★長岡市の久須美酒造の日本酒です。
★久須美酒造の名を一躍世に広めたのは、幻のコメ「亀の尾」の復活劇だ。
このコメは明治時代半ば、庄内地方の篤農家・阿部亀治が発見し、育成。
「不世出の名品種」として戦前は作付面積を誇ったが、病害虫に弱く、倒伏しやすいなどから徐々に姿を消していった。
そんな折、久須美酒造6代目・久須美記廸氏は、越後杜氏の長老から「亀の尾で造った吟醸酒が忘れられない」との話を耳にする。 「その米でぜひ酒を造りたい!」との想いに駆られ、6代目の「亀の尾」の種籾探しが始まった。
時代は地酒ブームのさなかだったが、日本酒の将来を思えば何かせずにはいられなかったのだろう。 1980年、苦労の末に手にしたのは穂にしてわずか10本、約1500粒の種籾だった。
この貴重な種籾を元に、生産農家でもある蔵人と二人三脚で3年がかりで復活させ、「亀の尾」を使った純米大吟醸『亀の翁』は誕生した。・・・新潟県酒造組合HPより引用
★それでは呑んでみます(^0^)★/
香りはほとんどありません。
呑んでみると、クセのある味わいと甘味。
後味はほのかな甘みがあります。
★久須美酒造の名を一躍世に広めたのは、幻のコメ「亀の尾」の復活劇だ。
このコメは明治時代半ば、庄内地方の篤農家・阿部亀治が発見し、育成。
「不世出の名品種」として戦前は作付面積を誇ったが、病害虫に弱く、倒伏しやすいなどから徐々に姿を消していった。
そんな折、久須美酒造6代目・久須美記廸氏は、越後杜氏の長老から「亀の尾で造った吟醸酒が忘れられない」との話を耳にする。 「その米でぜひ酒を造りたい!」との想いに駆られ、6代目の「亀の尾」の種籾探しが始まった。
時代は地酒ブームのさなかだったが、日本酒の将来を思えば何かせずにはいられなかったのだろう。 1980年、苦労の末に手にしたのは穂にしてわずか10本、約1500粒の種籾だった。
この貴重な種籾を元に、生産農家でもある蔵人と二人三脚で3年がかりで復活させ、「亀の尾」を使った純米大吟醸『亀の翁』は誕生した。・・・新潟県酒造組合HPより引用
★それでは呑んでみます(^0^)★/
香りはほとんどありません。
呑んでみると、クセのある味わいと甘味。
後味はほのかな甘みがあります。
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