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「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

私は本当に日本人?

2010-03-27 | 日記
太平洋戦争中に生まれているので「外国人の子と取り違えた」と言う事は有り得ないだろうから「純粋な日本人」と考えるべきなのだろうが、「物の考え方」「食生活」と言う部分から見ると「本当に日本人なの?」と考え込んでしまうことがある。
バングラディシュの人、日系ブラジル人二世・三世の人、中国の人などに「あなたは日本人らしくない」と言われた話は過去にも書いているのだが、このように日本人離れした物の考え方は一体誰に影響されたのであろうか。
「三つ子の魂百までも」と言う言葉があるように、幼い頃にある程度形成されていたのだろうが、終戦当時満三歳になったばかりであるから「外国人との接触」と言う事は全く考えられず、小学生時代にも「外国人とあった記憶は無い」のである。
しかしながら・・・・、である。
ある程度はっきりした記憶が残っている小学5年生頃にはすでにその前兆は現れており、姉たちからは「変わり者」と言われ、何かにつけて「異端児扱い」をされていたのです。
「外国人とあった記憶は無い」と書いたのだが、よくよく考えて見ると、家の近くには「朝鮮人」があり、かなり「在日朝鮮人」との接触もあり、同級生には「アメリカ人との二世」がいたことが影響しているのかもしれないが、それ以前にも何かあったのだろうが、それが何だったのかは全く不明である。
食べる物にしても、小学生の頃から「天麩羅にソース」と言うほどソースが好きだったのだが、親兄弟(7人)は「醤油派」が殆んどで、食べ物の好みも私だけかなり違っていました。
タダ、「天麩羅にソース」と言うほどのソース派ではあるが、「カレーにソース」と言う事はありません。
現在の私は「パン食」が中心で、日本食も嫌いではないのだが「作るのが面倒」と言う事もあるのだが、正直な話「無くても不自由はしない」と言う程度のレベルなのです。
これは以前にも書いているのだが、13日間も上海にいながら「一度も日本食を食べたいと思わなかった」と言うほど日本食にこだわりが無いのです。
「せっかく上海に行ったのに何で日本食?」と言うのが私の基本的な考えで、出来得るなら「夜道端で作っている物が食べたい」と思ったのだが、「不衛生だからダメ!」と言われ諦めるしかなかったのですが、今でも「機会があったら食べたい」と思っています。
高級な「海鮮料理」も良いのだが、それより「一般庶民が食べているもの」の方に興味が行くのは「私が貧乏人だから」かもしれないが・・・・。
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