昨年末の12月27日、イェジー・カワレロウィッチ監督が亡くなったそうです。
黙祷・・・
『ウィキペディア(Wikipedia)』では、監督の経歴を次のように記しています。
<イェジー・カヴァレロヴィチ(Jerzy Kawalerowicz, 1922年1月19日 - 2007年12月27日)はポーランドの映画監督。
クラクフ美術大学卒。数年間の助監督経験を経て、1951年監督デビュー。1953年、1954年にそれぞれ『セルロース』『フリギアの星の下で』の2部作を監督。当時支配的であった社会主義リアリズムの枠を守りながらも、他の社会主義リアリズム映画が陥りがちであった一面的描写やステレオタイプを避けることに成功し、好評を得た。
1955年以降、映画ユニット「カドル」を運営。ポーランド派時代の1959年、1960年には代表作である『夜行列車』『尼僧ヨアンナ』を監督。国内での評価は今ひとつだったものの、国際的には高い評価を得、世界的名匠として認知されることとなった。その後も精力的に作品を撮り続け、2007年12月27日、ワルシャワにて85歳で死去した。
概して(アンジェイ・ワイダなどに代表される)当時のポーランド映画の多くが、ポーランドの歴史的運命およびそれと現代史の係わり合いなど、政治的・社会的色彩の濃い作風を好んだのに対し、カヴァレロヴィチはむしろ実存的、心理主義的描写を好み、そうした意味ではある種異彩を放つ存在であった。>
このブログで紹介しているカワレロウィッチ作品は、「夜行列車」と「影」の二つ。特に前者は、何度観ても飽きない大好きな作品です。
「尼僧ヨアンナ」も去年観ましたが、個別の記事に出来ないままでした。あと、有名どころでは「戦争の真の終り(1957)」が未見のままですね。
「夜行列車」、「尼僧ヨアンナ」に主演したルチーナ・ウィンニッカは監督夫人で、28年生まれの今年80歳。ご健在のようですが、さぞかし寂しいことでしょう。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
黙祷・・・
*
『ウィキペディア(Wikipedia)』では、監督の経歴を次のように記しています。
<イェジー・カヴァレロヴィチ(Jerzy Kawalerowicz, 1922年1月19日 - 2007年12月27日)はポーランドの映画監督。
クラクフ美術大学卒。数年間の助監督経験を経て、1951年監督デビュー。1953年、1954年にそれぞれ『セルロース』『フリギアの星の下で』の2部作を監督。当時支配的であった社会主義リアリズムの枠を守りながらも、他の社会主義リアリズム映画が陥りがちであった一面的描写やステレオタイプを避けることに成功し、好評を得た。
1955年以降、映画ユニット「カドル」を運営。ポーランド派時代の1959年、1960年には代表作である『夜行列車』『尼僧ヨアンナ』を監督。国内での評価は今ひとつだったものの、国際的には高い評価を得、世界的名匠として認知されることとなった。その後も精力的に作品を撮り続け、2007年12月27日、ワルシャワにて85歳で死去した。
概して(アンジェイ・ワイダなどに代表される)当時のポーランド映画の多くが、ポーランドの歴史的運命およびそれと現代史の係わり合いなど、政治的・社会的色彩の濃い作風を好んだのに対し、カヴァレロヴィチはむしろ実存的、心理主義的描写を好み、そうした意味ではある種異彩を放つ存在であった。>
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このブログで紹介しているカワレロウィッチ作品は、「夜行列車」と「影」の二つ。特に前者は、何度観ても飽きない大好きな作品です。
「尼僧ヨアンナ」も去年観ましたが、個別の記事に出来ないままでした。あと、有名どころでは「戦争の真の終り(1957)」が未見のままですね。
「夜行列車」、「尼僧ヨアンナ」に主演したルチーナ・ウィンニッカは監督夫人で、28年生まれの今年80歳。ご健在のようですが、さぞかし寂しいことでしょう。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
でも彼の「夜行列車」を何度もリピートして
鑑賞し愛でる十瑠さんのような映画ファンが
本国に限らず世界中に、その数はそんなに
多くはないかもしれませんが、きっと
いらっしゃると私、信じております。
ありがとう、カワレロウィッチ!
謹んでご冥福を祈ります。
追記。
稀有な放映、観損なった北国のアホタンキョも
ここに棲息して(笑)おりますので、BS・CSでの
放映に思いっきり期待しておりまする。
貴重な情報、十瑠さん、いつも読ませて
いただいて感謝でございます。
あやうく、見逃すところでした。
NHKさん!
北国の姐さんのためにも、ゼシ再放送を、そして特集をば、お願い申し上げ奉ります~~