(1936/フランク・キャプラ監督・製作/ゲイリー・クーパー、ジーン・アーサー、ジョージ・バンクロフト、ライオネル・スタンダー、ダグラス・ダンブリル/115分)
フランク・キャプラが2度目のアカデミー監督賞を獲った作品。原題が【Mr. Deeds Goes to Town】。3年後に作った「スミス都へ行く」の原題が【Mr.Smith Goes to Washington 】でよく似ているが、善良な常識ある田舎者が主人公という所も似ている。その主人公が本作では都会人の傲慢や悪巧みと闘い、「スミス」では悪い政治家や政治屋に立ち向かう。
NYの大富豪センプルが急死して、その莫大な財産は遺書により甥のディーズ(クーパー)が受け取ることになる。センプルの顧問弁護士シーダー(ダンブリル)や相談役をしていたコブ(スタンダー)達が、マンドレークという田舎町に住むディーズを訪ねるが、その町は誰もがノンビリとしたのどかな所だった。ディーズは独身の若者で、両親はすでに他界している。ささやかだが事業を営んでおり暮らしには困っていない。家政婦に言わせると、事業よりも町の皆から依頼されて作る“詩”の代金の方が多いということだった。シーダーに二千万ドルの遺産の話を聞いても、ディーズも家政婦も驚いた様子はない。NYの都会人からすれば馬鹿かマヌケとしか見えないが、本人達にすればお金は生活に必要なだけあれば良いのだ。
手続きのためにNYへ一緒に行くことになるが、ディーズの気がかりは相続に纏わるゴタゴタよりも、自分が抜けた後の町の楽団の事だった。彼の担当はチューバで、何か考え事をする時には必ずチューバを吹くのが癖だった。
一躍時の人となったディーズをマスコミは追いかけ、センプルが関係していた団体は、引き続きディーズからも援助が受けられるよう画策する。センプルの資産の一部を使い込んでいたシーダーも、引き続き顧問契約を結ぶよう働きかけるが、意外にもディーズは慎重だった。毎年18万ドルの赤字を計上しているオペラの団体にも、委員長就任の条件に運営方法の見直しを要求するディーズ。間抜けな田舎者とみられていたが、彼は堅実な常識人であったのだ。
新聞社に勤めるベイブ(アーサー)は、ひと月の有給休暇を賭けてディーズ絡みの特ダネを狙い、ある夜、彼の豪邸の前で行き倒れを装って近付く。“不幸な女性を助ける”のが夢だったディーズは、まんまと彼女に騙され食事に誘う。メアリーという偽名を使ったベイブは、次の日、彼を“シンデレラ・マン”と名付けたスクープ記事をモノにするが、デートを重ねるうちに彼の誠実さに心を打たれるようになり、“シンデレラ・マン”という蔑称に傷ついた彼をみかね、ついには新聞社を辞めようとする。
ベイブに恋していたディーズは、ある事から彼女が騙していたことを知り深く傷つく。折しも不況で仕事を無くした人々の事を知り、遺産を彼らの為に使おうと思うが、ディーズの計画を知ったシーダーは、センプルの別の遺族の代理人となり、ディーズは遺産相続の資格がない精神異常者であるという裁判を起こすのだった・・・。
さすが訴訟社会のアメリカだけあって映画にも裁判のシーンが多いが、本作もラストは裁判劇で、先月の「三十四丁目の奇跡」と同じく、どんでん返しのような展開になっていきます。窮地に追い込まれた主人公が、鮮やかな論理と弁舌で逆転していくのが面白いですね。
そして、狂言廻しのコブの時々の台詞も面白い。
仕事と割り切ってディーズと付き合っていたベイブが、段々と彼の人柄に惹かれていく所など、口には出せない彼女の想いが表情に現れるショットの編集が、オスカーに相応しい出来映えでした。
全てのエピソードが生かされた上手い脚本は「或る夜の出来事(1934)」でオスカー受賞のロバート・リスキン。本作でもノミネートされたようですが、受賞には至らなかったようです。
善良な常識人を演じる時のジェームス・スチュワート(=スミス)とクーパー(=ディーズ)との違いを考えてみました。
正直者だが、不正に対しては断固戦うという人間性は同じですね。役柄としての違いは、シチュエーションの違いもあるでしょうが、ディーズは女性の裏切りで非常に傷つきましたが、スミスは女性に騙されることはなかった。女性との恋愛絡みが重要な要件である本作には、ジミーさんより女性に弱いクーパーさんを配役したということでしょうか。なんとなくそんなことを考えてしまいました。どちらも相手役がジーン・アーサーというのも面白いですね。
1936年のアカデミー賞では、作品賞、主演男優賞にもノミネートされたようです。
