平成18年の晩秋に、老朽化の為解体される事になったJR山陰本線余部橋梁他を見に行こうと、ちょっとプレスカブで兵庫県まで出かけた。
その1の記事はこちら
平成18年11月27日
今回の旅行の目的のひとつである、JR山陰本線竹野川橋梁の“桁の向こう側が見通せる箱型桁”の撮影をすべく、早朝に出発した。
“桁の向こう側が見通せる箱型桁”こと、ラチスガーダー(Lattice Girder)とは、桁を作るのに板材を外国からの輸入に頼っていた頃、第一次世界大戦の影響で入手が困難となった為に、板材の代替品として、帯材を格子状に組み合わせたものを使うよう設計されたものであり、数例しか残っていない。
北海道の鉄道跡地を調査するべく該当する路線の鉄道建設工事の文献を漁っている時にその桁の存在を知り、竹野川で使われているという情報を得てから5年以上の歳月を経て、やっとお目当てに出会えるのである。
目的地付近に到着すると、案内板が掲げられて土手が整備されており、当時の竹野町では貴重な土木遺産である事を認めているのだと感心して説明文を読んだところ、全国に3例しか残っていないという具体的な数を初めて知った。
手元の情報では、あとひとつは山口県阿武郡阿東町の沖田川に架けられたJR山口線の徳佐川橋梁だけだったので、どうしても残る一つを知りたくて、撮影後に豊岡市の竹野総合支所を訪ねた。
ラチスガーダーの記事はこちら
建設部建設課の福井氏に懇切丁寧に説明してもらい、資料として豊岡市の外部向けとおぼしき紹介文1枚と、専門誌“FRONT”2002年3月号その他のコピーをいただいた。
同誌によれば、大正10年前後に各地で架設され、中でも北海道や羽越本線で多数架設されたが、現存するのは、山口県の徳佐川橋梁と兵庫県の竹野川橋梁と兵庫県美方郡新温泉町のJR山陰本線田君川橋梁という事であるそうだ。
新温泉町は旅行の最終目的地の余部橋梁のある美方郡香美町の隣で、余部橋梁撮影時には燃料と食料の調達を同町でするつもりだったので、これは好都合である。
一介の旅行者に対して業務の時間を割いて下さった福井氏に礼を述べ、総合支所を後にした私はJR山陰本線竹野駅に向かい、入場券を購入して撮影を開始したが、建物財産標探しで予想以上に時間を食ってしまい、全景撮影で竹野駅の撮影を終了してまもなく、雨が降り始めた。
山陰地方特有の雨が降りしきる中、郵便局めぐりを行い、竹野郵便局、中竹野簡易郵便局、森本郵便局へとバイクを走らせると、森本郵便局で椒(はじかみ)簡易郵便局と桑野本簡易郵便局の所在地を記した地図をいただいた。
悩んだ末に神鍋高原方面へ進路をとって椒簡易郵便局へと向かうと、道中の集落に、木材で作った棚に稲穂を干してあったり民家の軒先に何かを吊るしている、昔ながらの光景が見受けられた。
椒簡易郵便局で応対して下さったのは、ずいぶんと年を召した男性で、私のような旅行者を数多く見てきたそうで、ストーブの火力を強くして下さって色々とおもてなしを受けた。
例によって世間話で時間をだいぶ食ってしまったが、いい具合に雨が止み本来の郵便局の利用者が来たので、簡易郵便局を後にした。
次に訪れる時に、ここの郵便局長とこの庁舎にお目にかかれるかどうかは全くわからないので、記念に庁舎を撮影して峠を下った。
雨が止んだので、先程撮影できなかった集落を撮影して佐津郵便局に立ち寄った後、非常に遅い昼食…というか夕食をとってから本来の目的地である香美町へとバイクを走らせたが、再び雨が降り始め、餘部駅に到着した時には強い風が吹き荒れていた。
駅の待合室から見える上り列車用の信号機が赤になって、信号機に併設されている信号炎管が激しく点滅して列車が遅れる様子を目の当たりにして、翌日の撮影の下見に支障はないだろうかと、荒れ狂う天気に一抹の不安を感じた。
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平成18年11月27日
