風にならないという言い伝えから、毎年12月23日に無病息災を祈願して行われる。朝10時からだが、例年開始時間には数百人が行列を作る。先着1,000人分が用意されているので、午前中に行けばまず間に合う。
驚いたことにこの接待は無料である。運営予算はわからないが、継続させるために有料化を考えてもよいと思う。京都の寺によるこうした飲食の接待も、近年は有料の場合が多い。
ここでお茶とカボチャをいただく、感謝。
年末だけに行列はさすがに寒い。しかし順番が近づいてくると体に元気が出てくる。立ち上る湯気と出汁の香りが的確に脳を刺激してくれる。お皿に盛られたカボチャの見た目はシンプルだが、出汁の効いた味がしっかりしている。カボチャ特有のホクホク感もたまらない。冷えたボディは一気にヒートアップする。
シンプルだが行列する価値のある出汁が効いた味
カボチャをいただく前には、巨大なカボチャをなでて「無病息災」と「よいお正月」を祈る。カボチャは多くの参拝者に撫でられているのであろう、スベスベだ。錦市場も近く、寺の周りは買い物客や観光客でごった返している。このイベントを知らずに歩いていてカボチャの絶妙の香りに引き寄せられてやってくる人も多い。とても年末を感じさせる京都らしいイベントである。
「よいお正月」を
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。
移住してきた夫婦の視点で日常の京都を紹介
矢田寺 かぼちゃ供養(京都市観光協会サイト)
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=2&ManageCode=1000327
毎年12月23日 午前10時から
※無料、先着1,000名(例年のペースでは午後早い時間になくなる)
矢田寺(矢田地蔵尊)(京都市観光協会サイト)
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=205
原則休館日:なし
飛び跳ねんばかりに新鮮な大根
了徳寺(りょうとくじ)は、京都の御室・仁和寺の近くの鳴滝(なるたき)にある親鸞聖人ゆかりの寺だ。毎年12月に行われる「大根焚き(だいこんたき)」がよく知られている。師走に入ったことを知らせる京都の風物詩で、とても清楚ながらも冷たい冬の空気に張り詰めた体をホクホクに温めてくれる。
大根焚きとは、お釈迦様が悟りを開いたことに感謝する法要を起源とするもので、由来や意味合いは行われる寺によって異なる。煮た大根をふるまうこと、12月を中心とした冬に行われること、の2点は共通で、京都のみならず関西一円で行われる。
野菜を煮ることを関西弁では「たく」と言うため「大根焚き」と呼ばれる。現在は燃やすことを意味する「焚き」という漢字を使うのは、昔は現在ほど同音異義語の区別が厳密ではなかったのだろうか、理由はよくわからない。日本語はこうした例が非常に多いので本当に苦労する。
寺の石標はとてもわかりやすい
鎌倉時代、浄土真宗の開祖・親鸞聖人が愛宕山を訪れた帰路に鳴滝に立ち寄った。その際村人に説法をし、感銘した村人たちはお礼に塩炊きの大根をふるまった、という故事が行事の由来だ。了徳寺は現在も真宗大谷派であり、親鸞聖人の命日の法要である「報恩講(ほうおんこう)」としても行われる。
毎年12月9日と10日の2日間、曜日に関わりなく行われる。当日の早朝、近隣の亀岡市で掘り出された大根3,000本が境内に並ぶ。境内一杯を使って大根調理が行われ、大根を炊く湯気の熱気は冬の寒空の中でもとても元気を与えてくれる。
右が「大根焚」、左が「お斎」
大根焚は本堂の広間で味わえる。2016年時点で写真右の大根と薄揚げを煮た「大根焚」が1,000円、写真左の「お斎(おとき)」と呼ばれる、かやくご飯に大根の葉のおひたしと大根焚がセットになったものは1,600円だ。少しお高いとお感じの方がいらっしゃるかもしれないが、お高いと感じる分は寺へのご志納と考えるとよりおいしく頂けるのではなかろうか。寺にとっては年に一度のハレの日で、寺や行事の維持費を蓄える貴重な機会だと私は思う。
醤油と塩による味付けはシンプルで、隠し味に生姜を加えているのではないかと思うほどに、よく体が温まる。わざわざ来てよかったと思える瞬間だ。お斎のかやくご飯も大根の味付けによく合う、まさに京都らしい素朴な炊き込みご飯である。
活気にあふれる境内で親鸞聖人もご満悦だろう
大根焚きは12月の京都では多く行われる。開催日は異なるが、各寺を巡って味比べをしてみるのも興味深い。
