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美の五色 bino_gosiki ~ 美しい空間,モノ,コトをリスペクト

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日本建築の屋根のView Point:美術鑑賞用語のおはなし

2018年02月06日 | 美術鑑賞用語のおはなし



日本建築の屋根は、葺き方や形状以外にも様々なデザインの工夫があります。屋根の見どころを理解するために知っておきたい用語をピックアップしてお話しします。


1)平入り(ひらいり)/妻入り(つまいり)



建物の外周4面の内、「大棟」と並行する面、一般的には長方形の長い方の面を「平(ひら)」と呼びます。一方「大棟」と直交する面、一般的には長方形の短い方の面を「妻(つま)」と呼びます。平入り/妻入りとは、建物の長短どちらの面に入口が設けられているかを指します。

切妻造の町屋建築で「平入り」の場合、道路に面して屋根が整然と並んで見えるため街全体としての景観の美しさを強調できます。「妻入り」の場合は、道路に対して妻面が直立するため、個々の建物の存在感を強調できます。

なお江戸時代の京都の街家では、道路に面した建物の長さに応じて課税されたため、長方形の短い方の面から「平入り」する家屋も多くなっています。「鰻の寝床」と言われる奥行きが長い建物です。

「妻」とは、中心に対する「端」を意味する言葉で、「刺身のつま」は同じ語源です。「配偶者の妻」は、夫婦の寝所を指す「つまや」が語源です。

【Wikipediaへのリンク】 平入り・妻入り


2)破風(はふ)

屋根の妻側の垂直面、もしくはそこに施す装飾のことです。日本だけでなく東アジアで広く造形されています。建物で目立つ入り口や屋根の意匠を競った芸術であり、建物鑑賞の見どころになることがよくあります。

切妻造と入母屋造には「破風」は必ずありますが、屋根部分に垂直面がない寄棟造には原則ありません。しかし屋根面の中心や入口の全面に小さな切妻屋根(=破風板(はふいた))を設置して破風を設けるケースが、近世の神社や城郭建築を中心によくあります。


破風の例:姫路城天守閣

「千鳥(ちどり)破風」は、屋根の勾配の上に直線の三角形の小さな屋根を設置したものです。左右に二つ並べたものは「比翼(ひよく)千鳥破風」と言います。ほとんどの城の天守閣にあります。デザイン性はもとより、破風の中に小窓を設けることによって屋根の中の死角を少なくする軍事上の意義があると考えられています。

「唐(から)破風」は、屋根の勾配が千鳥破風のように直線ではなく、起んでいるものをいいます。アジアにはなく日本独自の破風です。神社・城郭に加えて、仏教寺院や邸宅の門や玄関にもよく用いられます。また祭りの山車や仏壇、墓石など幅広く意匠に採用されています。日本人が最も好んだ建築デザインのテクニックと言えるでしょう。


向唐破風の例:祇園祭・大船鉾

なお写真の姫路城の唐破風は、厳密には「軒(のき)唐破風」と呼びます。屋根の先端の中央部分を膨らませるように設置した破風です。一方「向(むこう)唐破風」は屋根の中間に設置するのではなく、妻側の垂直面の前面に付加するよう設置したものです。小さな屋根が建物の前にちょこんと立っているイメージです。

【Wikipediaへのリンク】 破風


3)懸魚(げぎょ)


懸魚の例:宇治上神社・拝殿

懸魚(げぎょ)とは、破風部分に取り付ける装飾を施した板のことです。火除けの意味があります。瓢箪形・ハート形・かぶら形などデザインはとても多種多様です。その建物以外に同じものを見つけるのは至難の業だと思われます。フェチになる人も結構います。

【Wikipediaへのリンク】 懸魚


4)軒(のき)、庇(ひさし)

ともに日常会話の中で比較的よく出てくる言葉だとお感じになる方が多いと思いますが、案外正確な意味がわからないものです。「軒(のき)」は、建物の壁から張り出した屋根の先端部分を言います。「庇(ひさし)」は、現代の意味としては、窓や出入り口の上に取り付けられる日除けや雨除け用の小さな屋根のことです。

