(1989/フィル・アルデン・ロビンソン監督・脚本/ケヴィン・コスナー、エイミー・マディガン、レイ・リオッタ、ジェームズ・アール・ジョーンズ、バート・ランカスター、ギャビー・ホフマン、ティモシー・バスフィールド、フランク・ホエーリー、ドワイヤー・ブラウン/107分)
以前から再見予定リストのAランクにあった作品。何年ぶりかは忘れましたが、とにかく久しぶりの鑑賞。NHK-BS2での放送でした。
アイオワの田舎町でトウモロコシを作っているレイ・キンセラ(コスナー)は、ある日の夕方、畑で『それを作れば彼が来る(If you build it, he will come.)』という声を聞く。妻のアニー(マディガン)にも愛娘のカレン(ホフマン)にも何も聞こえなかったが、やがてレイには自分の畑が野球場になっている光景が見えてくる。レイは“それ”が野球場であると悟り、更には、声と同時にある野球選手の姿も脳裏に浮かんでくる。それは亡くなった父親が大好きだったシカゴ・ホワイトソックスの往年のスター選手、“シューレス・ジョー”こと、ジョー・ジャクソンだった。
借金で始めた農場経営は決して楽ではなかったが、レイはその声を天からの啓示のように感じ、野球場を作りたいとアニーに打ち明け、アニーは夫の気持ちを尊重した。近所の人々のあきれ顔をしり目に、レイは次の日から畑の半分を野球場に変える作業にかかった。貯金をはたいて野球場は出来たものの、一向に変化は起きず、数ヶ月がアッという間に過ぎた。冬を越し、再び緑の季節がやってきたある夜、彼は現れた。
ジョー・ジャクソン(リオッタ)は、1919年のワールドシリーズで、八百長に関わったとして他の7人のチームメイトと共に球界を追放された選手だった。既に故人であったが、レイの球場に現れた彼は、選手時代の若々しい姿だった。レイは外野を守るジョーにノックをし、その後バッターボックスの彼を相手にピッチングをした。それは夢のような時間だった。次の日には、彼と共に7人の仲間もやってきて、8人とも1919年当時のホワイトソックスのユニホームに身を包んでいた。
彼らは幽霊か?
『彼の痛みをいやせ』
新たな天の声が聞こえてくる。彼とは誰か? レイの直感では“彼”はジョーではない。アニーと出かけた町の集会で、60年代に活躍して今は隠遁生活を続けているピューリッツァ賞作家テレンス・マン(ジョーンズ)の本が話題になり、レイはマンが“彼”だと直感する。
図書館でマンについて調べ出すレイ。マンの小説にはレイの父と同じ名前の主人公が出てくるものがあり、しかも、マンはかつて野球選手になる夢をもっていた。
貯金もなくなり、畑の面積が減った為に借金の返済にも窮するようになったが、レイはなんとしてもマンに会いたいと思うようになる。1958年以降人目を避けているマンは何年も大好きな野球場に行っていないはず。彼に会って野球を見せてあげたい。それが“声”の意図だとレイは思った。
マンに会うにはボストンまで行かなければならない。アニーは反対したが、レイと話をする内に二人とも同じ夢を見たことが分かり、アニーはボストン行きに賛成する。
二人が見た夢とは、ボストン=レッドソックスの本拠地フェンウェイパークで、グリーン・モンスターの見える一塁側のスタンドに座り、マンとレイが一緒に野球を観ている姿だった・・・。
これは喪失の話ですな。そして、なくしたものを取り戻す話。現実には取り戻せないけれど、ファンタジーという形式にすることによって、取り戻している。なくしたモノは色々あるが、一言で言えば“時間”でしょうか。
