「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

「新たな不運?」

2010-02-01 | 日記
本題に入る前に、今まで書いていなかったことを少し書いてみようと思います。
私は37歳で結婚をしたのだが、この歳まで結婚をしなかった(出来なかった?)のには様々な事情があるのだが、20代前半はいくらでもチャンスはあったのだが「自分に生活力がない」と言う事で諦めざるを得なかったのだが、いざ自分に生活力が出来てくると、今度は「入り婿」の話ばかりで、それも、今で言うところの「逆玉の輿」が多かったのです。
主だった例では、「画商の娘で、資産数十億」「銀座に店のある老舗の京呉服店の娘」「中堅の建設会社の社長の娘」・・・・と、私には気の進まない話ばかりなのですが、相手の女性は美人ばかりなのだからなんとも皮肉な話なのです。
老舗の京呉服店の場合は、和服のカレンダーのモデルに成る程スタイルも良く「お嫁さんに頂けるのならば」と言っては見たのだが、「跡取りなので」と断られてしまいました。
と、ここまでは東京に住んでいた頃の話で、家を建てて現在のところに引っ越してからは「パタッ」と話が来なくなってしまったのです。
仕事が変わり、周りに知っている人もいなくなったのだから当然と言えば当然の話で、たまたま会社に出入りしていた保険屋のおばさんの紹介で見合いをしたのですが、正直な話、お互いに年齢的なことで焦りがあったのでしょう、余り気乗りはしなかったのだが結婚する事にしてしまったのですが、後になって考えれば、これが「大きな間違いの元」だったのです。
結婚当初から嫌な予感はしていたのだが、直ぐに子供が出来てしまった事もあり、子供のために我慢をしようとは思ったのだが、「夫である私より、自分の家族や友達の方が大事」と言う基本的な考えが年とともにひどくなり、子供が中学2年の3学期に別れる事にしたのですが、私は「6人兄弟の長男だが、継子扱い」だったのに対して、彼女の方は「6人兄弟の末っ子で、甘やかされて育った」と言うのだから、明らかに「性格(育った環境)の不一致」だったのですが、更に、私が「応用は得意だが、丸暗記は苦手」なのに対して、彼女に方は「応用は苦手だが、丸暗記は得意」と、全く正反対だったのだから話が噛み合うはずはなかったのです。
その3年半後にある結婚相談所の紹介で、中国人の女性と見合いをして結婚をするのだが、これもまた大失敗だったのです。
この失敗の原因は、私の中国に対する認識が甘かったことと、一方の中国では「数年前に崩壊したバブル期の日本の話が広がっていた」と言うことが根底にあり、この頃は私と同じようなケースがかなりあったようです。
「日本は豊かな国で、贅沢が出来る」と思ってやってきた彼女たちにとって、バブル崩壊後の日本は「想定外」だったのです。
「時給1000円以上の仕事がいくらでもある」「日本人は金離れが良い」などと聞かされて来たのに、いざ日本に来て見ると「時給800円でも仕事が見つからない」と言う現実を前に夢が破れたのでしょうが、元々腎臓が悪かったため、日本に来て1年半後には「人工透析」が必要になってしまったのだが、中国では「20万元(日本円で300万円位)で腎臓移植が出来る」と言う話を聞き、仕方なくお金を工面して渡したのだが、1年後に無事移植手術は成功した物の、バブルに沸く上海から日本に帰ることを嫌がるようになり、そのまま別居状態になってしまったのです。
コメント
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