80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

旅行中の食事

2011年10月29日 | 旅行
 私の旅行では、旅行中の食事はろくなものではないが、コンビニエンスストアやファミレス等での食事じゃなければ充分に満足している。味より店の雰囲気重視なので、これでいいのだ。

 14日は美深町の焼肉屋で食事したけど、物足りなかったのと、稚内の知人と会う事になって、深夜に稚内のファミレスでスパゲッティを食べた。
 正直な話、稚内で深夜営業しているファミレスがあるなんて信じられず、平成10年秋の原付による道内廃線跡調査で、あちこちにコンビニエンスストアのセイコーマートが進出し、夜遅くまで食事その他の購入に困らなくなった衝撃に匹敵する。

 15日は浜頓別から山を越えて豊富駅のきっさすてーしょんで食事するはずだったのだが、19時を少し過ぎて到着した段階で既に閉店時間を大幅に過ぎていた(らしい)ので、セイコーマートの弁当となった。オーナーに色々見せてもらうつもりだったのだが…。

 16日は北見枝幸で鉄道があった頃からの食堂で食事のつもりだったが、やっていなかったので、歌登の大樹寿司で天重を食べた。
 平成10年秋の廃線跡調査の時は、すぐ近くの食堂やすらぎで毎晩のように食事したものだけど、既に閉店したそうだ。
 朝食と昼食の食材を調達していたスーパーが閉店になっていたりと、時の流れの残酷さを嫌でも感じる事となった。

 17日は平成8年以来幌加内で立ち寄っている食堂に行くはずだったが、途中で疲れて仮眠してしまい、幌加内の市街地に到着した時には既に閉店時間になってしまい、もう1件のスナック朝明に変更したけど、たまたまなのか、休みだった。
 仕方なく、更に仮眠をして空腹を乗り切ろうとしたが、深夜にどうにも空腹に耐えられず、和寒のローソンに遠征をしておでんを食べてから、再び幌加内に戻った。

 18日は雄武町字雄武栄町の一二三食堂でラーメンを食べたが、ヤニに燻された棚に、ボトルと一緒に何故かときめきメモリアルの館林見晴らしき置き時計があったのには驚いた。
 髪型と髪の色の記憶から画像検索しての推測なので、間違っているかも知れぬが、店の常連さんの“先生”が面倒な事になってしまい、何故にゲームの関連商品が置いてあったのか、私よりはるかに年上であるオーナーの女性に聞きそびれてしまったのが悔やまれる。

 19日は紋別で18時頃に焼肉の里なんしるで生姜焼定食を食べた後、興部で平成10年秋に一度食べた食堂に立ち寄ったが、既に店を閉めていたのは残念。
 そういえば、平成10年秋の廃線跡調査では、紋別のどこで食べたのか失念してしまった。多分、焼肉弁慶かその周辺の「はまなす通り」のどこかで食べたと思うのだが…。


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