最初に観た時には最後のキャッチボールにウルッときましたが、今回は思いがけないシーンでもキューンとしてしまいました。例えば、テレンス・マンがレイと車でアイオワに向かっている所とか、途中でヒッチハイクの若者を拾う所とか。
野球場が出てくるし、野球選手も出てくるのでスポーツ映画にカテゴライズしている人もいるようですが、テーマとしては特に関係ない。スポーツ嫌いな人にもお勧めできる映画だと思います。
作劇的には謎解きと予想外の展開、ローンの支払が迫る時限サスペンスと面白い要素が詰まり、中盤にはロード・ムーヴィーも味わえるという、以前より気に入っていた理由が今回ハッキリと分かりました。
▼(ネタバレ注意)
レイが声に従うことに拘ったのには訳があった。彼曰く、『おやじの二の舞は嫌だ』。
映画の冒頭でレイ自身のナレーションで生い立ちが語られるが、併せて父親の事も語られる。
父の名はジョン・キンセラ。1896年、ノースダコタ生まれ。第一次世界大戦から帰った後、父はシカゴに住み、ホワイトソックスのファンになったが八百長問題で大いに失望した。マイナーリーグで野球選手になるもメジャーには届かず、その後ニューヨークに移り38年に結婚する。52年にレイが生まれた3年後には妻に先立たれ、以後男手一つでレイを育てた。子守歌代わりに、ベーブ・ルースやシューレス・ジョーなど野球選手の話を聞かせ、父は息子にメジャーリーガーへの夢を託した。レイは10歳まではつき合ったが、その後父親とはキャッチボールもしなくなった。17歳で家出同然に西海岸の大学に入り、父親との関係も途絶えた。大学で知り合ったアニーと74年に結婚し、同じ年にジョンが死んだ。葬式には間に合ったが、死に目には会えなかった。
『意味無く年を取った』。レイは父の事をそう言うのである。
『今の俺と同じ年には老人同然だったろう。夢はあったはずだが、何もしなかったんだ。“声”も聞いたかも知れないのに、聞き流した。自分からは何もしなかったんだ。そんな男にはなりたくない。そうならない為の最後のチャンスなんだ』
畑で聞こえた声を、レイはそんな風に捉えたのだった。
ボストンでマンに会うも、最初はけんもほろろに追い返されそうになり、必死の攻防の末、なんとか球場まで出かけ一緒に野球を観ることが出来た。二人で並んで観ていると、今度は電光掲示板に奇妙な言葉を発見する。
『アーチー・“ムーンライト”・グラハム(ニューヨーク・ジャイアンツ) ミネソタ州 チザム 1922年』
レイの話を真に受けなかったテレンスにもその言葉が見えていて、作家的興味から一緒にアーチー・グラハムについて調べてくれた。アーチー・グラハムはメジャーでは1イニングにしか出場しなかった選手だった。
二人はアーチーの故郷、チザムに向かい、野球を止めた後、故郷で医者として生涯を終えた事を知る。ホテルの新聞でテレンスの行方を彼の父親が案じていることを知り、彼が父親へ電話をしている間、レイは外に散歩に出かける。ふと気が付くと、その時街は1972年にタイムスリップしていた。レイはそこで医者となったアーチー・グラハム(ランカスター)に出逢う。
アーチーは自分を“ムーンライト”と呼ぶレイを診療所に招き、レイに聞かれるまま、メジャーでの経験や叶えたい望みについて語る。アーチーの望みとは・・。