大根焚きを紹介する観光サイト
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京都在住の売れっ子エッセイストが語る冬の京都の愉しみ方の決定版
了徳寺「大根焚き」
毎年12月9日・10日
十三重塔と紅葉は悠久の歴史を見続けてきた
談山(たんざん)神社は、神社だが境内の趣はお寺の方が近い。日本中で繰り広げられた明治の神仏分離で「神社」になったためで、長らく「妙楽寺」と呼ばれてきた。大化の改新の「談合」を中大兄皇子と中臣鎌足がこの神社のある多武峰(とうのみね)の山中で行ったことから、「談い(かたらい)山」として神社名になったことはよく知られている。飛鳥の都から一山超えた山中に位置することもあり、今でもどこか隠れ家のような深い味わいを見せてくれる。
この神社(旧妙楽寺)は、平城京遷都の直前に中臣鎌足の墓が移され創建されたと伝わる。藤原氏ゆかりの寺ではあるが、興福寺とは宗派が異なり争いが絶えなかった。平安時代から戦国時代にかけて武士の争いも含めて幾度も戦場となり、シンボルである十三重塔も戦国時代の1532(享禄5)年の再建だ。
十三重塔というのは、小さな石塔は比較的あるが、木造ではここにしか現存しない。高さは17mと平地にあればさほど高くはないが、すぐ裏の山を借景に眺めると実に雄大に見える。檜皮葺の屋根と赤い柱は山の緑ととてもよく合う。屋根の反りが幾重にも重なっている荘厳な姿は、本来は釈迦の分骨を収める仏頭を、神々が住む聖なる建物のように感じさせる。
10月中旬から色づき始める紅葉は、関西でも有数のスポットとして知られる。境内は山麓にあるため、紅葉の色付きが上下左右様々な角度から楽しめる。緑をベースに黄色と紅が点描のようにブレンドされた光景は圧巻で、しかも空気には森のイオンが満ちている。特に朝早い時間帯は空気が澄んでいて美しい。
見る角度によって彩の表情は見事に変化する
見事な色付きの中には、十三重塔の他にも本殿や権殿など重文指定された趣のある建物が点在する。祭神である藤原鎌足を祀る本殿は、現在のものは幕末の再建だが、江戸初期には日光東照宮の手本になったという。確かに東照宮のような豪華絢爛な彫り物がされている。聖なるエリアであることを見事に伝えている。
神仏習合の独特の雰囲気を今に伝える佇まいは、紅葉の季節はやはり素晴らしい。カメラファンはもとより、あらゆる人々を引き付ける魅力を持っている。
紅葉と十三重塔は日本有数の撮影スポット
この神社(旧妙楽寺)が創建されたと伝わる678(天武天皇7)年、唐は三代高宗の治世で最大版図を擁していた。仏教美術も興隆し、世界遺産として名高い竜門の石窟の中でも最大級の奉先寺大仏が造られたのもこの頃だ。日本は天武天皇のもと安定した国づくりが行われ、白鳳文化が花開いていた。白村江の戦の影響で遣唐使による文化的な交流は途絶えていたが、日中双方で輝かしい時代だった。
古代の隠れ家は悠久の歴史を見続けてきた。とても奥深い神社であり、寺ともいえる。
古代の隠れ家でぜひ週末を
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談山神社の四季の移ろいを見事にとらえた写真集
談山神社
原則休館日:なし
※仏像や建物は、公開期間が限られている場合があります。
粟生光明寺が一年で最も華やぐ「紅葉特別入山」
京都市の西山に沿って南に進むと長岡京市、大山崎町とつながり、大阪府に入る。西山は平安時代から入山する高僧が多く、見応えのある古刹が少なくないことはあまり知られていない。
長岡京市にある光明寺は、所在する地名を付けて「粟生光明寺」(あおこうみょうじ)と呼ばれることも多い。若き日の浄土宗の開祖・法然がはじめて念仏の教えを説いた地に建立された寺で、現在は西山浄土宗の総本山だ。
普段はとても趣のある静寂な寺だが、晩秋になると一気に華やぐ。大阪・京都では有数の紅葉の名所として知られており、例年11月上旬~12月上旬に「紅葉特別入山」が行われている。ここは、大きい参道に覆いかぶさる雄大な紅葉と、小さい参道を取り囲んで間近に楽しめる紅葉の両方をあわせて楽しめることが魅力だ。ぜひおすすめしたい。
表参道から早速に圧巻の紅葉イオンを味わえる
