この路線を調査する前に、鉄道部品専門店から資料を入手していた。DC興浜北線運転図表(上 下)なる部内資料である。
この図面は、ディーゼルカーを運転するのにどこまで速度を上げてどのタイミングで加速からニュートラルにギアを入れるのか、運転上の目標物の通過時分や、鉄道線路の縦断面図が記載されている。
くどいが、私は鉄道の駅より鉄道の橋梁やトンネルに興味があるのだが、橋梁やトンネルの名称は地形図からは読み取れない上に、橋梁の場合は実際の河川名と異なっている場合があるので、廃線跡調査では業務資料があると心強い。
そんな訳で、興浜北線の業務資料を販売しているのをネット上で確認した私は、サンプル画像ではわからない点について電話で問い合わせて即決で購入した記憶がある。
さて、興浜北線を調査するにあたって、天北線の調査の遅れで興浜北線調査の時間が割かれてしまい、また、Web上には路線全線の現況を網羅した素晴らしい成果が発表されているので、現存する駅と内部資料に記載されている踏切を撮影してお茶を濁す事にしていたのだが、悪天候に悩まされた。
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国道沿いの線路跡を転用したと思われる風力発電所付近で廃墟を撮影する頃から猛烈に風が強くなり、レンタカーの扉が風に持っていかれてヒンジ部分が損傷してしまった。
加えて、その強風に次々と流されてくる雨雲で撮影は困難を極めたが、時折見せる晴れ間の虹がとても綺麗だった。
浜頓別起点6km968m(資料ママ 以下同様) 豊牛駅にて
浜頓別起点7km077m 下頓別ブウタン2線踏切(道道586号線)にて
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下頓別ブウタン2線踏切の辺りで、函館ナンバーの青色の小型車のドライバーがしきりに周囲を撮影して、更に駅跡に入るのを目撃したが、同じ趣味をしているのだろうか?
岡本興行株式会社浜頓別工場に通ずる道の踏切が砕石踏切(浜頓別起点9km172m)だったらしいが、線路が横切っていたのは激しい段差のあるアスファルト部分ではなかったみたいだ。
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豊牛駅周辺を撮影していた時間帯は外から撮影できたが、豊浜駅付近で猛烈な雨に見舞われて車から降りる事ができず、豊浜バス停付近の消火栓がある小道が、豊浜駅(浜頓別起点10km270m)の脇にあった浜頓別起点10km265mの豊浜踏切に通じていたという推測しかできなかった。
斜内駅の建物を撮影し、斜内・目梨泊間の斜内山道を縫っていた線路跡を見るべく、国道から旧道に入った。
道より一段高い場所に線路があったらしく、道路沿いに玉石練り積みの擁壁が見えるが、かなり険しい地形だったようで、最大勾配は灯台付近で16.0‰だが、半径160mや半径201mの急カーブが図面に記されている。
やがて、興浜北線の撮影場所として有名な、1962年12月に造られた北見神威岬灯台のすぐ脇まで来たところで、灯台に通じる小道を見つけた。
業務資料には、運転目標として踏切とだけ記された箇所があるが、周辺には、ここ以外に道路より高い場所にあった線路に通じる小道がなかったので、多分灯台に通じる小道を指していたのだろう。
この灯台を撮影したところで、曇り空に加えて日没間際で撮影が困難となったので、調査を打ち切った。
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この図面は、ディーゼルカーを運転するのにどこまで速度を上げてどのタイミングで加速からニュートラルにギアを入れるのか、運転上の目標物の通過時分や、鉄道線路の縦断面図が記載されている。
くどいが、私は鉄道の駅より鉄道の橋梁やトンネルに興味があるのだが、橋梁やトンネルの名称は地形図からは読み取れない上に、橋梁の場合は実際の河川名と異なっている場合があるので、廃線跡調査では業務資料があると心強い。
そんな訳で、興浜北線の業務資料を販売しているのをネット上で確認した私は、サンプル画像ではわからない点について電話で問い合わせて即決で購入した記憶がある。
さて、興浜北線を調査するにあたって、天北線の調査の遅れで興浜北線調査の時間が割かれてしまい、また、Web上には路線全線の現況を網羅した素晴らしい成果が発表されているので、現存する駅と内部資料に記載されている踏切を撮影してお茶を濁す事にしていたのだが、悪天候に悩まされた。
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国道沿いの線路跡を転用したと思われる風力発電所付近で廃墟を撮影する頃から猛烈に風が強くなり、レンタカーの扉が風に持っていかれてヒンジ部分が損傷してしまった。
加えて、その強風に次々と流されてくる雨雲で撮影は困難を極めたが、時折見せる晴れ間の虹がとても綺麗だった。
浜頓別起点6km968m(資料ママ 以下同様) 豊牛駅にて
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浜頓別起点7km077m 下頓別ブウタン2線踏切(道道586号線)にて
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下頓別ブウタン2線踏切の辺りで、函館ナンバーの青色の小型車のドライバーがしきりに周囲を撮影して、更に駅跡に入るのを目撃したが、同じ趣味をしているのだろうか?
岡本興行株式会社浜頓別工場に通ずる道の踏切が砕石踏切(浜頓別起点9km172m)だったらしいが、線路が横切っていたのは激しい段差のあるアスファルト部分ではなかったみたいだ。
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豊牛駅周辺を撮影していた時間帯は外から撮影できたが、豊浜駅付近で猛烈な雨に見舞われて車から降りる事ができず、豊浜バス停付近の消火栓がある小道が、豊浜駅(浜頓別起点10km270m)の脇にあった浜頓別起点10km265mの豊浜踏切に通じていたという推測しかできなかった。
斜内駅の建物を撮影し、斜内・目梨泊間の斜内山道を縫っていた線路跡を見るべく、国道から旧道に入った。
道より一段高い場所に線路があったらしく、道路沿いに玉石練り積みの擁壁が見えるが、かなり険しい地形だったようで、最大勾配は灯台付近で16.0‰だが、半径160mや半径201mの急カーブが図面に記されている。
やがて、興浜北線の撮影場所として有名な、1962年12月に造られた北見神威岬灯台のすぐ脇まで来たところで、灯台に通じる小道を見つけた。
業務資料には、運転目標として踏切とだけ記された箇所があるが、周辺には、ここ以外に道路より高い場所にあった線路に通じる小道がなかったので、多分灯台に通じる小道を指していたのだろう。
この灯台を撮影したところで、曇り空に加えて日没間際で撮影が困難となったので、調査を打ち切った。
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