メジャーに上がって3週間目のシーズン最終戦。大量リードの8回にアーチーの出番はやってきた。ライトの守備。その試合で打席に立つことはなく、結局その1イニングが彼のメジャー経験だった。シーズン終了後には再びマイナー降格が決まり、アーチーはメジャーを諦めて故郷に帰り大学に戻る。元々医者の家系であり、以後チザムから出ることはなかった。
メジャーでの3週間。自分はそれが最後のチャンスだと思わずに過ごしていた。いつでもメジャーに戻れると思って、頑張り所を見誤った。それが生涯の心残りだった。
希望は、メジャーの打席に立つこと。青空に向かって思いっきり白球を叩き、三塁に滑り込んでベースを両手で抱えることだと彼は言った。
ラストシーンで、全ての人々の希望が叶えられる。そして、お膳立てをしてきたレイにも、失った時を取り戻すような出逢いが待っていた。ウルウル
▲(解除)
W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』が原作。
映画原題は、【FIELD OF DREAMS】。この世に舞い戻ってきたような選手達にも“夢の球場”であり、レイやマンにとってもそれぞれの願いが叶った“夢の球場”なのでした。
バート・ランカスターはこの映画の5年後に心臓発作で亡くなっていた。
エイミー・マディガンはエド・ハリスの奥さん。
むちゃむちゃ愛らしいギャビー・ホフマンはこの時7歳。身体がちっちゃいのでもっと幼く見えましたが、今もご活躍のようです。我が再見リスト上位の「めぐり逢えたら」のトム・ハンクスの幼い息子のガールフレンド役も彼女でした。うぅー、コレも観たくなった~。
1989年のアカデミー賞では、作品賞、脚色賞、作曲賞(ジェームズ・ホーナー)にノミネートされたそうです。
以前から再見予定リストのAランクにあった作品。何年ぶりかは忘れましたが、とにかく久しぶりの鑑賞。NHK-BS2での放送でした。
アイオワの田舎町でトウモロコシを作っているレイ・キンセラ(コスナー)は、ある日の夕方、畑で『それを作れば彼が来る(If you build it, he will come.)』という声を聞く。妻のアニー(マディガン)にも愛娘のカレン(ホフマン)にも何も聞こえなかったが、やがてレイには自分の畑が野球場になっている光景が見えてくる。レイは“それ”が野球場であると悟り、更には、声と同時にある野球選手の姿も脳裏に浮かんでくる。それは亡くなった父親が大好きだったシカゴ・ホワイトソックスの往年のスター選手、“シューレス・ジョー”こと、ジョー・ジャクソンだった。
借金で始めた農場経営は決して楽ではなかったが、レイはその声を天からの啓示のように感じ、野球場を作りたいとアニーに打ち明け、アニーは夫の気持ちを尊重した。近所の人々のあきれ顔をしり目に、レイは次の日から畑の半分を野球場に変える作業にかかった。貯金をはたいて野球場は出来たものの、一向に変化は起きず、数ヶ月がアッという間に過ぎた。冬を越し、再び緑の季節がやってきたある夜、彼は現れた。
ジョー・ジャクソン(リオッタ)は、1919年のワールドシリーズで、八百長に関わったとして他の7人のチームメイトと共に球界を追放された選手だった。既に故人であったが、レイの球場に現れた彼は、選手時代の若々しい姿だった。レイは外野を守るジョーにノックをし、その後バッターボックスの彼を相手にピッチングをした。それは夢のような時間だった。次の日には、彼と共に7人の仲間もやってきて、8人とも1919年当時のホワイトソックスのユニホームに身を包んでいた。
彼らは幽霊か?
