ー キャベツがなくなった! ー
「戦争中の暮しの記録」
暮しの手帳編所収 写真は読売新聞提供とある
夕食の時、家内が「キャベツ、これが最後!」と言った。
キャベツというのは菜園で採れたキャベツのことである。最後になった理由は分かっている。ポットに蒔いた種がひとつも芽を出さなかった。小さなポット20個にプランター用の土を入れ、種を蒔いて、せっせと水もやっていたのにとショックである。
この “ 事件 ” は以前資料で見た戦後の食糧難を思い起こさせた。前にも書いたが、終戦直後、東京はじめ大きな都市では食べるものがなく、道路の舗装をはがして畑にし、野菜を作ったという(田舎ぐらし(24))。
昨今は一国のボスの胸先三寸でミサイルの雨が降る。そうなったら、70余年前の日本の再来だ。
どうして日本が撃たれるの?という質問は愚問であり、考えるのは時間の無駄使いである。なにしろ相手は脳の素材も構造も全く違う異星人。
その上でいつも不思議に思うのは、東京のだれも畑を耕しに田舎に来ないことである。70数年前は自分らの父や母が食うや食わずの生活をし、現に新聞、TVでは侵略された国の悲惨な状況を目の当たりにしているのに、である。
すこしばかり金と時間ができると物見遊山しか考えられないのでは余りにも寂しい。
東京にいてカネを稼ぐのはいい。子どもの学費があるし、ローンの支払いもある。しかしもっと優先するものがある。食うことである。会社に行ってもキャベツやイモは手に入らない。キャベツやイモは畑にある。
悪態をつくのは性分である。
なにも田舎に引っ越せと言っているのではない。会社の休みに田舎に来て畑をやればいいのである。
( 次回は ー 自分できめるか、流れにまかせるか ー )