「縁側に座って庭を鑑賞する」際にもこのスペースを活用します。日本人にとって、また日本美術を楽しむにあたって、世界でも稀有なとても大切なスペースです。


寝殿造の基本形

「庇(ひさし)」は、歴史的建造物では少し異なる意味でとらえるのが一般的です。日本固有の建築スタイルとして初めて定着した平安時代の「寝殿造」では、建物の中心である「母屋(おもや)を取り囲む外周の間」を指しました。寝殿造は壁がないため室内外の境界があいまいでしたが、「庇」は建物のもっとも外側の空間を指すことには変わりがありません。

そのためおおむね江戸時代以前の歴史的建造物の場合は、「軒」「庇」は同じ意味だと解釈して差し支えありません。よほどのプロの建築家や研究者でない限り大丈夫です。

【Wikipediaへのリンク】 軒
【Wikipediaへのリンク】 庇


5)裳階(もこし)


法隆寺五重塔、一番下が「裳階」

裳階(もこし)とは、本来の屋根の下部空間、すなわち軒下の壁に付けられた庇のような小さな屋根ことです。仏教寺院や天守閣で用いられます。風雨から建物を護るのが本来の目的ですが、実際より多層に見えると、より優美な印象を与えるようになります。

仏教寺院の塔の場合、写真例の法隆寺は五重塔、すなわち5層=5階建てですが、一番下に「裳階」があるため一見六重塔に見えます。

  • 仏教寺院の塔の層の数はすべて奇数
  • 裳階は、本来の層の屋根の下から上に進む優美なラインと比べて凹凸感が否めない

といった見分け方がありますが、なれるまではわかりにくいでしょう。

【Wikipediaへのリンク】 裳階


6)屋根のかざり

屋根の先端には様々な装飾が施されています。とても多様なデザインが楽しめることもあり、ファンが少なくありません。


東大寺・大仏殿(紫色で囲んだ部分)の鴟尾


姫路城の歴代の鯱

鴟尾(しび)や鯱(しゃちほこ)は、瓦屋根の最も高い位置にある大棟の両端に付けられます。いずれも魚が水面から尾を出した姿がデザインの原型で、中国から伝来したものです。火除けの意味があります。鴟尾はお寺で、鯱は城で主に見られます。素材は瓦・石・木・青銅など様々です。

【Wikipediaへのリンク】 鴟尾
【Wikipediaへのリンク】 鯱


京都・泉涌寺の名物「目が光って見える鬼瓦」

屋根の様々な先端部に取り付けられる鬼瓦(おにがわら)には、厄除けの意味があります。家紋など、デザインが鬼の顔でなくとも、先端部に付けられる瓦はすべて鬼瓦と呼びます。お寺から住宅まで瓦屋根の和風建築には広く見られます。

【Wikipediaへのリンク】 鬼瓦

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日本建築は屋根の形で時代がわかる:美術鑑賞用語のおはなし

2018年02月05日 | 美術鑑賞用語のおはなし



日本建築の用語集として「屋根の葺き方」に続いて「屋根の形状」について解説します。伝統的な日本建築の屋根は、雨が多いことから勾配が付いています。沖縄を除いて、ビルの屋上のような平面の屋根はほぼありません。

「屋根の形状」は勾配の付け方による分類で、建物の用途や時代によって傾向があります。知っておくと建物の美しさがどの部分を指しているのかが容易に理解できるようになります。

日本建築の屋根は、世界的にもとても多様性があります。屋根のデザインを競うことによって建物全体の印象を決定づけたと言っても過言ではないほどです。確かに低層が多い日本建築はおのずと“屋根”が目立ちます。一方、高層が多く屋根が平面で見えないヨーロッパの建築はおのずと“壁”が目立ちます。文化の違いはとても興味深いものがあります。


切妻(きりつま)造(づくり)



本を開いて伏せたような最もシンプルな勾配屋根です。勾配が四角形の建物の2面にしか付いていません。寺社から住宅まで広く用いられます。奈良時代以前に創建された神社はほぼ切妻造であるように、古代では切妻造の格式が高いと考えられていました。一般の住宅では西日本で多い傾向があります。