『彼の痛みをいやせ』
新たな天の声が聞こえてくる。彼とは誰か? レイの直感では“彼”はジョーではない。アニーと出かけた町の集会で、60年代に活躍して今は隠遁生活を続けているピューリッツァ賞作家テレンス・マン(ジョーンズ)の本が話題になり、レイはマンが“彼”だと直感する。
図書館でマンについて調べ出すレイ。マンの小説にはレイの父と同じ名前の主人公が出てくるものがあり、しかも、マンはかつて野球選手になる夢をもっていた。
貯金もなくなり、畑の面積が減った為に借金の返済にも窮するようになったが、レイはなんとしてもマンに会いたいと思うようになる。1958年以降人目を避けているマンは何年も大好きな野球場に行っていないはず。彼に会って野球を見せてあげたい。それが“声”の意図だとレイは思った。
マンに会うにはボストンまで行かなければならない。アニーは反対したが、レイと話をする内に二人とも同じ夢を見たことが分かり、アニーはボストン行きに賛成する。
二人が見た夢とは、ボストン=レッドソックスの本拠地フェンウェイパークで、グリーン・モンスターの見える一塁側のスタンドに座り、マンとレイが一緒に野球を観ている姿だった・・・。
*
これは喪失の話ですな。そして、なくしたものを取り戻す話。現実には取り戻せないけれど、ファンタジーという形式にすることによって、取り戻している。なくしたモノは色々あるが、一言で言えば“時間”でしょうか。
最初に観た時には最後のキャッチボールにウルッときましたが、今回は思いがけないシーンでもキューンとしてしまいました。例えば、テレンス・マンがレイと車でアイオワに向かっている所とか、途中でヒッチハイクの若者を拾う所とか。
野球場が出てくるし、野球選手も出てくるのでスポーツ映画にカテゴライズしている人もいるようですが、テーマとしては特に関係ない。スポーツ嫌いな人にもお勧めできる映画だと思います。
作劇的には謎解きと予想外の展開、ローンの支払が迫る時限サスペンスと面白い要素が詰まり、中盤にはロード・ムーヴィーも味わえるという、以前より気に入っていた理由が今回ハッキリと分かりました。
▼(ネタバレ注意)
レイが声に従うことに拘ったのには訳があった。彼曰く、『おやじの二の舞は嫌だ』。
映画の冒頭でレイ自身のナレーションで生い立ちが語られるが、併せて父親の事も語られる。
父の名はジョン・キンセラ。1896年、ノースダコタ生まれ。第一次世界大戦から帰った後、父はシカゴに住み、ホワイトソックスのファンになったが八百長問題で大いに失望した。マイナーリーグで野球選手になるもメジャーには届かず、その後ニューヨークに移り38年に結婚する。52年にレイが生まれた3年後には妻に先立たれ、以後男手一つでレイを育てた。子守歌代わりに、ベーブ・ルースやシューレス・ジョーなど野球選手の話を聞かせ、父は息子にメジャーリーガーへの夢を託した。レイは10歳まではつき合ったが、その後父親とはキャッチボールもしなくなった。17歳で家出同然に西海岸の大学に入り、父親との関係も途絶えた。大学で知り合ったアニーと74年に結婚し、同じ年にジョンが死んだ。葬式には間に合ったが、死に目には会えなかった。
『意味無く年を取った』。レイは父の事をそう言うのである。
『今の俺と同じ年には老人同然だったろう。夢はあったはずだが、何もしなかったんだ。“声”も聞いたかも知れないのに、聞き流した。自分からは何もしなかったんだ。そんな男にはなりたくない。そうならない為の最後のチャンスなんだ』
畑で聞こえた声を、レイはそんな風に捉えたのだった。
ボストンでマンに会うも、最初はけんもほろろに追い返されそうになり、必死の攻防の末、なんとか球場まで出かけ一緒に野球を観ることが出来た。二人で並んで観ていると、今度は電光掲示板に奇妙な言葉を発見する。
『アーチー・“ムーンライト”・グラハム(ニューヨーク・ジャイアンツ) ミネソタ州 チザム 1922年』
レイの話を真に受けなかったテレンスにもその言葉が見えていて、作家的興味から一緒にアーチー・グラハムについて調べてくれた。アーチー・グラハムはメジャーでは1イニングにしか出場しなかった選手だった。
二人はアーチーの故郷、チザムに向かい、野球を止めた後、故郷で医者として生涯を終えた事を知る。ホテルの新聞でテレンスの行方を彼の父親が案じていることを知り、彼が父親へ電話をしている間、レイは外に散歩に出かける。ふと気が付くと、その時街は1972年にタイムスリップしていた。レイはそこで医者となったアーチー・グラハム(ランカスター)に出逢う。