入口である総門をくぐると正面に幅広で大きい表参道の石段が見える。石段のすぐ左手にも小さい参道があるが、帰りの楽しみとしてとっておいた方がよいので、行きは石段を上る。少し距離はあるが、通称「女人坂」と呼ばれていることで、なだらかであることはイメージしていただけるであろう。参道の周りの木々は背が高く、大ぶりの枝付に赤く染まったたくさんの紅葉の葉はとても迫力がある。日常では味わえない紅葉イオンを体感できる。
参道を上がると本堂である「御影堂」にお参りできる。内陣では法然上人の「張子の御影」にお会いされたい。荘厳なお姿をしている。
御影堂を出て順路を少し下ると、お茶やコーヒー、和菓子などが販売されているテントが並ぶ。腰を掛けるいすも用意されており、しばしの一息に便利だ。
大勢の人で賑わう茶店テント
帰りには、ここの紅葉のもう一つの目玉「もみじ参道」を通る。表参道と比べるとずっと小さい道だが、色づいた紅葉の葉との距離が近く、行きの表参道とは対照的な紅葉の魅力を楽しめる。
もみじ参道の紅い絨毯
近くには長岡天満宮や善峯寺(よしみねでら)といった紅葉の名所もある。洛中からは距離があるため、いわば大原のような、どこか偲んだような佇まいを感じられることがこの西山地域の魅力だ。新たな京都の魅力の1ページを追加できることは間違いない。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。
粟生光明寺の紅葉の絨毯がジグソーパズルに、ピースを見つけるのはとてもハイレベル
光明寺
紅葉特別入山 会期:11月11日(土)~12月6日(水)
原則休館日:なし
※紅葉特別入山期以外も常時参拝可能
ここでしか見られない“まばゆさ”
京都市が行った調査結果によると、2016年間で外国人観光客が訪れた観光地のトップは清水寺で67%、以下、二条城、祇園と続き、金閣寺は49%で4位、5位は43%で伏見稲荷だった。日本人のデータは含まれないが、多くの方が大差ないとお考えになるだろう。
正式名称は舎利殿という建造物である金閣は、足利義満による創建時のものが1950(昭和25)年に放火され、三島由紀夫「金閣寺」、水上勉「五番町夕霧楼」として事件が描かれたことはよく知られている。現在の金閣は事件の5年後に創建当初の姿に再建されて以降、1986(昭和61)年になって金箔の貼り換えなど大修理が行われ、現在にまばゆいばかりの輝きを伝えている。
金閣という建物は、取り囲む境内や庭園の魅力との相乗効果で魅力を高めているように思う。境内(庭園)の中心に金閣を水面に映す鏡湖池(きょうこち)がある。黄金の輝きや紅葉の彩が鏡のように湖面に映える姿はここでしか見られない。金閣は建物内には参拝できないこともあり、まさに湖面があってこその金閣だ。
また鏡湖池からは、北山を借景にした美しい森のビューが秀逸で、京都で一二を争う人気の写真撮影スポットになっている。この池は京都の名だたる庭園の池の中でもとても大きく、借景を見渡す角度がワイドで見応えがある。比較的コンパクトな庭園が多い京都では数少ない、大きい空と雄大な緑・紅葉の彩りを同時に楽しめるところなのだ。そんなワイドビューのセンターには黄金が輝いている、確かにここで記念撮影しない観光客はまずいないだろう。
金閣の裏は小高い丘になっている。少し高いところから見る金閣も絶景なので、裏山の散策コースにもぜひ足を踏み入れてほしい。湖面に映えるだけでなく、赤く染まった森にたたずまう黄金の輝きも絶景で、SNS映えすること間違いない。
こんな角度で金閣が楽しめる
方丈や庫裏、鐘楼といった禅宗寺院らしい凛とした白壁と瓦屋根の建物の周りも季節の彩りにあふれている。秋の紅葉をはじめ、4月の桜、5月の新緑はもちろんだが、冬に雪が積もったときもおすすめだ。とにかく時間をかけてゆっくりと歩いてほしい。
境内は紅葉の彩りにあふれている
620年前に足利義満が愛した別荘「北山殿」もこんな姿だったのかと想像するのも興味深い。室町幕府の最盛期の権力者が贅の限りを尽くした別荘である。その別荘は今となっては、国内に8か所しかない特別名勝・特別史跡のダブル指定を受けている。歴史の名残として価値がある「史跡」、風景として価値がある「名勝」の双方で、モノの場合の「国宝」に相当する「特別」という最高評価なのだ。京都で他にダブル指定を受けているのは銀閣寺と醍醐寺三宝院だけである。両庭園とも極上であることはいうまでもない。
金閣寺は建物もよいが庭園をじっくりと巡ってほしい。極上の空間であることを保証したい。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。
TV出演も多い京都のガーデンデザイナーは選りすぐった「絶景」、もちろん金閣寺もあり