今回の旅行の目的のひとつである、JR山陰本線竹野川橋梁の“桁の向こう側が見通せる箱型桁”の撮影をすべく、早朝に出発した。
“桁の向こう側が見通せる箱型桁”こと、ラチスガーダー(Lattice Girder)とは、桁を作るのに板材を外国からの輸入に頼っていた頃、第一次世界大戦の影響で入手が困難となった為に、板材の代替品として、帯材を格子状に組み合わせたものを使うよう設計されたものであり、数例しか残っていない。
北海道の鉄道跡地を調査するべく該当する路線の鉄道建設工事の文献を漁っている時にその桁の存在を知り、竹野川で使われているという情報を得てから5年以上の歳月を経て、やっとお目当てに出会えるのである。
目的地付近に到着すると、案内板が掲げられて土手が整備されており、当時の竹野町では貴重な土木遺産である事を認めているのだと感心して説明文を読んだところ、全国に3例しか残っていないという具体的な数を初めて知った。
手元の情報では、あとひとつは山口県阿武郡阿東町の沖田川に架けられたJR山口線の徳佐川橋梁だけだったので、どうしても残る一つを知りたくて、撮影後に豊岡市の竹野総合支所を訪ねた。
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建設部建設課の福井氏に懇切丁寧に説明してもらい、資料として豊岡市の外部向けとおぼしき紹介文1枚と、専門誌“FRONT”2002年3月号その他のコピーをいただいた。
同誌によれば、大正10年前後に各地で架設され、中でも北海道や羽越本線で多数架設されたが、現存するのは、山口県の徳佐川橋梁と兵庫県の竹野川橋梁と兵庫県美方郡新温泉町のJR山陰本線田君川橋梁という事であるそうだ。
新温泉町は旅行の最終目的地の余部橋梁のある美方郡香美町の隣で、余部橋梁撮影時には燃料と食料の調達を同町でするつもりだったので、これは好都合である。
一介の旅行者に対して業務の時間を割いて下さった福井氏に礼を述べ、総合支所を後にした私はJR山陰本線竹野駅に向かい、入場券を購入して撮影を開始したが、建物財産標探しで予想以上に時間を食ってしまい、全景撮影で竹野駅の撮影を終了してまもなく、雨が降り始めた。
山陰地方特有の雨が降りしきる中、郵便局めぐりを行い、竹野郵便局、中竹野簡易郵便局、森本郵便局へとバイクを走らせると、森本郵便局で椒(はじかみ)簡易郵便局と桑野本簡易郵便局の所在地を記した地図をいただいた。
悩んだ末に神鍋高原方面へ進路をとって椒簡易郵便局へと向かうと、道中の集落に、木材で作った棚に稲穂を干してあったり民家の軒先に何かを吊るしている、昔ながらの光景が見受けられた。
椒簡易郵便局で応対して下さったのは、ずいぶんと年を召した男性で、私のような旅行者を数多く見てきたそうで、ストーブの火力を強くして下さって色々とおもてなしを受けた。
例によって世間話で時間をだいぶ食ってしまったが、いい具合に雨が止み本来の郵便局の利用者が来たので、簡易郵便局を後にした。
次に訪れる時に、ここの郵便局長とこの庁舎にお目にかかれるかどうかは全くわからないので、記念に庁舎を撮影して峠を下った。
雨が止んだので、先程撮影できなかった集落を撮影して佐津郵便局に立ち寄った後、非常に遅い昼食…というか夕食をとってから本来の目的地である香美町へとバイクを走らせたが、再び雨が降り始め、餘部駅に到着した時には強い風が吹き荒れていた。
駅の待合室から見える上り列車用の信号機が赤になって、信号機に併設されている信号炎管が激しく点滅して列車が遅れる様子を目の当たりにして、翌日の撮影の下見に支障はないだろうかと、荒れ狂う天気に一抹の不安を感じた。
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