【Wikipediaへのリンク】 切妻造


寄棟(よせむね)造



勾配が長方形の建物の4面すべてに付いています。屋根の一番高い稜線部分は「大棟(おおむね)」と呼ばれます。寄棟造は古代には「東屋(あずまや)」と呼ばれていました。大陸文化の影響が強かった奈良時代では格式が高いと考えられており、現存する奈良時代の寺院建築は寄棟造が多くなっています。東大寺・大仏殿、唐招提寺・金堂が代表例です。一般の住宅では東日本で多い傾向があります。

【Wikipediaへのリンク】 寄棟造


宝形・方形(ほうぎょう)造



二通りの漢字を用いますが意味は同じです。平面が正方形の建物の4面全てに勾配を設けると、寄棟造の大棟ができず、4面全ての屋根が三角形になります。ピラミッド型という表現が最もわかりやすいでしょう。浄土寺・浄土堂が代表例です。六角形なら「六柱(ろくちゅう)造」、八角形なら「八柱(はっちゅう)造」と言います。法隆寺・夢殿、興福寺・北円堂が代表例です。

【Wikipediaへのリンク】 宝形造


入母屋(いりもや)造、錣(しころ)造

【Wikipediaの画像】 入母屋造、錣造

【Wikipediaへのリンク】 入母屋造


上半分が切妻造、下半分が寄棟造になっている屋根を「入母屋造」と言います。西洋には少なく東アジアで一般的です。日本では平安時代以降に格式が高い屋根として定着しました。寺社から宮殿、城まで広く用いられています。

「錣造」は、上半分と下半分の勾配の角度が異なる屋根を言います。京都御所・紫宸殿が代表例です。

【Wikipediaへのリンク】 錣造


反り(そり)・照り(てり)/起り(むくり)



屋根の形状ではなく勾配のカーブを指します。「反り」「照り」は凹型に勾配の中心がへこんでいる屋根を指します。大陸から伝わったこともあり、仏教寺院の多くは「反り」屋根です。格式や荘厳さを示すと考えられてきました。

一方「起り」は、凸型に勾配の中心がふくらんでいる屋根を指します。「起り」の方が少なく、安土桃山時代以降の数寄屋建築や江戸時代の商家に見られます。謙虚さや丁寧さを示すと考えられてきました。

いずれのカーブも高い職人技術が必要です。檜皮や瓦などの屋根素材を、曲線を計算して微妙にずらしておいていくのです。見事な芸術と言えるでしょう。

【Wikipediaへのリンク】 反り・照り/起り

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日本建築の屋根の葺き方:美術鑑賞用語のおはなし

2018年02月04日 | 美術鑑賞用語のおはなし



日本建築の解説にあたっては、屋根の葺き(ふき)方、すなわち屋根の素材がよく出てきます。建物の用途や建築様式、建立された時代で屋根の葺き方は変わるため、葺き方を知っておくと建物の美しさや建てられた背景への理解が一層深まります。葺き方はとてもたくさんありますが、日本の歴史的建造物によく用いられる葺き方に絞って解説します。この4つを押さえておけば大抵カバーできます。


(かや)葺(ぶき)


日本最古・室町時代の住宅、神戸市「箱木家住宅」も茅葺

茅(かや)がどんな植物かはすぐにピンときませんが、日本ではススキが茅の代表的品種です。乾燥させて屋根に敷き詰めます。世界的にも最も原始的な屋根の葺き方で、日本の縄文時代の竪穴式住居の屋根も茅葺と考えられています。

茅はどこにでも自生しており、入手が容易だったことが屋根として最初に普及した要因と考えられます。日本の山間の農村部でも、昭和の頃まで茅葺が多く残っていました。その代表例は「白川郷・五箇山の合掌造り」です。農閑期に集落の人出を集めて屋根の葺き替えができたことも、農村部で茅葺が多く残された要因の一つでした。一般的には20-30年毎に葺き替えが必要です。