金閣寺(相国寺塔頭・鹿苑寺)
http://www.shokoku-ji.jp/k_about.html
原則休館日:なし
池にたたずむ水鳥がとても高貴に見える
仙洞(せんとう)御所は京都御所のすぐそばにあり、天皇を退位した上皇の御所という意味が本来で、固有名詞ではない。かつて豊臣秀吉の正室・北政所が秀吉没後に居住していた屋敷の跡地に、1627(寛永4)年に譲位の意向を示した後水尾天皇の譲位後の御所として幕府が造営したものだ。後水尾天皇(上皇)は時の幕府から巨額の資金を引き出し、仙洞御所や修学院離宮など数々の美の殿堂を作り出した。現在京都に残る王朝文化はほぼ、江戸時代前期・寛永時代のものであり、その中心人物が後水尾上皇だ。
現在の庭園は後水尾上皇の時代からはかなり改変されており、幕末の1854(嘉永7)年には火災で建物を失っている。とはいえ江戸前期の寛永の王朝文化の名残を伝えるかけがえのない庭園であることは言うまでもない
仙洞御所は明治以降、隣接する大宮御所(皇太后の御所)と組み合わされ、天皇や皇族の京都滞在時の宿舎として利用されてきた。そのため人間社会とは長らく隔絶された自然が残されており、王朝文化の名残と相まって、同じ江戸時代でも大名庭園とは全く趣の異なる空間を醸し出している。
見学(参観)は、添乗員によるツアー(無料)に参加すれば可能だ。2016年7月までは、宮内庁に事前参観申し込みの上で抽選だったが、2016年7月から当日参観受付枠(先着順)が新たに設けられたことで、見学しやすくなった。英語・中国語・フランス語・韓国語・スペイン語による音声ガイドの無料貸出もあり、外国人の方も楽しみやすくなっている。とはいえ最も美しい桜や紅葉時期の休日は、申し込み抽選が宝くじ並みの倍率になることに変わりはないので、日程調整には注意されたい。
ツアーは大宮御所の御殿から始まる。現代でも宿泊できるようになっているとのことだが、実際には皇族の宿泊は隣接する京都迎賓館になることが多いとのこと。やはり設備が新しい方が使い勝手が良いのだろう。
最初に2つある大きな池のうち「北池」に案内される。北池は舟遊びできるように作られており比較的大きい。そのため周りを囲む紅葉の彩りは圧巻で、水面低くまで垂れた枝による彩りが美の空間をさらに増殖させる。借景には東山が少しだけ顔をのぞかせるが、江戸時代はもっとはっきり見えた。戦後になって建物が高くなり、それらを隠すために木々の背を高くしたからだ。東山をもっと見たいものだが、タイムマシンが発明されない限り無理である。
水面に映える紅葉が抜群に美しい
北池と南池の間は「紅葉山」と呼ばれる小高い丘になっており、その名の通り紅葉時期は一面が紅葉の絨毯となる。後世に造られた北池と南池をつなぐ掘割にかかる「紅葉橋」のまわりは、紅葉山の深山のうっそうした木々の中にぽっかり現れたオアシスのようだ。水辺を感じると実にすがすがしくなる。
紅葉の絨毯
南池の周辺は州浜が配されており、北池と全く異なり極楽浄土を感じさせる趣だ。州浜を形成するとても美しい丸石は小田原城主からの献上品で、石一個を米一升と交換して集めたという。数は11万1,000個あるそうで、原材料コストはしめて1,110石となる。
紅葉と州浜の「紅白」も見事
御所内には、蘇鉄を植えこんだ一角もある。京都で蘇鉄とは意外だが、二条城など他にも案外よくある。江戸時代初期、上流階級で薩摩にしかない蘇鉄が大ブームになり、島津家からプレゼントしてもらうことがステイタスだった。後水尾上皇もさりげなくトレンドを取り入れたのだろう。
ほかにも藤棚や銀杏の大木など、実に多様な自然美を楽しめる。天皇の住まいだった「京都御所」は、庭園が非常に小さい。仙洞御所はまさに、京都のど真ん中で自然美と王朝文化の両方を味わえる隔絶された空間だ。知名度から桂離宮や修学院離宮ほど混雑していないことも魅力の一つだ。
美しい銀杏の落葉にも出会える
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今に残る京都の王朝文化のほとんどを伝えた稀有な天皇の生涯を日本文化史の第一人者が描いた名著
仙洞御所(宮内庁)
http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/sento.html
原則休館日:月曜日
※見学は添乗員によるツアーに申し込む、自由見学は不可
※2016年7月から事前参観申し込み枠(抽選)に加え、当日参観受付枠(先着順)が設けられました