マックィーンが50歳で亡くなったのが1980年11月7日。もうすぐ、26年が経とうとしている。生きていれば76歳。想像しようとしたら、やはり76歳の彼は浮かんでこなかった。しかし、50歳は早すぎる。せめて60歳まではスクリーンで活躍して欲しかった。で、60で俳優は引退。後は自然を相手に悠々自適。それがマックィーンには似合っていたと思う。
死因は肺ガンとのことだった。
アメリカは砂漠で核実験をやっていたから、残存放射能の多い砂漠でのロケが多かった西部劇スターはガンになる人が多いという噂を聞いていた。彼もそのせいだと思っていたら、去年、<マックィーンの死亡原因はアスベストが原因の中皮腫だった。>とニュースが流れた。
<スティーブ・マックィーン(Steve McQueen/本名:Terrence Steven McQueen)、1930年3月24日 ~ 1980年11月7日。
インディアナ州インディアナポリス市出身。生後6ヶ月の頃に両親が離婚。母親の再婚と共に各地を転々と移るなど環境に恵まれず、14歳の頃、カリフォルニア州立少年院に入れられる。1年半後に出所し、17歳で海兵隊へ入隊。除隊後はバーテンダーやタクシードライバー、用心棒などで生計を立てる。
1951年、ガールフレンドの勧めで俳優の道を選び、ネイバーフッド・プレイハウスに入学。アクターズ・スタジオを経てブロードウェイにデビューする。1956年「傷だらけの栄光」でポール・ニューマン扮するロッキーの悪友役(出演時間は合計して5分程)で映画デビュー。1958年にテレビ出演した「拳銃無宿(Wanted Dead or Alive)」のヒットにより一躍有名になる。
その後、「荒野の七人」、「大脱走」、「華麗なる賭け」、「ブリット」など数々の映画に出演。1980年、実在の賞金稼ぎをモデルにした「ハンター」の出演を最後に体調を崩し、アスベストが原因の中皮腫が発症しているのが見つかり、余命数ヶ月を宣告された後亡くなった。
海兵隊で乗務した戦艦の船室の内装に多用されたり、趣味のレースで当時使われたアスベスト製の耐火服・耐熱フェイスマスクから長期にわたりアスベスト繊維を吸引したのが原因ではないかといわれている。>(ウィキペディア(Wikipedia)より)
3人目の奥さんバーバラ・ミンディ(80年結婚)は知らないが、56年に結婚したニール・アダムスと73年に再婚したアリ・マッグローは外見は似たタイプだった。やせ形、小顔の黒髪の女性といったところか。3度目の結婚をした年に亡くなったんですな。
職歴に“用心棒”って凄いなぁ・・・!
知らないうちにこのブログでもマックィーンの作品はかなり紹介している。
古い方からいくと「傷だらけの栄光」、「荒野の七人」、「ブリット」、「華麗なる賭け」、「栄光のル・マン」、「タワーリング・インフェルノ」。
その他の出演作で観ているのは、「突撃隊(1961)」、「大脱走(1963)」、「シンシナティ・キッド(1965)」、「砲艦サンパブロ(1966)」、「ジュニア・ボナー(1972)」、「ゲッタウェイ(1972)」、「パピヨン(1973)」。
我ながら、結構観てます。
寡黙な男の役が多く、どれも似たような印象があるが、同じく寡黙な男を演じることが多かったクリント・イーストウッドと比べると演じた人物像の巾は広い。イーストウッドのトーマス・クラウンは想像しにくいもんね。
好きな役は、「大脱走」のヒルツ。手作り酒に酔っぱらって仲間とはしゃいだり、気弱な捕虜仲間の死に心を痛めることもあるが、反骨精神は旺盛で、何度捕まっても脱走を繰り返し、その度に独房で一人キャッチボールをする。仲間からボールとグローブを受け取り独房に入っていくラストが爽快だった。
60年代、70年代と映画雑誌の人気投票ではアラン・ドロンとトップを争っていた。ドロンには女性票が多く、マックィーンには男性票が多かったと思う。
未見の作品で特に観たいのは、69年の「華麗なる週末」。
「華麗なる賭け」の翌年で、頭に“華麗なる”と付いているが、これは配給会社の策略で、中身は20世紀初頭のアメリカの田舎町が舞台の話で、マックィーンもぼさぼさ頭のユーモラスな男の役だったように記憶している。ウィリアム・フォークナーの原作があり、監督は「黄昏(1981)」でオスカーにノミネートされたこともあるマーク・ライデル。TVの深夜放送でちょっとだけ観たことがあるが、通しては観てない。「ペーパー・ムーン」よりももっと古いクラシックカーが出てくるロード・ムーヴィーのようです。
イプセンの原作、アーサー・ミラーの戯曲を映画化した「民衆の敵(1978)」も、異色という点でも是非みたい作品だ。
<ノルウエーで“赤ひげ”のように慕われていた人格者の医師が、町の人々に背かれ、村八分となる・・・(「allcinema-online」の紹介記事より)>というような内容で、まさしく顔面一杯の髭面のマックィーンのスチール写真が記憶にある。シリアスな社会派ドラマで、マックィーンは製作も兼ねるほどの熱の入れようだったらしいが、商業的に不成功だったことは想像に難くない。
遺作となった「ハンター(1980)」。今年だったか去年だったか、NHK-BSで深夜に放送されたが、録画出来なかった。残念!
