世の中には何故だか解らないが「悪役」をひたすら無意識の内に引き受けて生きている人間がいる。その大半は。(なんでこんなことに……でも私がやらなくては)という心情に違いない。勿論そんな貧乏くじを持つ私も例外でない。そんな苦い経験から、上役は引き受けるのをやめることにしたのだが、どうやらそういう人間というのは、上役どころか、役についていない場合にも例外でないらしかった。これはもう、性というものだろうか?私が私である限り、自身が関わる仕事では泥を被りたくないという、可笑しなプライドから、逃げられないということだろうか。どう考えてもそうだった。どう転んでも、私は失態を犯した一つのグループにいるという事実の方が、肉体的に精神的に疲弊するよりも耐え難いことだった。
私は「無意味な」争いについては嫌う。どうしようもないからだ。だがしかし、「無意味な」時間を過ごすことも嫌う。つまり事を荒げないように立ち回るという手間を惜しまない。感情も抑圧する。非情にストレスが溜まる。企画関連に関わったイベントを心から楽しんだことはない。いつも独りで済ませるが、愚痴を自室でほざいて抑圧する。他人に溢す訳にはいかないからだ。とにかく「強かに」且つ、「大人で」私という配役を全うしたいのだ。これは、誰にも悟られるわけにはいかない。私のプライドがその虚勢を赦さない。だからこそ、「悪役」は凄まじく、辛く、孤独な闘いとなる。それでも、私一人くらいどうってこと無いと思えるのは事実だ。