しかし茅葺の最大の弱点は火事です。江戸時代の都市の住宅では、瓦が普及したこともあり、防火のため茅葺はほぼなくなりました。

古式を重んじる神社では比較的見られます。代表例に「伊勢神宮の正宮」があります。仏教寺院や上流階級の邸宅では、現存するものはほとんどありません。一方“ひなびた感”を楽しむ「茶室」では比較的よく用いられた工法です。

【Wikipediaへのリンク】 茅葺


(こけら)


杮葺の代表例:慈照寺・銀閣

薄い材木の板を敷き詰めます。板葺の一種ですが、最も薄い暑さ2-3mmの板を用いる場合をいいます。江戸時代まではより厚い板も用いられていましたが、自由が利かないため廃れていきました。一般的には40-50年毎に葺き替えが必要です。


杮葺は清楚 <慈照寺 銀閣>

杮(こけら)とは「木片」という意味で、建物が完成するときに屋根に残った木片を払い落とすことが「こけら落とし」の語源になりました。

茅葺に次いで古い工法と考えられています。茅葺ほど火災に弱くなく、入手が容易だったことがその要因でしょう。室生寺・金堂、慈照寺・銀閣、桂離宮・古書院などが代表例です。寺社から邸宅まで日本の文化財建築ではとてもたくさんあります。

瓦のような幾何学的な突起がなく、グレーやブラウン色で平面的に見える屋根が「杮葺」です。シャープで清楚な印象を与えます。見た目は「檜皮葺(ひわだぶき)」と区別が難しい場合があります。

【Wikipediaへのリンク】 杮葺


檜皮(ひわだ)


檜皮葺の代表例:厳島神社・本殿

檜(ひのき)の皮をはいで敷き詰めます。日本にしかない葺き方です。平安時代に国風文化が進行すると、最高級格式と考えられるようになりました。一般的には30-40年毎に葺き替えが必要です。

 


檜皮葺は優美 <醍醐寺 唐門>

瓦葺きが基本の仏教寺院は少ないですが、神社や邸宅建築には多くあります。京都御所・紫宸殿、厳島神社・本殿、清水寺・本堂が代表例です。濃いブラウン色で平面的に見える屋根が「檜皮葺」です。優美で洗練された印象を与えます。見た目は「杮葺」と区別が難しい場合があります。

檜皮葺は現在、杮葺きと並んで、歴史的建造物の葺き替え需要しかありません。材料の入手とともに技術の伝承が困難になりつつあります。

【Wikipediaへのリンク】 檜皮葺



(かわら)

瓦は、飛鳥時代に仏教が日本に伝えられた際、寺院建築の技法とともに製造技術が輸入されました。奈良時代までは最も格式が高い屋根の葺き方と考えられており、寺院と宮殿など公的建築は瓦葺きでした。

平安時代になると宮殿など公的建築は檜皮葺が多くなりますが、寺院では瓦葺きが使われ続きました。安土桃山時代頃から城や武家屋敷でも用いられるようになり、江戸時代には防火のため都市部の民家にも広がっていきました。

瓦は何と言っても、茅/杮/檜皮といった植物系の素材と比べて耐火・耐水性に優れています。しかし植物系の素材と比べてとても重く、地震の多い日本では建物が倒壊する要因にもなります。

仏教寺院でも、奈良の南都系宗派や禅宗など、中国とのゆかりが深い宗派の寺院で特に瓦葺きが多い傾向があります。一方神社には、江戸時代以降の新築はともかく、古式にのっとった建築で瓦葺きはまずありません。

【Wikipediaへのリンク】 瓦葺


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寝殿造は日本文化の原点:美術鑑賞用語のおはなし

2018年02月03日 | 美術鑑賞用語のおはなし



美術品や文化財を鑑賞し、その作品がうまれた背景や美しい理由への理解を深める目的で、専門用語の「意味」を説明する用語集を作成していきます。

  • 美術鑑賞や歴史理解の目的に絞って説明しています。
  • 客観性や定説が定まっていない場合、その旨を記します。
  • いまさら聞けない「漢字の読み方」も表記します。
  • 当サイト内コンテンツから容易にこの用語集を参照できるようリンクを張っていきます。
  • 当サイト内コンテンツの拡充に合わせ、この用語集も拡充していきます。