その他、「マンハッタン物語(1963)」、「ハイウェイ(1964)」というマリガン監督&パクラ製作コンビの作品も気になる。
「マンハッタン」では、ミュージシャンのマックィーンとナタリー・ウッドとの恋愛の駆け引きがユーモラスに描かれ、後者もマックィーンは歌手志望という元犯罪者の役だが、こちらはリー・レミックとの別れが描かれる悲劇らしい。
尚、「ハイウェイ」は「アラバマ物語」の脚本を書いたホートン・フートの原作・脚本。
「ネバダ・スミス(1966)」(ヘンリー・ハサウェイ監督)、「雨の中の兵隊(1963)」(ラルフ・ネルソン監督)も見逃しているなぁ。
「allcinema-online」によると、父親は飛行機の曲乗り師で、生後6ヶ月での両親の離婚は父親の蒸発によるものらしい。そして、<彼の遺灰は太平洋にまかれた。>とのことだった。
御意!御意!
でも無理に想像してみる、私・・・・むむむ、ダメだ、こりゃ。(笑)
私も「華麗なる週末」「ジュニア・ボナー」「ハンター」観てないわ。
父親の愛情を知らなかったのでは無いかと思われるマックィーンが、「華麗なる週末」では12歳の少年と旅をする男の役らしいです。ネッ、観たいですよね。
マックィーンで観ていないのは「民衆の敵」くらい。リメイクも去れたSF映画「絶対の危機」も観ていますよん。
フォークナー原作の「華麗なる週末」はなかなか味わいのあるコメディータッチの作品でした。
viva jijiさん、サム・ペキンパーのマイ・ベスト「ジュニア・ボナー」をご覧になっていないなんて!
必見ですよ。
「マンハッタン物語」「ネバダ・スミス」は抜群ではないですが、見て損はないでしょう。
キチンと選んで出ていたのでしょう。オードリーにはアレは断れなかった。(笑)
「ジュニア・ボナー」。何十年も観てないので久しぶりに逢いたいですね。
淀長さんが彼の名前を呼ぶとき「マッキ~ン」って言ってるように聞こえたのが印象的かな。
個人的には(見た範囲ですけど)「荒野の7人」「大脱走」の彼が大好き!そうそう、十瑠さんの記事に触発されて見た「栄光のルマン」も大好き!
女性になったつもりで、ポートレイトをジッと見つめていたらなんとなく理解しました。って俺は変態か?!
映画としても役柄としても「ル・マン」は私も大好きです。
Come back マッキ~ン!
非常に好きな作品です。
私も「民衆の敵」「ハイウェイ」「ガールハント」あたりは見てないですね。あとはけっこうみているのですが、20年近く前で忘れてしまってます。
バーボン。若い頃に一時期飲んでましたが、トウモロコシは合わないようで翌日には腹の調子が・・・。
ペキンパーが「ジュニア・ボナー」の最初の監督だったことは初耳・・・か、忘れてました。(笑)
淡々とした印象のマックィーンでした。
彼の主演作では異色の西部劇なのかしら
そんな気がしました。
ただ当時の映画雑誌などからの
受け売りですが、アリとの噂が浮上した時
「糟糠の妻ニールさんがかわいそう」とか
彼の心変わりに納得が行かなかった記憶が
ありましたね~。
ちなみに3番目のバーバラさん
お写真ではアリにそっくりでしたわ。
遺作だったんですね。
>「糟糠の妻ニールさんがかわいそう」
そういうニュアンスは殆どの人が感じたんじゃないですかね。
3人の奥さんが皆さんそっくりだというのは、やっぱりマックィーンさんって頑固だったんでしょうね。