松音知駅の状況については、他のホームページや書籍で取り上げられて明らかにされていたが、拙ホームページでは写真を掲載せず、実際に来訪して確認していただく事を願って、以下のように取り上げるに留めていた。
簡易版
松音知駅は初代の駅舎の基礎が残っており、第4次調査時には、中頓別の市街地にあった笹野川橋梁のIビーム2連が構内に積み上げられていた。
詳細版
松音知駅は初代の駅舎の基礎と2代目の駅舎を支えた古レールの骨組みその他が残っており、第4次調査時には、中頓別の市街地にあった笹野川橋梁のIビーム2連が構内に積み上げられていた。
※第4次調査:2003年05月05日実施
ある事実について触れなかった理由は、跡地に掲示されていた1枚の張り紙にあり、当時、構内には軌道を構成するレール及びその付属品をはじめとした鉄道用品が山積みになっており、多額の費用を投じている事が容易に推測され、張り紙の主の強い意向が感じられたので、跡地の状況に触れる事をためらい、記述を極力ぼかして写真の掲載を避けてきた。
今回、2代目駅本屋を支えていたレールについて取り上げる事にするが、駅本屋を支えていたレールは、確認した限りではUSスチールの輸入レールで、国有鉄道が発注したものであった。
調査当時、その特徴ある字体からテネシー(TENNESSEE)のレールかと一瞥したところで写真を撮影してしまった為に、今回改めて確認したところ、判読が困難で資料性に欠ける事が判明した。
EE-×(穴の為不明)40 ASCE-3-1922 エ
(写真不鮮明につき判読不能) ASCE-1-1922 エ
改めて判読したところ、1922年01月と03月に作られたASCE規格の国有鉄道向けレールであるとわかったが、松音知駅開業は1916年10月01日であり、確認できたレールについては、松音知駅開業当時に駅構内や周辺で使われたレールではないらしい、という事しかわからなかった。
だが、日本で使われたレールには違いなく、よしんば天北線に敷設されたレールではなかったとしても、レールが敷設されて転用されるまで多くの列車を支え、レールとしての使命を終えて転用された後も駅を支え続けていた事を思うと、胸が熱くなる。
なお、松音知駅における古レールの転用については、駅本屋の基礎となる鉄骨だけではなく、駅本屋の信号てこ・転轍てこからのワイヤーを吊るす滑車を支える鉄骨としても転用されているのを確認したが、こちらはレールの出自について確認していない。
簡易版
松音知駅は初代の駅舎の基礎が残っており、第4次調査時には、中頓別の市街地にあった笹野川橋梁のIビーム2連が構内に積み上げられていた。
詳細版
松音知駅は初代の駅舎の基礎と2代目の駅舎を支えた古レールの骨組みその他が残っており、第4次調査時には、中頓別の市街地にあった笹野川橋梁のIビーム2連が構内に積み上げられていた。
※第4次調査:2003年05月05日実施
ある事実について触れなかった理由は、跡地に掲示されていた1枚の張り紙にあり、当時、構内には軌道を構成するレール及びその付属品をはじめとした鉄道用品が山積みになっており、多額の費用を投じている事が容易に推測され、張り紙の主の強い意向が感じられたので、跡地の状況に触れる事をためらい、記述を極力ぼかして写真の掲載を避けてきた。
今回、2代目駅本屋を支えていたレールについて取り上げる事にするが、駅本屋を支えていたレールは、確認した限りではUSスチールの輸入レールで、国有鉄道が発注したものであった。
調査当時、その特徴ある字体からテネシー(TENNESSEE)のレールかと一瞥したところで写真を撮影してしまった為に、今回改めて確認したところ、判読が困難で資料性に欠ける事が判明した。
EE-×(穴の為不明)40 ASCE-3-1922 エ
(写真不鮮明につき判読不能) ASCE-1-1922 エ
改めて判読したところ、1922年01月と03月に作られたASCE規格の国有鉄道向けレールであるとわかったが、松音知駅開業は1916年10月01日であり、確認できたレールについては、松音知駅開業当時に駅構内や周辺で使われたレールではないらしい、という事しかわからなかった。
だが、日本で使われたレールには違いなく、よしんば天北線に敷設されたレールではなかったとしても、レールが敷設されて転用されるまで多くの列車を支え、レールとしての使命を終えて転用された後も駅を支え続けていた事を思うと、胸が熱くなる。
なお、松音知駅における古レールの転用については、駅本屋の基礎となる鉄骨だけではなく、駅本屋の信号てこ・転轍てこからのワイヤーを吊るす滑車を支える鉄骨としても転用されているのを確認したが、こちらはレールの出自について確認していない。
建物の正面及び3方向から撮影した画像と構内から下り方を望む画像及び、34.5キロ地点のキロポストの画像と軌道を構成する鉄道用品&信号てこの画像を、ホームページで公開する事もできましたが、あえて見送ってきました。
廃線カテゴリーの北海道内廃止路線構造物の記事と橋梁カテゴリーの記事を一読していただければ、廃止路線の構造物に対して踏み込んだ調査を実施しようとしている事がおわかりいただけるかと思います。
松音知駅の場合、上モノが残っていると触れているだけの記事が多いのを嘆き、誰も触れていない古レールの件について紹介しつつ、駅の情報の開示を拒否する以前の心境を記録として残す必要があると考えて、2003年当時の保存への取り組みの様子と駅の来訪者に対して望んでいた事を紹介しました。
古レールを使用している箇所を示した写真については、所有権者であるとの確認が取れた場合に限り、削除の用意がありますが、後日別記事に掲載予定の笹野川橋梁の桁の写真については、桁の処遇について目に見える意思表示がなされていなかったので、よしんば松音知駅長氏の所有物であったとしても、要請の有無にかかわらず削除するつもりはありません。
駅に関する情報は、平成15年以前から掲載しておりましたが、当時でも駅の基礎の古レールの来歴に関する情報等に絞って掲載し、最大限配慮してまいりましたので、今になって写真を追加して加筆修正の上掲載した記事を削除するよう要求される事に当惑しております。
拙ブログを含めてウェブや出版物に掲載された松音知駅に関する情報で、所有権者の実名その他が明らかにされた訳でもなく肖像権が侵害された訳でもないのに、記事の削除に勤しんでいるあなたの行動は理解に苦しみます。