昭和一七年一月未明。南京で遺品整理屋の、夫婦の家に日本兵が侵入して、亭主の首をはねて殺すという事件が起きた。奥さんの話では夜なかに亭主が寝室を出て、戻ってくるときに日本兵が後ろから日本刀で首をはねて立ち去ったという 。日中戦争の発端は紀元前から同じ民族である中国人と、日本人との父子的関係において、千年以上続けられていた貨幣の仕送りを中国側がとめたことに起因する。子供が父親の寝室で、金目の物を物色するように、日本兵たちは中国において傍若無人なふるまいをした。この、事件もそれらの、事例のあとをたどった結果だとも思える。公安(中国の警察 )は日本軍にかけ合った。親から盗んだお金をあたかも自ぶんで働いて得たお金のように、理由づけをしているような日本軍の広報は「民間人の家に侵入してそんなことをするなんてありえない。現場をよく確認することだ」と言う。公安はもういちど現場を調べた。夫婦の家は、そこだけ時間が百年ぐらいとまったままのようなたたずまいだ。金貨が八〇枚ほど、目立つ場所に置いてあったがひとつも盗まれてないらしい。公安が金貨をよく見るとどれも文字の形や、数字の位置が、微妙に違うめずらしい物ばかりのようだった。奥さんに金貨のことを聞くと、「文字の手変わりだと、書き物とかに多少使えますけど数字の位置が違う金貨は、使い道がなくて、買い手がつかないんです」と言う。これらの金貨は「非常に価値がある物」と錯覚して親から無心した物が相当あるに違いない。吸い込まれるような黄色っぽい貨幣の重力によって、歴史を描写した貴重な文字列も遠い昔の意味不明な幻となってしまう。公安が「気づき」ぐらいの微細な手変わりを、千倍や万倍にした金貨特有の悪趣味な熱い負荷を感じながら、小学生の息子に聞くと、「お父さんは未来が見えるガラス玉を見てたよ」と言った。確かに直径一五㎝ほどのガラス玉はあるが、ガラス玉という物は現在しか見えないだろう。しかし未来において歴史描写の間違いを、判定する道具になるのかも知れない。公安が「成金の予言は的中することがある」と思いながら、夫婦の寝室を調べていると、誰かの視線を感じた。天井板のふし穴に目玉がある。公安が「出てこい」と叫ぶ。目玉が消えて、玄関から奥さんのお兄さんが剣を片手に持ってやってきて「日本兵をやっつけた」と言う。公安は「おまえが殺したのは亭主だ」と言いながらお兄さんを逮捕した。