テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

ネタバレ備忘録 ~ 「父と暮せば」

2018-08-11 | ファンタジー
 「終盤の父と娘のじゃんけんには何度見ても胸が痛く、ウルウルとしてしまいます」と書いていますが、どんなシーンだったか書いておきましょう。

 勿論ですが、「父と暮せば」を未見の方々にはネタバレ注意です。

*

 シーンの切り替えに、黒地スクリーンに「火曜日」~「金曜日」までの白い文字がインサートされて、この父と娘のドラマが4日間の物語であることが分かります。
 各曜日=各シーンの父娘の会話で木下青年と美津江の交際の進展具合が分かるのですが、併せて描かれるのが美津江の戦争体験です。それは徐々に、美津江の現在の心境に至った原因に迫っていきます。実質、映画のテーマからすればこのヒロインの戦争体験が重要なんですね。

 自分は生きとってはいけない人間なのだ。
 出来るだけひっそりと生きて、時が来れば静かに誰にも気づかれないようにこの世から消えてしまいたい。

 美津江がなぜそのような心境に至ったのか。
 亡霊となって現れた父親への戦争体験の告白によって明らかになっていくのです。

 幼い頃からの親友がピカによって亡くなった事。
 彼女の母親を見舞いに行った時に、『何故、あなたでなくうちの娘が亡くならなければならなかったの?!』と恨みがましく言われたこと。
 その親友には命を助けられたのに。

 親友からの手紙に応えようと、返事の手紙を書いたのがピカの落ちた日だった。
 8月6日の朝、その手紙をもって町へ出ようとした時にふと落とし、拾い上げようとしゃがんだ時にピカは爆発したのです。しゃがんだ場所にはピカの光と爆風を避けるように石灯篭があり美津江は助かりました。なので、親友は命の恩人なのだ、そう言うのです。

 そして、美津江の心に最も足かせのように重くのしかかっているのが、父親の死でした。
 親友への手紙を出そうとした朝、父親は目の前に立っていたのです。
 気が付くと、ピカの光に包まれた後、爆風に吹き飛ばれた瓦礫に押しつぶされ、顔の半分を焼かれ、火の粉に囲まれて竹造は倒れていたのです。
 美津江は父を助けようとあらん限りの声で助けを呼びましたが、その辺一体阿鼻叫喚の地獄絵の中、当然救いの手は有りません。
 死を覚悟した竹造は、美津江にこの場から立ち去ることを命令しますが、泣きじゃくって娘は答えない。
 その時に、親子のじゃんけんが始まったのです。

 『俺がグーを出すから、お前は勝て。そして立ち去れ!』

 3年前の事を再現するように、美津江と竹造の亡霊がじゃんけんをする。
 じゃんけんの度に娘はグーを出し、子供の頃からこうして父親は負けてくれたと泣きじゃくる。

 原田芳雄と宮沢りえ、二人のじゃんけんをフルショットで描いたこのシーンに泣きました。胸が苦しくなりました。

 この後、竹造はこう言います。
 生き残った者にはこの戦争の事を語り継ぐ責任があるのではないか。もしも、お前が出来ないのであれば、出来る者を生んでくれと。それは俺の孫じゃ、ひい孫じゃ。

 ラストシーン。
 何かに救われたようなホッとした表情の美津江。
 風呂の焚き付けが残っとったと裏へ消えていく竹造。
 『おとったん。ありがとうありました』

 美津江のショットから上へとパンするカメラに映ったのは原爆ドームの屋根でした。





 兄の家族が広島県の福山市に居ますので、広島弁には馴染みがありますが、『ありがとうありました』は聞いたことがないと言ってました。
 福山と広島では少し違うのかも。或は時代の違いかも。
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 父と暮せば | トップ | ♪In the Heat of the Night ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ファンタジー」カテゴリの最新記事