寝殿造(しんでんづくり)


平安時代から室町時代にかけてのおもに「中世」と呼ばれる時代の上流階級の住宅の建築様式です。寺院や神社、政庁、庶民の住宅建築には該当しません。遣唐使の廃止で大陸文化ではなく独自の「国風文化」が発展するに伴って、成立していきました。そのため現代の和風住宅の原点となる様式でもあります。大陸文化の影響が強かった奈良時代の建築様式から寝殿造になってどのように変わったのかを整理します。

中国大陸風 奈良時代 平安時代以降の寝殿造
屋内の下面 土間 板張りの床(地面から少し高い)
屋内での履物 脱がない 脱ぐ
屋内での着座 椅子に腰かける 床に座る(男女とも胡坐、立膝)
屋根 瓦葺 檜皮葺
柱の塗装 朱・丹土塗 しない
屋外との仕切り 壁と扉 開放可能な扉や戸(壁がない)
屋内の部屋の仕切り 壁と扉 仕切りがない(部屋が1つだけ)


寝殿造は貴族の邸宅のイメージが強いですが、実際は武士も含めた上流階級の住宅の基本的なスタイルでした。武士の住宅を「武家造」と区別する場合もありますが、貴族の邸宅を簡素化したもので、基本的には寝殿造りのスタイルに属します。

中世を舞台にしたNHK大河ドラマでは、以下のようなシーンがよく出てきますが、まさに現代に考えられている寝殿造の特徴を時代考証したものです。

  • 壁がなく庭が見渡せる大きな広間である「母屋(もや))で主人を囲んで談笑している
  • 身分の低い者は庭にひざまずいて高貴な人に謁見している
  • 広間(母屋)では屏風など移動可能な障屏具で仕切った空間で殿方や女官がそれぞれ過ごしている
  • 隣接する部屋、すなわち隣接する建物とは渡り廊下でつながっている


寝殿造の時代の臣従儀礼において、建物に面する庭は従者が臣に謁見する場でした。そのため庭には装飾は一切なく、多くの人が集まることができる西洋の広場のような概念でした。室町時代になって臣従儀礼や客人との面会が床上で行われるようになると、建物に面する庭は縁側や部屋から装飾を楽しむ場に変容していきます。


寝殿造の基本形、中心の大きな広間「母屋」とそれを取り囲む「庇(ひさし)」

屋外や部屋の仕切りがないというとても開放的な構造が、中国や西洋文化と決定的に異なります。皆で共通の価値観の元に一致団結してコトを進める “草食”的価値観が、平安時代の上流階級の建築様式にも反映されていたような気がしてなりません。

個人のプライバシーよりも集団の和が重視される価値観は、現代の住宅でも「川の字になって親子が一つの部屋で寝る」ことに現されるように継承されています。「川の字で寝る」のはグローバルではとても稀有です。建築様式の変遷には民族の文化が反映されているためとても興味深いものがあります。


京都御所の紫宸殿、寝殿造のように壁がない

室町時代以前の上流階級の住宅としての寝殿造は現存していません。応仁の乱や戦国時代の焼失でほぼ完全に失われてしまったと考えられます。現存する京都御所の「紫宸殿(ししんでん)」は幕末の再建ですが、平安時代の寝殿造の趣が復古的に多用されています。紫宸殿は重要な儀式を行う“最高格式の宮殿”です。

一方プライベートな住宅である「御常御殿(おつねごてん)」は、数寄屋造りが多用されています。寝殿造は中世の象徴であり、現実の生活にはそぐわないと認識されていたことがよくわかります。

【Wikipediaへのリンク】 寝殿造
【Wikipediaへのリンク】 武家造
【Wikipediaへのリンク】 母屋
【Wikipediaへのリンク】 庇(ひさし)

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