フランク・キャプラが2度目のアカデミー監督賞を獲った作品。原題が【Mr. Deeds Goes to Town】。3年後に作った「スミス都へ行く」の原題が【Mr.Smith Goes to Washington 】でよく似ているが、善良な常識ある田舎者が主人公という所も似ている。その主人公が本作では都会人の傲慢や悪巧みと闘い、「スミス」では悪い政治家や政治屋に立ち向かう。
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手続きのためにNYへ一緒に行くことになるが、ディーズの気がかりは相続に纏わるゴタゴタよりも、自分が抜けた後の町の楽団の事だった。彼の担当はチューバで、何か考え事をする時には必ずチューバを吹くのが癖だった。
一躍時の人となったディーズをマスコミは追いかけ、センプルが関係していた団体は、引き続きディーズからも援助が受けられるよう画策する。センプルの資産の一部を使い込んでいたシーダーも、引き続き顧問契約を結ぶよう働きかけるが、意外にもディーズは慎重だった。毎年18万ドルの赤字を計上しているオペラの団体にも、委員長就任の条件に運営方法の見直しを要求するディーズ。間抜けな田舎者とみられていたが、彼は堅実な常識人であったのだ。
新聞社に勤めるベイブ(アーサー)は、ひと月の有給休暇を賭けてディーズ絡みの特ダネを狙い、ある夜、彼の豪邸の前で行き倒れを装って近付く。“不幸な女性を助ける”のが夢だったディーズは、まんまと彼女に騙され食事に誘う。メアリーという偽名を使ったベイブは、次の日、彼を“シンデレラ・マン”と名付けたスクープ記事をモノにするが、デートを重ねるうちに彼の誠実さに心を打たれるようになり、“シンデレラ・マン”という蔑称に傷ついた彼をみかね、ついには新聞社を辞めようとする。
ベイブに恋していたディーズは、ある事から彼女が騙していたことを知り深く傷つく。折しも不況で仕事を無くした人々の事を知り、遺産を彼らの為に使おうと思うが、ディーズの計画を知ったシーダーは、センプルの別の遺族の代理人となり、ディーズは遺産相続の資格がない精神異常者であるという裁判を起こすのだった・・・。
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さすが訴訟社会のアメリカだけあって映画にも裁判のシーンが多いが、本作もラストは裁判劇で、先月の「三十四丁目の奇跡」と同じく、どんでん返しのような展開になっていきます。窮地に追い込まれた主人公が、鮮やかな論理と弁舌で逆転していくのが面白いですね。
そして、狂言廻しのコブの時々の台詞も面白い。
仕事と割り切ってディーズと付き合っていたベイブが、段々と彼の人柄に惹かれていく所など、口には出せない彼女の想いが表情に現れるショットの編集が、オスカーに相応しい出来映えでした。
全てのエピソードが生かされた上手い脚本は「或る夜の出来事(1934)」でオスカー受賞のロバート・リスキン。本作でもノミネートされたようですが、受賞には至らなかったようです。
善良な常識人を演じる時のジェームス・スチュワート(=スミス)とクーパー(=ディーズ)との違いを考えてみました。
正直者だが、不正に対しては断固戦うという人間性は同じですね。役柄としての違いは、シチュエーションの違いもあるでしょうが、ディーズは女性の裏切りで非常に傷つきましたが、スミスは女性に騙されることはなかった。女性との恋愛絡みが重要な要件である本作には、ジミーさんより女性に弱いクーパーさんを配役したということでしょうか。なんとなくそんなことを考えてしまいました。どちらも相手役がジーン・アーサーというのも面白いですね。
1936年のアカデミー賞では、作品賞、主演男優賞にもノミネートされたようです。
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】 
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この作品は、クーパー作品の中で一番好きな作品です!この作品のクーパー、彼の持ち味が非常に活きていると思うのです。キャプラ監督は最初からクーパーを想定していたそうですが、なるほどという感じです。
ちなみに「スミス都へ行く」はこのディーズ氏を主役にしようとしたところ、パラマウントからクーパーの貸し出しを拒否されたため、キャプラ監督はジミーを主役に据えたそうですよ。うーん。クーパー主演の「スミス~」も観てみたかったです。
クーパーとスチュワートの裏話はもっと聞きたいですね。
この後、キャプラは「群衆」でクーパーを、「素晴らしき哉!人生」でジミーさんを使っています。微妙な持ち味の違いが生かされているような気がしますね。