出る杭は打たれる。
何故、出る杭は打たれなくてはいけないのであろうか。
これは日本人特有の思考回路に原因があるのかも。
寄らば大樹の陰。
私はこれが嫌いである。
「寄らば大樹の陰」は「虎の威を借る狐」と似たようなもので、私の嫌いな考え方でもある。
正直、私の言い表すとすると、「一匹オオカミ」といったところか。
通常、狼は群れでの集団生活をするが、これも「寄らば大樹の陰」「トラの威を借る狐」とも通じると思うが。
そう、私の「一匹狼」的な存在も「出る杭」と同じなのかも。
そのおかげで、どれだけ打たれ続けてきたことか。
当然のことではあるが、打たれ続けてきたことで、「打たれ強い」のが私の特徴かもしれないが、それがまた「出る杭」と同じになるようです。
おかげで、「いるだけで目障りだ」などとも言われます。
もっとも、そう言うのは「目立ちたがり屋」たちだけだが・・・・。
が、私は目立ちたくなどないのです。
目立ちたくないのに、何故かいつの間にか目立ってしまう。
だからといって、いなければいないでまたあれこれ言われる。
一体どうすればよいのか・・・・。