アーチーは自分を“ムーンライト”と呼ぶレイを診療所に招き、レイに聞かれるまま、メジャーでの経験や叶えたい望みについて語る。アーチーの望みとは・・。
メジャーに上がって3週間目のシーズン最終戦。大量リードの8回にアーチーの出番はやってきた。ライトの守備。その試合で打席に立つことはなく、結局その1イニングが彼のメジャー経験だった。シーズン終了後には再びマイナー降格が決まり、アーチーはメジャーを諦めて故郷に帰り大学に戻る。元々医者の家系であり、以後チザムから出ることはなかった。
メジャーでの3週間。自分はそれが最後のチャンスだと思わずに過ごしていた。いつでもメジャーに戻れると思って、頑張り所を見誤った。それが生涯の心残りだった。
希望は、メジャーの打席に立つこと。青空に向かって思いっきり白球を叩き、三塁に滑り込んでベースを両手で抱えることだと彼は言った。
ラストシーンで、全ての人々の希望が叶えられる。そして、お膳立てをしてきたレイにも、失った時を取り戻すような出逢いが待っていた。ウルウル
▲(解除)
W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』が原作。
映画原題は、【FIELD OF DREAMS】。この世に舞い戻ってきたような選手達にも“夢の球場”であり、レイやマンにとってもそれぞれの願いが叶った“夢の球場”なのでした。
バート・ランカスターはこの映画の5年後に心臓発作で亡くなっていた。
エイミー・マディガンはエド・ハリスの奥さん。
むちゃむちゃ愛らしいギャビー・ホフマンはこの時7歳。身体がちっちゃいのでもっと幼く見えましたが、今もご活躍のようです。我が再見リスト上位の「めぐり逢えたら」のトム・ハンクスの幼い息子のガールフレンド役も彼女でした。うぅー、コレも観たくなった~。
1989年のアカデミー賞では、作品賞、脚色賞、作曲賞(ジェームズ・ホーナー)にノミネートされたそうです。
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】
アメリカのベースボール文化の豊穣さが分かる作品ですよね。
野球好きな人は必ず1度は見るべき映画です。
父と息子の絆や夢を追う事の尊さが描かれている名作だと思います。
この作品でジェームズ・アール・ジョーンズが好きになりました。
ジェームズ・アール・ジョーンズは、70年代の名作「ボクサー」で初めて見ました。白人女性と結婚した実在の黒人チャンピオンの話でした。
彼女の努力がこの作品を人々に知らしめることになったわけで・・
大したものですね!
試写と口コミか。
今は、TVCMで煽って(昔より金のかけ方が違うみたい)、つまらん映画でもヒットするようで、そのうち『CMではだまされんぞ』とかなりそうですよね。
今じゃブログでの口コミもあるから、宣伝はし易くなったのか、それとも・・・。
この作品は、若い頃よりも年齢を経てから観ると『感慨深くて』いいですな。
人生はなかなかに長く、つらいもので、私も今くらいの年になってキンセラの心が実感としてわかってきたような気がします。NHKさんは少し前のいい作品をけっこう放送してくれていいですね。
コメントとTBありがとうございました。(_ _)
あれから“声”を聞いたのか、聞き流したのか、それも忘れてしまうような歳になっちゃっいました。
>NHKさんは少し前のいい作品をけっこう放送してくれていいですね。
もうすぐ「ハリーとトント」、「卒業」なども放送されるようです。
自分のブログにも書いたけど、「夢を持ち続けることがどれだけ大事か」
っていうことを、今改めて再確認できたような気がします。
そしてありふれた時間を大切に…っていうことも。
この映画から学んだことは多いような気がします。
また遊びに来ます。これからもよろしくお願いいたします。
色々と見方がある映画のようですね。
何年か先には、また見るべき映画かも知れませんね。
TB返し&コメント、ありがとうございました。
コチラこそ、宜しくお願いします。
この映画は、私にとっては父親を始め今は亡き家族へのやるせない想いを思い起こさせた作品でした。
ケヴィン・コスナーは、「アンタッチャブル」以降、この作品、そして翌年の「ダンス・ウイズ・ウルブス」まで絶好調の3~4年間だったのではないでしょうか。「ポストマン」以降はいまいち?。だったと思いますが。
「ポストマン」も未見で、それ以降だと「13デイズ」しか観てないですね。これ結構面白かったです。