前回は弁当の話しを書いたのだが、これ以外にも常識では考えられないようなことが沢山有るのです。
中学生が学校に行く時間に起きてこないこと事態異常な事なのだが、学校に納める「授業料以外のお金」でも同様のことが起きるのです。
学校からは納めるお金に関するプリントが渡されるのだが、そのプリントを母に渡しても「なしのつぶて」なのです。
当たり前の話だが、収める期限があり、その期限が迫ってもお金は貰えず、「○○のお金は?」と催促すると「お父さんがいいといったら」と言う返事しか返って来ないのである。
その頃はこの言葉の意味を理解できなかったのだが、かなり後(10年以上)になってからやっと意味が分かるのである。
その意味を要約すると「私に言っても無駄だから、自分でお父さんに言え」と言う事だったのである。
そんな事とは露知らず、滞納すれば「事務所の掲示板に滞納者の名前が張り出される」と言う事で、窮余の策として「店のお金をくすねる」と言う手段で切り抜けたのである。
毎日学校から帰るとすぐに店番をさせられていたので、私が一人で店番をしているときにくすねるのである。
渡したプリントの存在は父も知っていたのだが、まさかこんな事になっていることまでは知らなかったのである。
これも後になって知ったのだが、当時の父と母は「家庭内離婚」の状態になっておる、一緒に暮らしていながら「会話は殆どなかった」のだそうである。
これは母が89歳で死ぬ前の年に聞かされた話であるが・・・・。
中学生のころはよく「無実の罪」にも泣かされていて、「何でこうまで俺が悪者にされるのだろう?」と思っていたのだが、そこにも母の存在が大きくかかわっていたのである。
このころは弟や妹がやったいたずらのほとんどが「私がやった事」にされていたのだが、私ではないことを母は知っていながら「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでいたのである。
しばしば学校から帰るなり父に怒鳴られていたのだが、その殆どが「無実の罪」で、父もその事はわかっていての事だったのである。
「それじゃ何故?」と思うだろうが、父にとっては「日頃鬱積していた母に対する不満の捌け口」として私に八つ当たりしていたのである。
「八つ当たり」と書いたのだが、正しくは「あてつけ」と言ったほうがよいだろうが、母にしてみれば「いつもの事」と言った程度にしか感じていなかったらしいのだが・・・・。
このような状態でも離婚に至らなかったのは、父にしてみれば「店にとって大事な労働力」であり、母の側は「一人では生活してゆく自信がない」「少し我慢をすれば一生楽な暮らしが出来る」と言ったところだったようである。
このため何度か家出もしているのだが、決まって「数日で戻ってくる」のである。
家出にしても「本気」でなどなく、「気晴らし」と言った程度で、その後しばらくは父も大人しいのだが・・・・。
中学生が学校に行く時間に起きてこないこと事態異常な事なのだが、学校に納める「授業料以外のお金」でも同様のことが起きるのです。
学校からは納めるお金に関するプリントが渡されるのだが、そのプリントを母に渡しても「なしのつぶて」なのです。
当たり前の話だが、収める期限があり、その期限が迫ってもお金は貰えず、「○○のお金は?」と催促すると「お父さんがいいといったら」と言う返事しか返って来ないのである。
その頃はこの言葉の意味を理解できなかったのだが、かなり後(10年以上)になってからやっと意味が分かるのである。
その意味を要約すると「私に言っても無駄だから、自分でお父さんに言え」と言う事だったのである。
そんな事とは露知らず、滞納すれば「事務所の掲示板に滞納者の名前が張り出される」と言う事で、窮余の策として「店のお金をくすねる」と言う手段で切り抜けたのである。
毎日学校から帰るとすぐに店番をさせられていたので、私が一人で店番をしているときにくすねるのである。
渡したプリントの存在は父も知っていたのだが、まさかこんな事になっていることまでは知らなかったのである。
これも後になって知ったのだが、当時の父と母は「家庭内離婚」の状態になっておる、一緒に暮らしていながら「会話は殆どなかった」のだそうである。
これは母が89歳で死ぬ前の年に聞かされた話であるが・・・・。
中学生のころはよく「無実の罪」にも泣かされていて、「何でこうまで俺が悪者にされるのだろう?」と思っていたのだが、そこにも母の存在が大きくかかわっていたのである。
このころは弟や妹がやったいたずらのほとんどが「私がやった事」にされていたのだが、私ではないことを母は知っていながら「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでいたのである。
しばしば学校から帰るなり父に怒鳴られていたのだが、その殆どが「無実の罪」で、父もその事はわかっていての事だったのである。
「それじゃ何故?」と思うだろうが、父にとっては「日頃鬱積していた母に対する不満の捌け口」として私に八つ当たりしていたのである。
「八つ当たり」と書いたのだが、正しくは「あてつけ」と言ったほうがよいだろうが、母にしてみれば「いつもの事」と言った程度にしか感じていなかったらしいのだが・・・・。
このような状態でも離婚に至らなかったのは、父にしてみれば「店にとって大事な労働力」であり、母の側は「一人では生活してゆく自信がない」「少し我慢をすれば一生楽な暮らしが出来る」と言ったところだったようである。
このため何度か家出もしているのだが、決まって「数日で戻ってくる」のである。
家出にしても「本気」でなどなく、「気晴らし」と言った程度で、その後しばらくは父も大人しいのだが・・・・。
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